か弱き者と闇と宝 | hinata BLOG

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お花や詩ナド

時折叩きつけるように、雨が降る。そして、止んだかと思えば、またも激しい音をたて、地を洗い流すように降り注ぐ。

夜中に、一匹の蝉が鳴いていた。明日には命が無くなると、知ったのだろうか。
つれ合いを求め、気が狂ったように、命が尽きる時まで、とにかく鳴き続けていた。



試練が大きい程、神様から愛されている、という事を忘れてはいけない。
前回のブログで、私は、『自分の事を理解する事から始めたい』と括った。
そして、今日は大切な事を知った。


それによると、『自分の弱い部分を知る』というのは、甘受への第一歩となると言える。
弱さというのは、頭を痛める要素となる人物、または金、容姿、環境、様々な事象によってもたらされる、淋しさ、辛さだと言う。
これは、以前からあたりまえのように、自分を縛り続けているしがらみとなっている。この縄1本1本が持つ悲しみや淋しさをどう解いていくのかが課題となる。


誰しも、
雨に打たれて、試練を全うするのだ。寒さの中で感謝できた者が、神に出会えるのだ。
痛みに、感謝する者だけが、子を産める。それは、私が産む子ではなく、天が与えられるのだ。
「どうするのか…」と、常に天は私を心配しながら、見つめている。
どんな時も、父は、最善の道しか用意していない。

父と比べて、批判など、できはしない。
感謝しかない。此れが、乗り越える手段だ。

気が狂った蝉のように、夜に泣き叫んだとしても、父と同じ涙を流さなければ、意味は無い。淋しさの極地で、勝負が決まる。何でも、詰めが大切だと言うことだ。