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千葉県流山市(ながれやまし)断捨離トレーナー講習生の鈴木なおこです🔰
実母との関係の続きを書くのに間があいてしまいました
この記事の続編です
実家に帰ったものの、母に無視されるの巻
私が元夫と一緒に買った家を出て、アパートで子どもたちと4人で暮らしていましたが、私が過労で倒れてしまいました
夫からはお金を受け取っていなかったので、3つの仕事をかけもちして働いていました
過労と心労は、離婚が成立するまでに1年もかかったことも、その原因の1つであったことを、今思い出しました
私が実家に戻ったある日、元夫が実家に現れました
引越しの大型トラック2台と共に・・・ 聞いてないよ
その2台分の荷物が実家に下ろされました
少量の荷物だけを受け取る約束、しかも彼は来ない約束を違え、彼は現れました
その間、私は恐くて裸足のまま庭に飛び出して震えながら隠れていました
玄関脇の客間はすぐに荷物でいっぱいになり、リビングも一杯になりました
子どもたちの学用品や、身の回り品は持って出てきたので、置いてきたモノは全部処分してくれる約束だったのに・・・(深掘りはやめておきますが)
彼は自分の洋服、楽器、PC等以外は全て、選別することなく、ゴミも全て送ってきました
一番驚いたのは、油が入った中華鍋を、そのまま段ボールに入れてきたことです
当然油まみれになっていました
受け取りに立ち会った母は、怒り狂いました(油にはまだ気づいていない)
私も彼が帰ったことを確かめた後に、怒りが湧いてきました
子どもたちは学校で、留守だったことが救いでした
母は彼に対して怒っているのだと思っていましたが、実はそれだけではなかったのです
「離婚という恥ずべきことをした娘」のせいで、大型トラックが2台も来て、近所にも「出戻り娘」が居るということがバレたことを怒っていました❗️
そして、全てが母のテリトリーであった実家の部屋が浸食されたのですから・・・
怒りの矛先は全部私に向かってきました
「この荷物をすぐに捨てなさい!」と私に命じ、私が全てを処分し終わるまでの3ヶ月間、母は私を無視し、口をきいてくれませんでした
子どもたちと母は話していたので、異変に子どもたちは気づきませんでしたし、私もそれを隠そうとしました
私は子どもにこれ以上、悲しいおもいをさせたくなかったのです
命じられるまま、私はひたすらモノを捨て続けました フラグですね
母は子どもたちが居ないときは、無視だけでなく、ドアをわざとバーンと音を立てて閉め、不快を私にぶつけてきました
それでも、職を失った私はアパートに住む経済力がなくなってしまったので、実家で堪えるしかなかったのです
ただただ、みじめでした
送られてきた荷物とはいえ、私の家庭のものであったことは間違いありません
全て捨てさせられるのは、私のそれまでの人生そのものも捨てさせられるようでした
傷ついて家を出て、倒れて、更に母にはこのような扱いを受け、絶対服従を強いられました
更に母に言われました
「私の友人はお嫁さんが家事を引き受け、楽をしている
自分もそうなりたい」と言われました
母はお金に何不自由ない暮らしを元々していましたが、同居するのだからと多くの金銭も要求されました
私がようやく就職した後も、私のお財布は母に握られていたので、私に経済的、時間的自由はありませんでした
母との生活は、今思い返すと地獄でした
しかし、その時は既に、母に抵抗する力もなく、「結婚で幸せになれなかった私がいけないのだ」、「母は正しい」、「私はもう人目を忍んで生きていくしかない、生きる価値もない人間なのだ」と思い込んでいました
私の尊敬する父も亡くなっていて、味方はいませんでした
父(母にとっての夫)というストッパーを無くした母は、制御不能の絶対君主でした
続きます・・・
いずれ立ち直りますから、これに懲りずにまた読んで下さいマセ🙇🏻♀️
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