”読んで下さる人はネタバレありますので注意してくださいね”
東京プリズン (河出文庫)/河出書房新社

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人は誰しも能力・考え方・環境全てが異なる。本当の意味で人間の間に絶対的な関係はない。
それが”自然”なのだ。
でもそんな答えのない環境の中で生きていくのはとてもストレスフルだ。
だからこそ、人は争う。そして戦争は強弱、勝ち負け、正義と悪ということへの答えを出すのにある意味もっとも単純明快な解決手段といえる。
まさに戦争裁判はその結論の場である。
一方で、結論を出すことは“不自然”である。
そんな“不自然”な状態に永遠性はなく、またいつかは繰り返す。
なぜならば人間には絶対的な関係性はないからだ。それが“自然”だからだ。
しかし、戦争はいったん始まってしまえば結論を出すまで終われない。
そんな“不自然”な状態が続くためには〝不自然”な結論にたどりついた上での“自然”状態が保たれる必要があるのだ。
まさに戦後の日米の関係がそうである。
この“不自然”と“自然”のギャップに主人公(作者?)は自然な状態で不自然な環境におかれることで気づいていく。
天皇のとった責任とはそういう意味があるのだと。
しかしその意図は表にでられるものではないのだ。
だまるしかない
あくまで“不自然”と“自然”とが共存しなくてはならないのだから。
そしてそれが日本における”天皇”という特殊な存在の意義なのだ。
マリがディベートで負けながら勝ったというのはまさにそういう意味で東京裁判の再演なのだと思う。
でもこれは、実は人間である限り、どこにでも起こり得る関係性なのだと思う。
最近の社会はこの”自然”状態の回避をしたがる傾向にある。
つまり、形に見える絶対的な関係性でないと納得できない、”自然”のストレスに耐えきれない社会になってきている。
そんな我々が進む未来に永遠の”自然”はあるのか?
作者が警鐘を鳴らすのはまさにそのことなのだと思った。
