ポケットモンスター初代の思い出 | どこかの誰かのメモ帳

どこかの誰かのメモ帳

アニメのあらすじと感想、ゲームの語りや日記、考え事など。
知識や情報は必ずしも正しいとは限らないので責任はもてません。
考え方が変わる事があるので、記事同士に矛盾を感じる事があるかもしれません。
画像は自作とフリー素材を使用、ゲーム画面はシェア可能なもの。

 

 

 

ポケットモンスターの最初の作品は赤と緑、1996年2月27日に発売された。このゲームシリーズはかなり有名だと思うので、細かい情報は省かせてもらう。知らない人は自分で調べてください

元々は七色発売させる予定だったらしい、本当にそうなったら売れ行きのバランスとか、生息するポケモンの配分とかが大変そうだ。

この頃、突っ込みを入れたかったのが最初に選べるのが三匹(御三家)で御三家の最終形態であるリザードンは赤、フシギバナは緑を飾っているのにカメックスだけ省かれるという不憫ぶりを披露する。しかし後に青も発売されて少しレアな感じになっているためむしろ贔屓されている。しかしリメイクでは青が出る事はなかった……マイナーチェンジ扱いなのか? 可哀想。

このゲームのコンセプトは友達と楽しく遊べる事だったと思うのでバージョンによって生息するポケモンも多少異なる、誰かと交換しないとゲットできないポケモンもいるという事。交換しないと進化しないポケモンもいた。兄弟も友達もいないプレイヤーには辛いゲームだった。

今ではネット回線を通じて海外の人だろうと簡単に交換できてしまう、交換の手軽さからわざとバグを送り込んだり無理のある交換条件を出す者もいる、便利な反面、嫌な時代になったな……。

ちなみに、伝説のポケモンを配信するサービスは全て手作業でケーブルを使って直接本体に配信していたらしい。そんな苦労にも負けない姿に感動してしまう。

人気のあるシリーズ作品となったわけだが、この頃はまだまだバランスがなっていない、試行錯誤の時期だっただろう。思い出補正もあるのでこれはこれで楽しかった。

この頃はエスパータイプが最強だった、というのもまだエスパータイプの弱点となる悪タイプが存在していないからだ。エスパーには弱点がなかった、エスパー使いのナツメに苦労した人もいたと思う。この頃は氷も強い、弱点となる格闘技等は今一つである事が多かったからだ。今思うと次のシリーズから登場した悪と鋼タイプはバランス調整だったんだなと思った。

この頃は一部を除いてポケモンの性別の概念も存在していなかったので生殖もできない。この頃からある程度のステータス設定はあったらしいので厳選を行っている者もいたらしいが遺伝も不可能であるためとにかく捕獲にかけるしかなかったらしい。ニドラン♂と♀は性別がなかった時代の名残なのがなんか好きだ。

この作品はとにかくバグが多いのでやりたい放題だった、そのためバグもこの作品の醍醐味とされている。やり方によっては修復不可能と言う悲惨な末路を迎えるのであまり無理をしない方が良い。伝説のポケモン、ミュウは元々存在させないお遊び要素だったらしいのでこのバグによってミュウの騒動が起きている。

この頃はドット絵でピコピコとした音、その無機質な感じから一部がホラーな雰囲気となっている。特にポケモンが安らかに眠るポケモンタワーとその町、シオンタウンは子供をトラウマにさせる程怖いBGMと言われている。特にこの町ではロケット団という悪の組織がポケモンを殺害しているため怒ったポケモンの亡霊が主人公を襲ってくるという怖い演出も。女の子の肩に骨が乗っているというさりげないホラーな一言も子供をゾッとさせただろう。

個人的にロケット団に乗っ取られたシルフカンパニーのとち狂った感じのBGMも苦手だった。ポケモン屋敷とか無人発電所のような人々に忘れ去られた廃墟も物々しさが感じられる、今となっても不思議な恐怖心があってこのゲームは大人の悪意を感じられる(笑)

 



ロケット団が実はゲームコーナーの地下を基地としているところなんかもブラックを感じさせる。ジムに出てきたクイズの答えの候補「しねしねこうせん」等悪ふざけした子供のようなネーミングセンスもある。この作品は良い意味で悪ふざけが多い。

ロケット団もただの馬鹿野郎な印象だったのでシリーズが進む事によって悪の組織側にも重たい理由が発生しているのを見ると時代の流れを感じる。気が付けばこのゲームは大人も楽しめるコンセプトに変わっていたしね。

そういえば思い出と言っていた癖の個人の思い出を殆ど語っていないので語る。

自分はこのゲームではカメックスがお気に入りだった。

なかなかチャンピオンが倒せず、我が家には兄弟がいたので赤と緑の両方あったためチャンピオンの手前でカメックスを交換しては最初からにしてそのカメックスを連れてまたスタート地点から鍛えさせる、という謎の行動を繰り返していた気がする。正直ポケモン集めなんてまるで考えていなかった。

このゲームでは自分の手持ちの親が自分でないとある程度ジムバッジを手に入れるまでは言う事を聞かない仕様になっている。そのため、言う事を聞くまで何度も指示を出していた気がする。今思うとどうしてこんな馬鹿な事を繰り返していたのか、やっていたのが子供の時だったから仕方がない。

ちなみにそのカメックスはレベル100に到達してあっさりチャンピオンのグリーンを倒した(笑)



この他のメモ

・この頃の特有と不便さ

この頃はいあいぎりで草も切る事ができた。

持ち物登録はできないので常に道具画面から選択しなければならない。

ポケモンの小さなアイコンは一つ一つは用意されていない、恐竜系、魚系、植物系等大きく分類されていため小さなアイコンだけでは判別ができなかった。

自転車に乗っている時のBGMは他の町や道に移動しても変わらない。

この頃はパソコンの設定がとにかく面倒臭い。一覧には名前しか表示されないためあだ名を付けてその事を忘れてしまうとどれがどれだか分からなくなる。ボックスは一つずつの操作しかできず、他のボックスを使う時はわざわざレポートを書かなければならない。

・ピカチュウバージョン

後に発売されたマイナーチェンジのピカチュウバージョンでは最初にゲットできるピカチュウが主人公にの後ろをついてくる(自転車に乗っている時、手持ちに入れていない時は歩かない)。話かけると顔を見せてくれる。連れていく、育てていく事によってなついて反応も変わっていく。当時にしては画期的だったと思う。作中で御三家全てを入手できる。

 

ポケットプリンタ対応、周辺機器のポケットプリンタを買う事で図鑑等をプリントアウトする事ができた。ただし用紙の質は悪く、すぐに薄れたり劣化が早かった。