こんにちは!こてつくんです。
今日も引き続き講義の感想を書いていこうと思います。
これまでの記事はこちら。
→【要約】似ていることは日本美術発展において超重要。
講義感想②:美のパラレリズム「似ている」から考える ~具体例 白隠と井上有一~
→【要約】近代的な写しは我流を含めること。
さて、「似ている」には以下2つの種類がありましたが、今日は二つ目について言及します。
・一つ目は、真似して似せる
・二つ目は、偶然似る
「真似して似せる」というのは、意識して寄せて行っていることになりますが、
「偶然に似る」は文字通り、意識していないが結果的に似たということになります。
なぜ偶然似るのか?
以下の要素が大きく影響してきます。
「テーマや課題・考え方や世界観が似ている、作品を支えている要素や背景が似ている」
具体例をあげます。
講義内で紹介されていた一つの例として、
沖潤子さんの作品と、縫仏(しゅうぶつ)がありました。
まず、沖潤子さんの作品について。
こちらの作家さんは古くなった布ボロを繋ぎ合わせて作品を作ります。
「こういう形を作る」と具体的に決めて制作するのではなく、
純粋にボロきれを縫い合わせて、自然とできた形を大事にしています。
制作への思いには一種の祈りのようなものも含まれており、
「古い布がこれまでに歩んできた時間」、「古い布を持っていた誰かの時間」、「実際に制作する時間」、といった時間の中のストーリーの中で作り上げられます。
↓作品例
続いて、縫仏について。
縫仏とは刺繍で表した仏像のことです。
色をつけた紐を、絹に縫って制作されます。
制作に時間も労力も非常にかかる作業ではありますが、織物や染物に比べて簡単な道具で施すことができたため、古くから存在していた布の装飾技術の一つです。
仏教の祈りを捧げた作品ですね。
ちなみに、古くなると紐の色が落ちてきてしまいます。
しかし黒だけは落ちることはありません。
なぜなら、それは「人の髪の毛」だから。
恐ろしい…ですが、宗教的な神聖さも感じます。
ちなみに縫仏の写真、検索しても全然出てきませんでした。
2作品を並べてみると見た目は全く異なるものではありますが、
「祈り」という背景や、ものができる「プロセス」が似ています。偶然。
面白いです。