先日のブログで
自己否定や自分責めについて書きました。






自己否定や自分責めをして

自分をいくら傷つけても


カラダはずっと自分のために

働き続けて存在しているのだから


カラダがあること=価値

生きていること=価値

存在していること=価値


としていれば、何も価値は変わらない

ということを書いたのですが




自分の価値が脅かされると感じる時は

自己否定や自分責めをする前に

絶対に人と比べています。


誰かと自分を比べて

自分が劣っていると感じるから

自己否定や自分責めをしてしまう。




じゃあ、比較しなければいいのか

ということになりますが


比較することは地球の法則。

だから仕方ないこと

なんです。





秋田では初雪が降りました。

赤と白のコントラストが美しい♡




わたしも

自分と人を比較して

自分責めや自己否定を繰り返してきたので


「比較しないようにしよう」

「わたしはわたしなんだから!」と


必死に思うようにしてきたこともあったけど

結局はムリでしたタラー

そして、今でも比較はします。




比較することが仕方ないことなら

どうしたら楽になるの??


それは

比較の矛先を変える

ことです。




このブログを読まれているほとんどの人は

義務教育を受けていると思います。


学校では、自我を確立していくうえで

勉強やスポーツをやってきました。




勉強やスポーツは

平均点がハッキリ数値化されていて

基準が明確にあるものです。


学校では基準が明確にある

勉強やスポーツで

順位が決められたりしていました。




だから、わたしたちは

基準があって

そこから比較をして


自分のモチベーションを上げたり

反省したりすることが

いつのまにか習慣になっています。




ところが社会に出ると

明確な基準があるもの

平均点があるものはほぼなくなります。


仕事への意欲

仕事内容

給料

やりがい

コミュニーケーションのやり方

などなど、、


一見基準があるように感じるのは

世間的な基準があるように勘違いしているか

自分で勝手に決めた基準があるか。


どちらにしろ

それはとても曖昧なものです。




義務教育でやってきた比較の習慣を

社会に出てからもやってしまうと

とっても苦しいんですもやもや


だって

ルールのないゲームで

勝手に勝ち負けしているから。




だから、まずは

義務教育時代の比較の習慣が

今も続いてるだけ


明確な基準がないもので

ひとりで勝手に好きで

比較していることを自覚する




そうすると

あー、なんだ、そっかーって

気持ちがほっとすると思います。





緑と白のコントラストも綺麗。




そして

その比較の矛先を

自分の成長に向ける。




比較の矛先を

自己否定や自分責めに向けるから

苦しくなるだけ


成長に向けることができれば

とっても良いチャンスになります。




自分で勝手に設定している基準を

知ることができるし


自分の設定や基準を知って

それに対してどう感じるかで

自分が本当はどうしたいのかも

気づくことができます✨




比較をどう使うかで

これからのわたしたちの成長度合いは

まったく違うものになる。




比較をすることが

地球で生きていたら仕方のないことなら


その矛先を自己否定や自分責めに向けて

ズーンと落ち込んだり

ウジウジするのはもったいないアセアセ




生きている時間は限りがあるのだから

どうせなら自分の成長に

比較をうまく使って


豊かに楽ちんに生きていきたいと

わたしは思いますピンクハート





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