13年目になりました 能登の復興も祈ってます | 長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました

長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました

自閉症の長男との暮らし、その思いや日常の出来事を日記として書いてます。

 13年前のこの日、私の中学の同級生は、仕事で仙台市宮城野区の国道45号線を車で走行中、大きな揺れがありパンクでもしたのかと思ったと話していました。

 

 そのうち車がぷかぷか浮かび、振り向くと黒い波が押し寄せてきてることに気が付き、彼は慌てて車を乗り捨て国道45号線を必死に走って逃げて、助かったとのこと。

 

 仙台市の犠牲者が923名、と地元紙で知った彼は「ラッキーだった」とポツリ。彼が逃げ延びた地域に犠牲者が多かったからだ。そして、水圧で車のドアが開けられず乗車したまま流された運転手の安否を気にかけた。

 

 

同級生の家があった地域(仙台市若林区)

 仙台市若林区に住む同級生は、二世帯住宅を新築して両親と彼の家族の三世代での生活が始まったばかりだった。エコカー減税、地デジテレビ買い替え優遇措置など活用し、大型の新車、大型テレビを購入。全てローン返済だが「夢だった、頑張るぞ」と他人が羨むほど張り切っていたが、彼の夢は津波でことごとく失い、残ったのは家、車などのローンだった。

 

 我々は事あるごとに同級会と称して集まっていたが、震災とは無縁の地域からの参加者もいるので震災の話は極力避けていた。だが、どこか、もやもや。でも思い出したように話せるようになったのは我々が年を取ったからだろうか。みんな冷静に話すのは、どこか吹っ切れたのかもしれない。でも、それはそれとして、教訓として忘れずにいなくてはと思った。

 

 

南三陸の津波避難の防災無線

 

 「上に上がって、未希ちゃん」という声が入っている。

アナウンスをした未希さんは、このまま津波飲み込まれ犠牲になった。彼女のこの防災無線の呼びかけで、どれだけの人の命が救われただろう。感謝の気持ちで胸が一杯です。

 

現在の南三陸防災庁舎 震災遺構

 

 

 能登半島では、せっかく設置の防災無線も機器の不備、老朽化などで放送ができなかった地域が少なくとも6か所あったと報道で知り、東日本大震災が教訓にならなかったことを残念に思います。

 

 また、東日本大震災の被災者が支援のために能登の避難所の体育館に行った際、避難者は当たり前のように土足で出入りし、その足元では避難者が雑魚寝をしている、衛生上、問題がある。行政は動いてるのだろうか、と驚いて帰ってきた。

 

 さらに驚いたのは「ボランティア活動者に参加費として1000円徴収する」との石川県知事の発言。災害時に被災者が頼りにするのが行政とボランティアなのに・・・ 情けない。

 

 

 2万人もの犠牲者を出した東日本大震災が、能登の教訓になっていないことを残念に思うと同時に、行政は防災危機管理をしっかり持って、その力を発揮すべきだと思った。そして、一日も早い能登の復興を祈る今回の3.11でした。