6月最後の日。
今日は真面目なことを書きます。
不真面目なキミは閉じちゃっていいよん。
しかもめちゃ長いから!
読む気ないなら、ホンキで見ない!
それ大事!
今日だけトクベツ!
ってかね、思ったことを正直に書くのよ。
なんつーか思考の言語化ってゆーんかな。
だったら適当に何かに書けよ。
人にあまり見せたくない。
なのにWebに載せる。
自己顕示欲が強いのかな?
でも見せたいわけじゃない。
あー不思議。不思議。
まーそんなとこで。
タイトルの通り自由についてね。
俺の将来の目標は、喫茶店なワケ。
でもそれとは違うある1点の目標もあるワケ。
それがメインテーマ。
自由って不思議だよね。
そんなもんあってないようなもの。
不自由だと自由を求めるくせに、
不自由にしてるのは自分自身。
ここまではよくある話。
例えば靴。
靴を履くことによって、歩きやすい、よごれない。
そんな素晴らしさを手に入れたよ。
だけど・・・、靴を履いたり脱いだりしなければいけない。
そう。一つ自由がなくなりました。
自由より利便性をとりました。
例えば大地。
地上があるから、人は空を飛びたがります。
地上なんてなければ、全てが空間なわけで、
飛びたい自由への欲求なんてなくなっちゃう。
例えば生死。
生きるということにより、
死ぬということに対しての縛りを受けます。
つまり、生まれてきた時から人は自由じゃないの。
フクザツだよ自由って。
束縛の中だからこそ求めてしまう。
で、自由の果てに何があるのか・・・。
もうわかるよね。
死んでしまうのが自由の果て。
『死』ってゆうのは、
行動であったり単語であるだけで、
『無』が正しいかな。
なーんもないのが一番の自由。
靴なんてなければ、履いたり脱いだりしない。
大地なんてなければ、飛んだり歩いたりしない。
生きていなければ、死ぬことに怯えたりはしない。
だからこそ『無』が自由ナリ~
そうなってしまうから、あんまり自由を追求するのは、
どうかと思うのよ。俺は。
で、ここからがやっと本題。
なぜ生きているのか?そんな疑問。
「欲望を満たす為」じゃない?
汚い言葉だけど、キレイゴトは好きじゃない。
よく考えてみて。
結局「欲望を満たす為」になってしまう。
アレがしたい・コレがしたい。
アレが欲しい・コレが欲しい。
社会的地位や名声、人から尊敬されたい。
大切な人と一緒にいたい。守りたい。愛されたい。
自由になりたい。
ぜ~~んぶ欲望っちゃ欲望でしょ。
それを叶える為、達成する為、感じる為。
だから、犯罪を犯す人達って、
確かに社会的にはワルイコトをしている。
でもそれは自分の欲望を満たす為に行う。
生きる目標の為に動いたってことになる。
皆が皆、無理矢理欲望を満たそうとしたら、
人はもう皆いなくなってるよね。
文明とか社会とか、なくなってるよね。
理性や良心ってゆうハートの部分が、
欲望を叶えたい願望を抑えてくれる。
そして社会が出来て、ルールがあって、
みんながみんな、お互いを守ってる。
束縛しあいながら。
だけど、生きている理由。
それが『欲望を満たす為』ならば、
理性や良心はそれを妨げる害と捉えられもする。
さあさあ、コンランシテキタカナ?
そして俺のもう一つの目標。
全部の欲求を満たすこと。
全ての欲望を叶えること。
もちろんルール的に正しいやり方でね。
満たしたら、叶えたら・・・
それこそまた新しい悩みや欲求が出てくる。
それも満たして、叶えて・・・
またまた新しい不安や欲望が・・・
こんなエンドレス。
そして、最終的に全てを達成。
欲望の果てまで叶え続ける。
その時の『感情』を体験してみたい。
それが目標って言うか夢。
はっきり言って、実現不可能。
だから夢物語。
まだ喫茶店の方が簡単だよね。
以上。
いや~長かった長かった。
なんかやばいねーコレ。
コレ見たら危ない人だと思われちゃうよ。。
なんつーか、
犯罪者ちっくだし、宗教ちっくだし、哲学ちっくだし。
ダケドオレ、ハンザイシナイ
ダケドオレ、カンユウシナイ
ダケドオレ、テツガクキライ
つーか哲学って何?
ただのその人の持論でしょ。
それを学問って呼ぶなんてどうかしてる。
ニーチェ?しらねーなー
アリストテレス?食ったときねー
「その考えって○○に似てるよね?」
「ちげーよそいつがオレに似てるんだよ」
で・・・、似てるといえば・・・
ああ、止まらない。
回転は止まらないよね。
いっつもこんなこと考えてないよ。
基本バカだし!
そうだな
バカ97%・真面目1%・未開拓1%
そんな仕組み。
だけど、バカな自分が一番好きです。
ええ、好きです。つぼ八。。。。
何でこんなこと書いたか。
だって今日外でたら、暑いくせに湿気が多いんだもん。