58になる父が、珈琲を淹れる時に「珈琲飲む?」と私に聞いてくれるようになりました。
私が小学生の時、レコード店前で長髪で眼鏡な父がレコードを持って眺めているモノクロ写真を見つけた事がありました。七・三の髪型の父しか知らなかったので、幼心になんか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになりました。
今年7月。あれは何時頃の写意だったのか、空港に迎えに来てくれた父と2人きりの車内で何か話そうと思った時、その疑問が浮かんできたので聞いてみました。父は海外に好きなへヴィメタルのアーティストがいて、そのボーカルを真似して中学生の時から髪を伸ばし始めたと言いました。
父は秋田出身で、白系ロシアの血が入っているのか、鼻すじが通っており、小顔、ピチリと上がったお尻、スラリと伸びた脚をしていて、学生時代は陸上で砲丸投げをやっていたので、体つきは今でも多少なりとも筋肉質で、シルエット的には何の問題もないと言えるでしょう。
口惜しいのが、それこそが父のよいところだと言うのに、何故私は似なかったのかという事です、、。
4歳迄住んでいた秋田の港街で見た景観とは、雪と、黒に近い色の海、どんよりとした曇り空、オオオーンという唸り声のような海鳴り、魚釣りをするおじいちゃん。母との散歩コースには行ったり来たりする貨物列車と信号機と踏切の音、木馬のあるお友だちの家、赤土のグラウンド、ピンクのモーテル等がありました。
父が私にくれた初めてのプレゼントといえば、白いライオンのぬいぐるみです。私の1歳の誕生日、雪が降る中仕事先からバイクで大急ぎで帰ってきて、にこにこしながら私に渡してくれたそうです。きっと手塚治の『ジャングル大帝』を連想したものだと思います。
生まれて初めて観た映画は、母と観に行った2歳の時の『魔女の宅急便』でした。
それから母の実家のある九州に越してきました。
トーストと珈琲の匂い、父の好きなロック、ジャズ、母のすきなクラシックのレコードやCDが流れ、新聞を読んだり音楽に合わせて踊る父、、。それが私にとっての日曜の朝でした。平日の朝から、海外アーティストのPVが延々と流れている時もありました。
小さなアパートには、父の撮った写真のパネル、レコード、CD、ビデオ、本、ジーンズ、アーティストグッズで埋め尽くされてました。「とにかくMさんの物が多い!」と母が言っていました。
また、父は私と弟の為に、ドラえもんスペシャルやジブリ等の映画を必ずビデオに録画をしてくれるというよい面もありました。父が母を被写体にして撮ったアルバムを小さい時に見たことがあります。長い髪の母は美しくて、今思えば、父が母を好きな気持ちをうかがえることに気付きました。
父は歴史や哲学、登山もすきです。今日も、彼氏のようにお付き合いしている友人と登山に出掛けています。今、読書好きな父が読んでいる本は、山田風太郎の明治モノです。本当に多趣味です。老後も、楽しく送ってほしいものです。
何故突然父の話をしたのかと言うと、録画かもしれませんが、昨日家でついてたTVを見ていたら“珍味のルーツ”を探るコーナーがあり、“そもそも珍味とは何なのか”という事から始まりました。全珍会と称する珍味の会やら、正体不明の酔っ払いのおじさんの元をお笑い芸人が訪ねていきました。11月23日は「いいつまみの日」な事や、珍味の定義等がわかりました。珍味とは、水産物でできていて、保存がきき、尚且つそのまま食べられるものを指すのだそうです。また、神社で神様にお酒をお供えしていたのですが、そのうち酒の肴となる干しあわびを江戸時代からお供えしだしたものこそが、珍味のルーツだそうです。
そういうきっかけで、普段は滅多に書く事のない私のルーツ、1つ上の肉親の父を書くに至りました。