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第129話 『』
★地下収容所の 皆さんの様子(違)
↓ 2期までは 面白かったのに
3期から何か変で 碌な事言って無い
★131話辺り 感想
話の都合で遊歩を生贄にした様に見えるので
清濁合わせ呑め(耐えろ)とか
悲劇のヒロイン面するなとか
一喜一憂するなとか
加害者側が言うな に思える
ベクターみたいに投影ならやっぱり生贄だし
清濁と言ってもこのアニメの倫理観じたいが
信用出来ないので 何が清?
尖ってるって結局
女子中学生を痛めつけてセクハラする事が?
これ 男子小中学生向けアニメなんだろうし
出産したい男子中学生を主人公にしたら?
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断絶を繋げる気じゃ無かったのか
だかどっちも汚い にしているみたい
悪い性質は負の連鎖とかで
しっかり継いでいるので
あまり断絶してる様に見えないと思う
セクハラも継いでるな
3期から躁的防衛の奴に
話を書くのを乗っ取られた・交代した
体でやってるのか?
どっちにしろ産む機械と生贄扱い
深い理由があろうと
結局やってる事は
女子中学生への嫌がらせ
全体的に(ギャグの事じゃ無くて)
何もかも小馬鹿にしてる感じで
そういう姿勢だから災害が起こる
みたいな点は
起こっても馬鹿にし続ける事を止めない
という方針なのか?
作中で善を語って盛り上がってる風にしても
やっぱり白ける
ゴーハ・コーポレーション編
第129話 『昆虫忍者☆』
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★謝肉祭
古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭り
に由来するという説も
七日の間 教会の内外で
羽目を外した騒ぎを繰り返し
最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を転嫁した
大きな藁人形を火あぶりにする
というのがその原初的なかたち
であったという
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★
ハレ(晴れ・霽れ)は
儀礼や祭 年中行事などの「非日常」
ケ(褻)は普段の生活である「日常」
日本では 戦後から高度経済成長を経て
大衆消費社会になった事で
派手な物・美味しい物が
手軽に消費出来るようになり
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ハレとケの区別が曖昧になった
(どちらかと言えばハレが続いている
状態になった)と言われ
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柳田が目指した
過去・現在の(「ハレとケ」の区別の仕方)
の比較から
未来を読みとくという通時的分析
1970年代に入ると
「ハレとケ」の関係に
新たにケガレという概念を
加味するべきではないかと
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★陽明学
当初は王陽明も朱子学の徒であったが
朱子学の根本原理となっている
「格物致知」解釈に疑義を呈した
天下の事事物物の理に格(いた)るというが
どうすれば可能なのか
という方法論への疑義
朱子は外の理によって
内なる理を補完するというが
内なる理は完全であって
そもそも外の理を必要としないのではないか
という根本原理への疑義
こうした疑義から出発し思索する中で
陸象山の学へと立ち帰り
それを精緻に発展させたのが陽明学
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★李 卓吾 (り たくご)
中国明代の思想家・評論家
陽明学左派(泰州学派)
この思想が危険視されるのは
当時正統イデオロギーとなっていた
朱子学における
聖人に至る道を否定している点にある
朱子学では心を 性と情に分かち
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性こそ理とする「性即理」をテーゼとするが
性を発露するために
読書などによって
研鑽を積まねばならない ![]()
が多くの書物を読んで
道理や見聞を得ると言う研鑽そのものが
「童心」を失わせるとして排し
否定的に捉える
そして「童心」を失った者が
成す文や行動がいかに巧みであろうと
仮(にせ)であって 真なるものでは無い
とする
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真っ向から士大夫的価値観に挑戦した
李卓吾の姿勢を継ぐものは
明・清を通じて現れなかった
しかし
儒教は中国が近代化する過程において
支配イデオロギーの座から滑り落ち
五四運動においては
「人を喰う」教えとして批判にさらされ
ここに至って
儒教批判の先駆者として
李卓吾は漸く顕彰される
中華人民共和国が政権を獲得した後も
明末清初を代表する
思想家の一人として数えられている
(Wikipedia)
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