さて、遅くなりました
2つ目の番組は
将棋の羽生さんとチェスの元?世界王者カスパロフ氏の対談(ETV)
興味深かったのは、各界の王者の年齢と指し方の変化についての話
将棋界においてあるとき以降明らかに若手棋士が台頭し、棋風にも多くの流儀が出現したらしい
結局、どの世界でも生じているわけで区別はないのだが、世の中が20世紀になってから急速に発展した、特に“情報”の扱いについて急激に記録・保存・利用技術が発達したことが背景にあるということ
つまり、全ては口頭伝承に頼ってきた時代は、律速段階が伝承情報であるから、その限られた情報に一つ先のことを思いついたものがトップに立てる時代。またそういうところではゆっくり時間が流れるため、経験がものをいう
徐々にその伝承内容は書物などに蓄積されて、量が増える。そうなると、いかに書物にであえるか、いかに量の増えた内容を身に着けるかが勝負になってくる
さらにはその伝承内容は(要点をまとめた)書物に限らず、要点だけでなく全データを瞬時にしかもだれでも環境を問わず手に入る時代となる
すると、データをただ身に着けるのではなく“うまく”取捨選択しながら利用し、データはみんなが保有している状況の中で一歩先にいく能力が必要になる時代になった
そうすると、年齢は自然と若年化する 処理能力の早い若者が勝つ訳だ
しかし面白いのはそこに羽生さんは疑問をなげかける
ホントウに上手く処理するだけがすべてなのだろうか!
彼の大局観や直観力といったキーワードはそこにあるのだと思う
様々な経験や時間を経ることでしか得られないもやもやした実体のないものを扱う感覚なのだろう
きちんと計算したり身構えることなく、手練れが無意識にひょいとさせば針孔を通してしまうようなそんなものだろう
それはいわゆる“強い”というものとは異なる概念
それを大切にする、求めていけることこそが真の達人といえる
そんな風に聞こえた
そして、こういう一朝一夕では手に入らず、みにつかず、見えないものをなんとなく大切に扱えること、これは昨今にぎわしている倫理・道徳などというものなのだろう・・・・
さて、
白鵬の話だが、結局、現代という環境・時代が若年化を進ませて若くて“強い”力士が出現した。その極みが白鵬なのだとすると、この見えないものの体得とにギャップが出てきてしまうのは当然のことではないのかと思う
やはり、そういうギャップを生きるのは並大抵のことではなく、世の中で生きていく上で最もストレスフル、大変なことの一つなのだと思う
だとすると、白鵬の発言「色々あったけど~」というのは素直にそのギャップを生きる苦しみを、うまく表現すらできないくらいの大きなギャップの中で歩んできた時間であったことの表れとはとれないだろうか。そして日本の国技として敬う我々の姿勢がそのギャップを奥ゆかしく包み込むのでなければ、ギャップは私達にもあることを示しているわけで、たとえ本来横綱はそのギャップもない(いわゆる心身ともに)充実した人格を求められるものであったとしても、私達にそれを求める資格はないように思うのだ