特養探し ワタシの場合  ”その2” | ひつじ庵ブログ

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ですって!
しかも、介護福祉士!!
取り立て初心者マーク🔰なので
恐縮です^^;
介護福祉士の受験の話は、
特養探しの後に書いていく予定〜。

実家近くで見たアジサイ

特養探し、

記憶を手繰って、

メモ📝メモ📝

結構、あちこち巡ってた!



母の「私だって、毎日楽しく暮らしたいわよ」とムッとした顔でのつぶやきが、

ワタシを動かす。


その頃の母は老健に入所していて、

受診の度に、一月半くらいの頻度で二泊三日の帰宅を繰り返していた。


家族としては、

コロナ禍で施設内に入ることはできず、

ガラス越しに電話を使っての月2回までの面会。

顔が見られるだけ、病院よりはマシ。

(老健入所前の入院は、平日に病院は着替えと消耗品のやり取りは看護師経由で、面会は不可だった。ナースステーション近くの部屋だった為、チラッと顔が見える日があったのは、とても嬉しかった)


医療費の関係で、

パーキンソン病の定期受診の際は、

書類上、一旦退所&入所として、

二泊三日の真ん中の日に受診する、を繰り返していた。

(老健はマルメと言って、医療費コミコミのシステム。そのため、医療費のかかる人は受け入れてもらいづらい。そのため、母の場合は二泊三日で自宅に戻るという方法になっていた。)


老健サイドとしてみれば、

二泊三日の帰宅で家族が音を上げ、

早々に他へ移るだろうと

受け入れたんだと思う。

新規入所に対して加算がとれるようだから。 

入所の時に、しきりに「他を探してもらって」と言われていたのは、そういう事だったんたなぁ、と、

あくまでも、ワタシの想像。


家族としては、

実家からバス一本だし、

かかりつけの病院までもそのバスで行けるし、

処方薬の薬局も同じく。

こんなにアクセス良いのに、他に移る理由もなく。

父が圧迫骨折して治療中だったためか、

退所の圧はそれほどでもなかったものの、

立ち話で「有料とかは?」と聞かれたことはあったけど。

面談みたいなものはなく。

それで二泊三日、を繰り返してきた。


ある時、

母の健康状態について老健の医師から連絡が来た。

それはかかりつけ医の見立てでは、

既往症絡みの症状と思われ、

特に治療は必要ないとのこと。

家族としても、

母の年齢の事を思うと積極的な治療は希望しない。

老健の医師としては、

緊急事態になったときに対処できないと。

だから、療養型の病院か特養に申し込んでは?と提案される。

話を聞きながら、

ワタシは

医師のデスクに

手帳の上に重ねて

ナンクロがあったのを見逃さなかった!

この医師は、

面倒な仕事はしたくないザンネンなヒトなんだね、と確信したわ。


医師の発言に加えて、

母のつぶやきが、

ワタシの特養探しを始める背中を押してくれた。


持病のパーキンソン病の進行に加えて、

認知症の症状もみられた。

その母がハッキリと不満を漏らす…

自分の意思を訴える。

この時、

様々な不自由を抱える母が

持てる力を振り絞って意思表示をしたんだと思う。

このときの母の想いをしっかりと受け止め、

母が毎日穏やかに暮らせる所を探そう!


ナンクロ医師は信用ならないが、

老健では母が日々のケアを受けられる。

だから、

「入れる」ではなくて

「ここで生活してほしい」と思える施設を探そうと決めた。