槍ヶ岳 ( 標高 3179.5メートル )
鋭く天を衝く岩の尖塔は、日本アルプスのどこの山の頂、どこの稜線からも見紛うことはない。
作家 深田久弥にして 「 どこから見てもその鋭い三角錐は変わることがない。それは悲しいまでにひとり天をさしている。」 と言わしめている。
また、
「 いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ヶ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう。」 ともその著書 『 日本百名山 』 に書いている。
しかし 今夏は、そんな願いを持ちつつ、その願いを叶えないままに逝ってしまった者の遺骨を納めに登った。
実際にどれほど登山に傾倒していたのかは判らない。
しかし、小屋番に山歩きや登山というものを教えてくれた ・・・
昭和34年ごろから志賀高原、美ヶ原、霧ケ峰と連れて行ってくれた。
初めての登山は、昭和38年の立山 ( 雄山 標高 3003メートル ) だったかと思う。その後、富士山、白馬岳、浅間山、燕岳、大山、御在所岳といろいろな山に連れて行ってくれた。
なかでも昭和46年ごろに連れて行って貰った、燕岳での一言がいまも小屋番の心の隅に引っ掛かっていた。
申し分のない天気の下、燕岳の肩の山小屋に着いて、そこから眺めた表銀座縦走路とその先に、鋭く天に突き上げる岩峰を指して ・・・
「 あれが槍ヶ岳。 いつかここを縦走して、あそこに登ろうね。」 と
あれから50年が過ぎようとしている。
約束を果たせないまま ・・・
今年1月26日、享年86歳の波乱に満ちた人生を閉じたその人は ・・・
小屋番の母である。
一緒に登ろうという約束は果たせなかったが、一先ず彼女の思いを一万尺の頂に運ぶことができた。