どういう因縁かは、判りませんが ・・・
昭和48年の春から7年もの間、通学の足であった近鉄 大阪線で
毎日のように目にしていた、妙に古ぼけた電車。
それが 「 鮮魚列車 」
Twitter より
当時、小屋番たちの間では、「 鮮魚列車 」 というより
「 行商列車 」 として、みんな認識していたような ・・・
腰の曲がったオバチャンたちが、歩荷さながらの
身の丈の2倍ほどの高さに積まれた荷物を背負って、
国鉄との接続駅でもある鶴橋駅で乗り降りするさまは
圧巻でしたなぁ ・・・
近鉄の 「 鮮魚列車 」 ラストラン
大阪の食を支え半世紀
産経新聞 2020年3月13日(金)
10時33分配信
最終運行を迎えた近鉄の「鮮魚列車」=13日午前8時17分、奈良県大和高田市
三重県の伊勢湾で揚がったばかりの新鮮な海の幸を大阪方面へと運ぶ近畿日本鉄道の 「 鮮魚列車 」 が13日、ラストランを迎えた。大勢の鉄道ファンらが見守る中、上りの最終列車が午前8時58分、大阪上本町駅に到着。昭和38年から 「 天下の台所 」 の食を支えてきた全国唯一の行商人専用列車が、半世紀の歴史に幕を下ろした。( 大竹直樹 )
「 鮮魚列車 」 に積み込まれた魚などの荷物
「 愛着のある列車がなくなるのは寂しいが、これも時代の流れやね 」 。 行商人になった16歳の頃から鮮魚列車に乗ってきた伊勢志摩魚行商組合連合会の元会長、浜田吉一さん(70)がしみじみと語る。
運行が始まったのは昭和38年9月。一般の列車で鮮魚を運ぶと魚特有の臭いなどもあるため、組合の貸し切り列車となった。当時は300人を超える行商人が 「 カンカン 」 と呼ばれるブリキ製の容器を背負って乗り込み、車内には荷物が天井まで積まれた。網棚の上で横になる人もいたほどの混雑ぶりで、浜田さんは 「 一般の人がいないから、連れ ( 友人 ) と大声で魚の売り方とかを話したりして、それはにぎやかだった 」 と振り返る。
列車は日曜・祝日を除く平日に毎朝運行。午前6時1分に三重県伊勢市の宇治山田駅を出発し、3時間近くかけて約140キロ離れた大阪上本町駅へと向かう。行き先や列車種別を表示する先頭車両の方向幕は、「 鮮魚 」 。 外見は通勤電車だが、車内はつり革や中づり広告のない特別仕様だ。行商人はロングシートを寝台代わりに使い、休息を取る。
「 シートにそのまま横になれるから、体も休まる。本当にありがたい電車や 」 と浜田さん。運行ダイヤは昔からほとんど変わっていないが、行商人の乗降がなくなって久しい停車駅も。そうした駅では、一般客が誤って乗るのを防ぐため、ドアが開いても駅員や車掌が安全を確認し、すぐにドアが閉まる。
鮮魚列車に乗る行商人を迎えるため、午前4時半から店を開けてきた松阪駅 ( 三重県松阪市 ) 前の 「 たつ食堂 」 。 店主の中村比早己 ( ひさみ ) さん(61)は 「 昔は一杯ひっかけてから鮮魚列車に乗って、寝て行く人が多かった。高齢化と後継者不足で、今は本当に少なくなってしまった 」 と話す。
高速道路の発達で鮮魚輸送の主役はトラックに移り、鮮魚列車を利用する行商人は年々減少。近年は10人以下にとどまっていた。
近鉄は 「 鮮魚列車は新鮮な魚を運ぶことに貢献している 」 として運行を続けてきたが、車両の老朽化や利用実態を踏まえ、運行を終了することに。14日からは、松阪駅を出発する急行列車の最後尾に行商人向けの専用車両1両を連結して対応する。浜田さんは 「 大阪の台所を支えてきた自負がある。長いこと乗せてくれて、ありがとう。鮮魚列車には感謝の気持ちしかない 」 と語った。
Twitter より
あべの経済新聞
ANN
日本経済新聞
新鮮な海の幸を大阪へ運び半世紀
近鉄の 「 鮮魚列車 」 ラストラン
関西テレビ 2020年3月13日(金)
20時14分配信
関西テレビ
三重県の漁港であがった新鮮な海の幸を大阪へ運ぶ 「 鮮魚列車 」
50年以上にわたって大阪の食を支えてきた列車が、13日、ラストランを迎えました。
近鉄の大阪上本町駅に到着した鮮魚列車は、伊勢志摩地方の海でとれた魚を奈良や大阪へ運ぶ行商人のための専用列車で、1日1往復運行されています。
先頭には 「 鮮魚 」 の文字。
車内はつり革や広告のない仕様になっています。
1963年から運行を開始し、最盛期には100人以上が利用していましたが、車による運搬が増え、利用者が減少。
半世紀以上にわたって大阪の食を支えた列車が、13日多くの鉄道ファンに見送られ運行を終えました。
【 見送りに訪れた鉄道ファン 】
「 やっぱり50年以上も続いていたので残念。長い間お疲れさまでした 」
近鉄は、3月16日から、通常車両の最後尾に行商人向けの専用列車1両を連結して対応することにしています。
まぁ 学生やった小屋番にとっては、
今どきの撮り鉄が、大騒ぎするような思い出もなく ・・・
日常の何気ない光景、
当たり前のように走っていた電車やったんですなぁ。
ま、街の風景や鉄道をはじめとする公共交通機関、
どれを取ってみても、その時代、時代の当たり前の風景 ・・・
時が流れて、本来の役目を終えた時、
それは、記憶の片隅へと消えて行くモンなんやろねぇ ・・・
“ 鮮魚列車 ” 最後の運行終え ・・・
行商人向け新車両 『 伊勢志摩お魚図鑑 』 公開
一般電車の最後尾に連結
東海テレビ 2020年3月14日
17時04分
お披露目した16日から運行する 「 伊勢志摩お魚図鑑 」
( 東海テレビ )
伊勢志摩の海の幸を大阪方面に運んでいた近鉄の 「 鮮魚列車 」 が、13日最後の運行を終え、それに代わる新たな車両が公開されました。
電車の上に示された行き先は 「 鮮魚 」 。 伊勢志摩の海の幸を大阪方面へ運んでいた近鉄の 「 鮮魚列車 」 です。
1963年から運行が開始され、最盛期は伊勢志摩魚行商組合連合会の100人が利用していましたが、交通網の発達などで、現在の利用者は最大10人ほどになっていて、13日最後の運行を終えました。
14日は、鮮魚列車に代わって16日から運行される 「 伊勢志摩お魚図鑑 」 の車両も公開されました。
車両には伊勢海老や真鯛など43種類が描かれているほか、内部には、魚などを入れた箱を置くためのパレットが設置されています。
これまでの鮮魚列車は3両編成で単独で運行していましたが、伊勢志摩お魚図鑑は一般の人が利用する電車の最後尾に連結して運行されます。一般の人は乗車できないということです。
鮮魚列車の代替として、2020年3月16日より平日朝の松阪駅から大阪上本町駅を結ぶ急行系列車 ( 名張駅まで急行、名張駅から快速急行 ) に、専用ラッピング車両である 「 伊勢志摩お魚図鑑 」 を1両連結して鮮魚専用車両とする。なお、「 伊勢志摩お魚図鑑 」 の使用車両は汎用通勤車の2410系であり、編成自体は2両編成である。
Wikipedia より