どうも〜、親にはご馳走様の代わりに「今日の飯食べれました〜。」だったURYUです。
 
前回は「上武大学でAチームの試合に出るまで」のお話をしました。 

 Yトレ

あの時代の上武を知ってる人にとって、Yと言う文字は特別なもの。恐ろしい意味で…。


フィジカルコーチの横山さん(東京都高校サッカー界では有名人)が僕らの代と共に上武大学サッカー部就任。
※ちょうど僕らが卒業するまで指導して下さいました。

この横山さんのトレーニング、通称: Yトレ(イニシャルを取って。誰が名付けたかは不明。)が毎週火曜日のオフ明けにあって、これがめちゃくちゃキツイ!ただただキツイ!!人生で1番戻りたくない瞬間🤣
予定表の【Yトレ】って文字を見るだけで、震えてたのが懐かしいなぁ。

ほんと、火曜日はサッカー部員が憂鬱の日でしたね。

群馬にゴジラ現れて学校壊さねえかな〜と思ってました。🏫🦖
右 横山さん 左 永田 大3


大学2年の時、関東大会にて、前年度日本一になった早稲田大学と試合をしたのですが、

その時のウォーミングアップでは【片足ジャンプ、両足ジャンプ×数セット、対人】といった普通にフィジカルトレーニングのメニューを入れてきて、周りを凍りつかせてました😳🧊
※周りとは僕ら上武だけじゃなく、他の大学のサッカー部もその空間にいて、もれなく皆凍ってた(驚いてた)

「前半から100%が出せるように」って訳でしたが、後半ラスト20分でみんなバテバテなんだよな〜😂 結果その時間帯に2失点で0-2敗退。たしかに前半は動けたけども…。

まぁこの早稲田戦以外にも、横山さんが来た全試合のアップは基本ゴリゴリのフィジカルメニューでした。2対2の対人とかやったしね。(笑)
※何度も言うけど試合前のアップです。

《北関東リーグでは、試合よりこのYトレアップの方がキツいという説もあり…》
2020年9月 僕が上武で臨時コーチしてた時の火曜日フィジカル風景
↑今の学生達がやってるオフ明けフィジカルとYトレは似ても似つかない。
昔に比べて走らなくなったな〜という印象。
※走るから良いって訳でもないけど。


ここ近年はトレーニング理論が色々と世に出てきて、良い物もそうでない物もあります。
何が正解とか、個人に合ってるかは正直分からないです。

もしかしたら、"Yトレは理に適ってない"と唱える人もいると思います。
けど、あの時代の上武でいち早く結果を出すには、横山さんのトレーニング、存在が必要であったのは間違いないです。
あのキツイ練習があったから、上武は力を付けたし、サッカー部の雰囲気が変わりました。

僕もたくさん厳しいことを言われたし、キャプテンになってからの最終学年は1番要求された。
その分フィジカル能力とメンタルが確かに鍛えられました。感謝してます。

高校編で出てきた白石さんもそうでしたが、
『フィジカルコーチが嫌われ役になって選手を鍛える。』
これは横山さんも同じだった。



 "色"が出来てくる

よく〇〇の色って言いますよね。

「サッカー日本代表の色」、「このクラブの色」といったように。

その団体の特徴、理念というか、軸となる部分。

これって凄く大切だと思う。


その"色"が組織の伝統になって行くわけだから。

迷った時に必ず帰れる所は必要。その場所がクラブの色である。


上武大サッカー部は歴史が浅いクラブだったので、その色はハッキリしていませんでした。

始動してからこの辺を全く意識していなかったのだろう。


ただ、白いならその分、色はつけやすい。

大2以降、「上武の色」は徐々に出来ていったし、そして日に日に濃くなった。

大2 天皇杯
大3 関東大会↑↓旗は手作り
大3 関東リーグ参入プレーオフ↑↓
横断幕も手作り『辛い時はこっちをみろ 俺達がついてる!』
大4 関東リーグ参入プレーオフ


大学1年の時、Aチームの試合は全員観戦するルールでしたが、
声出して応援する人(10%)、声は出さないけど一応立ってる人(70%)、座ってただ見てるもしくはスマホいじってる人(20%)だった。

強い大学サッカー部は全員全力で応援してるので、この光景は正直すごくダサかった。
いかにも、僕ら弱い大学サッカー部ですって空気がしてた。
ハーフタイムにはタバコ吸いに行く人いたしね😅
まぁ今の上武じゃありえない話ですが、当時はそのくらいの意識でした。
※言えない話もたくさん(笑)
大2 4年生送別会


大学編初回で話した"動物園"の状態は1年間続きましたが、僕らが大2になってこの辺は改善されていきました。
「みんなで応援しよう」と。
それはAチームの試合だけじゃなく、全てのチームの試合を。
Aチームだけが上武じゃないしね。

座って見るの無し。試合前と後半開始の遅刻無し。声出した方が楽しいカッコいい。

少しずつ、こういう当たり前のことが浸透してきて、部の雰囲気も変わっていきました。

同学年の応援好きのメンバー達と作った横断幕や旗、応援歌。が今の上武サッカー部にも存在してるのが嬉しかったです。
だいぶ年季入ってたな〜🏁
大2 関東大会へ向けて出発
大2 夏合宿
大2 オフに湘南へ。浜辺にいたバングラデシュ人達とサッカーをする。(これは伏線だったのか。)


「チーム関係なくみんなで応援し合う集団を作ろう。」という仲井真さんの働きが効きましたね。

それに僕らの代もサッカーに熱い奴ら、仲間意識強いメンツが多かったから、まとまって先輩達を突き上げる勢いで行動してた。←ちょっと失礼なとこもあった😅

永田「なんで応援しない(声出さない)んですか?あなたのタメ(同学年)が出てるでしょ!?」とか上級生に対してキレ気味に…
今思えば、噛みつき過ぎだよお前って発言してたわ…😂すみません。。。いやー、マジで生意気。


そんな僕らを受け入れ、一緒に行動して下さった先輩達がいなかったら、サッカー部はぶっ壊れてたかもしれません。心広い方々で良かった。
ありがとうございます。

大変なこともあったけど、0からクラブを作っていくような楽しさがありました
そんな時期を経て、"上武の色"は出来てきたのかな。

サッカーの能力は他に比べて劣るかもしれない。
けど、
『みんなが仲間を想い、チームを想える集団。泥臭く、ひたむきに闘う。』って感じ🤔

また、この上武の色が見たいなぁ。
伝統はコロコロ変えるものじゃないし、簡単に変えられるものでもない。

あの時は本気でベストを尽くしていたけど、未来のために、もっともっと色を濃くしたかったなと思う。


 関東リーグへの挑戦

まだまだ交通整理が必要であった上武でしたが、こういう取り組みがサッカーの結果にも良い影響を与えます。


大学2年で北関東リーグを5年ぶりに優勝して、関東2部リーグへのプレーオフに出ます。

大2 関東リーグ参入プレーオフ 永田この時まで背番号は4番


この参入プレーオフ。めっちゃ厳しい闘いです。
関東の各都道府県上位が集まって、8チーム中2チームが関東2部リーグに上がれます。

この時は、
東京都1位、2位、3位。神奈川1位。千葉1位。埼玉1位、2位。北関東1位。でプレーオフ。

2グループ(Aブロック、Bブロック)に分かれて予選リーグを行い、各グループ上位2校が最後のファイナルへ進む。
ファイナルはAの1位 VS Bの2位、Aの2位 VS Bの1位。
これに勝った2校だけが翌年の関東2部リーグに参入できる過酷なバトル。
※関東リーグ残留より、この昇格が難しい。
VS 明海大学


僕らは予選リーグ初戦(東京代表の山梨学院大学)と2試合目(千葉代表の明海大学)を0-1で敗れ、ほぼ望みがない他力本願の3戦目に挑む。

相手は埼玉代表の尚美学園大学。
当時関東リーグ参入の有力候補。しかも相手の学校が試合会場。

もう失う物無いから思いっきり楽しんで闘おう。ってことで伸び伸びプレー。

結果3-1の勝利。

この時、明海大学を除く3チームの勝ち点が並び、得失点差で上武がファイナルへ…。
2敗からの突破ってまぁないよね(笑)
VS 日本大学


ファイナルの相手は日本大学。
タレント揃い、そして経験のある堅いチーム。

そういえば、この時僕らの4バックは全員2年生。
ボランチも永田と現在上武大学サッカー部コーチの藤尾で2年生コンビ。
FWにも2年生。途中出場でも必ず2年生。

僕らの代が主体のかなーり若いチームでした。

そういう経験の差もあってか、こういうゲームでは浮足が立ってしまう。
前半20分で2失点。
後半に1点を返すも追加点奪えず、
1-2の敗戦。
プレーして、レベル高…っと、関東リーグに行くチームの強さをマジマジと体感しました。

このファイナルの日大戦だけでなく、プレーオフの4試合、全て相手は強かったです。
スピード、フィジカル、技術、経験。どれを取っても上武より数段上でした。
※都道府県リーグのレベルでも、大卒Jリーガーはたくさんいます。

こういう厳しい試合を毎週経験できる関東リーグは凄く楽しいんだろうな。。。
っと憧れも増し、
「何としても来年はこれに勝って、最終学年の4年では関東リーグでプレーしてやる!」と想いが一層強くなりました。

そして、大学3年目の春に、あの中田英寿をベルマーレで育てた植木繁晴監督が上武大学サッカー部に就任します。
そこからまた、永田のサッカー人生が変わる。


次回へつづく…