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千葉県流山市(ながれやまし)断捨離トレーナー講習生の鈴木なおこです🔰
断捨離を通じて、自分の人生の振り返りをしております
皆さまの応援を力に変えて書いていきます いつもありがとうございます
こちらは、前に書いたきっかけの話です
今日の内容は、私が人生に絶望しながら無理して働き、倒れた時のことも書いています
苦手な方は、ここでそっと閉じて下さいね…
断捨離と出会うまで…
…まだ断捨離が世に出ていなかった頃のお話です
時をさかのぼります…🕰️
私が30代前半の時、結婚が破綻しました
そして非常に怖いおもいをし、離婚を前提に子どもたちを連れて家を出ました(ここは深掘りしません)
最も信頼していた父は既に他界、母は私の離婚を非常に恥じていたので、実家には帰れませんでした
そのため私は3人の子どもを連れて、持ち家からアパートに引越しました
3つの仕事をかけもちし、子どもたちの転校手続きや名前書きで、徹夜の日が続きました
ただ、私が頑張らなきゃ、という一心でやっていました
そのような時、子どもが交通事故にあい、頭も打っていたので、1ヶ月の自宅療養となり、安静のため保育所を休ませることになりました
家で24時間の見守りのため、1番多かった収入源で、とても好きだった仕事を失いました マジの死活問題❗️ 経済的な基盤を失い、不安でいっぱいになりました💸
幸い子どもは1ヶ月で回復し、後遺症も残りませんでした
時代は今のように離婚に寛容ではありませんでした
親しかった友人たちから、離婚をするなんて、我慢の足りない女性という烙印を押され、バッシングにあいました
私は心身共にボロボロになり、ある日元気になった子を保育所に送り届けた後、車の中で呼吸が苦しくなりました
このままではまずいと、片手で運転して何とか病院まで辿り着き、駐車場で倒れました
体が硬直して震えていました
過呼吸を起こしていたのですが、その時自分に何が起こったのかわからず、死ぬのかなと思いました
車椅子で運ばれて、されるがままに処置を受け、注射で眠らされました
意識が遠のき、楽になれると思いました
しかし、当然ですが、薬が切れて目が覚めました
「私、生きているんですか?」と看護婦さんに聞き、生きているとわかりました
目が覚めても、厳しい現実から逃れられず、私の苦しみは何も変わってないのだと、涙が止まらなかったのを覚えています
食事が喉を通らなくなり、食べ物の味がわからなくなったのは、あの頃だけの経験です
身長は160㎝以上ありますが、体重が42㎏まで減ったところまでは覚えています
その後、嫌そうな母に頭を下げて、3人の子どもたちと実家に帰ることになりますが、その続きはまた明日…
ただ、これが何故、断捨離と関係するかは、元夫の家に置いてきた「大量の荷物」の問題に繋がるのです…
良かったら、また読んで下さいね
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