宇宙旅ベルギャ 第105話『』
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★有孔鍔付土器
現在の長野県から山梨県の中央高地において
縄文時代前期末期から 中期終末
にかけて特徴的に見られ
中期に盛行し関東地方を中心に分布
縄文中期終末 には消滅し
注口土器に代わる
中期中葉には 胴体に赤色顔料が施され
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やがて注口土器へ至っている事から
注口土器と同様に有孔鍔付土器の内部には
液体が入れる用途であったと推定
内部に黒色変化が見られ
内部にはヤマブドウの種子と思われる
炭化物が発見された出土事例がある事から
内容物は酒(液果酒)である可能性が高く
有孔鍔付土器は酒造具として用いられ
小孔は醗酵過程で生じたガスの
排出口であると推定している
完全密閉容器ではない
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★人体文様付有孔鍔付土器
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★鐙型注口土器 (あぶみがた)
主としてプレ・インカの文化と知られている
チャビン文化やモチェ文化に見られる
球形の胴部から
二股に分かれた注口がひとつになる形の土器
注口部分が馬具の鐙に似ている事から
この名がつけられた
酒器など儀礼に用いられたと考えられ
液体を別の容器に注ぐ時に独特な音を発する
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★葷粥 (くんいく)
かつて中国の北方に住んでいたとされる
遊牧民族
匈奴の前身と考えられている
『孟子』梁恵王下に
「周の大王こと古公亶甫が 獯鬻に仕え…」
とあるのが初見
斉の宣王
(在位:紀元前319年 - 紀元前301年)
「隣国と交際する
正しい道はあるでしょうか」
孟子
「智の人だけが
小国でも大国と 上手に交際できる」
ということを例えるために
引用した故事に登場
葷粥は 黄帝の統一事業の際に
北へと駆逐される
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夏の桀王は無道なため
殷の湯王により鳴条へ放逐され
三年して死んだ
その子の獯粥は桀王の妾を妻とし
北野へ避居して遊牧生活を始めた
中国はこれを匈奴と謂う
「夏は薰鬻といい 殷は鬼方といい
周は獫狁といい 漢は匈奴といった」
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★葷 香りの強い野菜
ニラ ネギ にんにく ラッキョウ
★薰 かおる いぶす 人を感化する
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★禁葷食 (きんくんしょく)
仏教の思想に基づく菜食の一種
精進料理では避けるべき
と考えられている食材が
大きく分けて2つあり
三厭(さんえん) 動物性の食材
五葷(ごくん)
ネギ属などに分類される野菜
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禅宗などの寺院に行くと
山門のかたわらに
「不許葷酒入山門」あるいは
「不許葷肉入山門」
などと刻んだ戒壇碑が建っている事が多い
「葷酒(葷肉)の山門に
入(い)るを許さず」
と読み
肉や生臭い野菜を食べたり
酒を飲んだりした者は
修行の場に相応しくないので
立ち入りを禁ずるという意味
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★粥占 (かゆうら)
1年の吉凶を占う
多くは小正月に神に
あずき粥 を献ずるときに行われ
中国から伝えられたので
この日に小豆粥を
蚩尤もしくは高辛氏の女の怨霊に供し
これを食すればその祟りをのがれ
年中の邪気をはらうという伝説に由来
棒についた米粒の数で占う
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★ポケ (poke)
伝統的なハワイ料理
魚介の刺身を小さく切って
醤油ベースのタレや 香味野菜で和えた料理
ポケはハワイ語で「小さく切る」
「(横方向に)スライスする」
という意味
異文化接触前から食されていた
新たな到来者が訪れると
その到来者の食文化の趣向を取り入れて
ポケは進化していった
アメリカ西海岸からやってきた一団は
鮭と塩とをもたらし
中国や日本からの移民は
醤油やゴマ油をもたらした
それぞれの集団が
出身の料理を加えていく形で
ポケの多彩な料理メニューが
生み出されていった
(Wikipedia)
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