どうも〜、秩序のないバングラデシュにドロップキックしたいURYUです。
 
前回は「一生忘れることのない高校サッカーのラスト」をお話をしました。 
今回からは最終章の大学サッカー編です。このシリーズは、キリがいい学生時代をもって終わりとします。
 

 上武大学しかない…

高校最後の大会(選手権)はあのような形で幕を閉じた。
僕は大学でもサッカーを続ける予定だったので、部活を引退してからもほぼ毎日部活に出てました。
ちなみに引退後は地元の大好きなラーメン屋でバイトをしてました。(ラーメン好きなもんで😋)
 
 
選手権が始まるまで、僕は既に4つの大学の練習・セレクションに参加。
当時、
①関東一部リーグの大学
②関東二部リーグの大学
③東海二部リーグの大学
④上武大学(北関東リーグの大学)
この内の①②は向こうから呼ばれて行ってる訳ではなく、監督とコーチの繋がりです。
 
③はスカウトの人が練習に見に来て、「とりあえず選手欲しいから多摩目の誰か来て下さい」←とは直接言ってませんが、まぁ来たければみんな特待生で取るよって感じ。
 
④の上武大学はコーチの仲井真さんがよく僕らの試合を見に来て下さっていて、高2の時から気にかけてもらっていました。
仲井真さんと。2020 11月
 
 
①の大学は練習に参加して、そこそこ手応えはあったけど、不合格。
②の大学はセレクションで、全国から70人くらい集まったのかな。全然アピールできず、結果は不合格。
③の大学は言わずもがな、既に合格。練習の雰囲気見たいから行ったけども、良いとは思わなかった。
 
そして、④の上武大学は多摩目で1つ上の先輩である本吉さん(現:おこしやす京都AC [社会人関西一部リーグ])が行ってたこともあり、ずっと親近感はあった。

 

 

あと、さっきも書いたように仲井真さんが僕らの試合に何度も何度も足を運んで下さって、何か縁がありそうだな…とは感じていた。
 
最終的に上武大学へ進学を決めるのですが、その理由は本吉さんがいるからと、仲井真さんの人柄と熱意。
あと、寮生活でサッカーに打ち込める、関東リーグ参入を狙える立ち位置である。
 
そして、上武よりレベルの高い大学へ行ける宛が無かった。(笑)
僕の能力では選べる所がなく、上武しかなかったんです。
当時の上武は入りたければ誰でも入部できました。
※昨年からは人数多すぎるため合否の診断あり。
大4の春
 
 

 進学先は動物園

志望理由も聞かれない、ゆるーい面接(好きな食べ物とか聞かれるレベルの雑談)が10分足らずで終わり、無事に上武大学合格。
 
頭の良い大学に行きたい!とか言ってた少年は、偏差値40以下の田舎大学に決まりました😂
上武(じょうぶ)にちなんで、「大丈夫大学」と巷では若干舐められてる学校(笑)
学生をざっくり別けるなら、99%のスポーツバカと1%の訳アリ。
 
まぁよくある田舎のスポーツ大学です。サッカーするためだけに入学しました。
僕のいた頃は、駅伝は箱根に出るし、野球は日本一になるし、他の部活も強化し始めた。
大1 4年生引退試合後ビールかけ↑↓永田 裸
入部した時の部員数は2、3、4年生が合わせて40〜50名。
そこに僕ら新入生が25名程入って、合計70名くらい。
 
今の上武大サッカー部はこの倍の数いるけど、当時はこんなもんでした。
↓去年臨時コーチしてた時のYouTube

 

 
で、いざ入寮したら、寮のいたる部屋から聞こえる爆音と寄声😅
寮内の廊下、部屋、階段が殴られた蹴られた跡で穴だらけ(笑)
毎晩どこかの部屋では宴会。
学校から寮までの道のりは、タバコをふかしながらチャリを漕いでるガラの悪い先輩達。(笑)
挨拶はほぼ返さない。
寮はポイ捨ての吸い殻で溢れかえってた。
 
隣の部屋の先輩が、爆音流しっぱのまま練習に行ってたとかよくあったな…🤣マジでうるさいwだいたい歌はAK−69♬
とにかく昼夜あの寮は揺れてた(笑)
 
やりたい放題の動物園
※もちろん、入るまではこんな感じだと思ってなかった(笑)これが大学サッカーか!と受け入れる…。
大1 先輩達と。永田 左下
 
 

 意識の高い同期

そんな動物園に入園した永田。
大学サッカー生活はどうなるのか…。本気でサッカーに打ち込めないんじゃないか…?
と色々不安はありましたが、同期に本当恵まれました。永田の学生時代は毎度良い学年に巡り合えてた😊
大2 永田 2段目の左端黒
 
多摩目より選手を集めてはいますが、タレントいるな〜と思ってた高校時代以上に、大学の同期はタレントが揃っていました😳
僕らがスタメンの中心になる2年次から引退までの間、ほぼメンバーが変わらなかった。
それくらい能力の高い絶対的な存在が多かったです。
そんで個性(我)も超強かった。😂
大3 永田上段左から4番目
 
そして、みんな意識が高くて仲も良かった。
ガラの悪い先輩達(最終的には仲良くなって良い人達)の愚痴を毎日のようにして、「俺達は流されないようにしよう」って空気が自然にできていましたね。
 
「意識の低い連中をサッカーで黙らすしかない」って結束してたし、真面目というか、サッカーに真剣。
先輩からしたらかなり生意気な代ではあったと思います(笑)
目障りの代というか。
大3 4年生の送別会ムービー撮影 永田宇宙人
 
ダラダラテキトーにやるのとか、チャラチャラだらしない生活の中でサッカーするのは嫌いだったので、先輩とぶつかった事は何度もありました。
けど、"俺は本気でやりたい"と信念を持ってたし、それに相手が年上だろうがサッカーをするのに関係ないと思っていたので、言いたいことをガンガン言ってました。嫌われるのを恐れず。まぁその言い方とかが悪かったりはしたんですけどね😅
 
 
そんな僕らの代が出てきてからは、1個上の先輩達にとって凄く居心地が悪くなったと思います…。
それもあって、10人以上の人達が部活を、大学を辞めていきました。
もれなく皆さんガラは宜しい方ではなかったけど、サッカーはめっちゃ上手かったし、プライベートではよく可愛がってもらいました。
1個上の先輩達withイチロー、菅野美穂
 
 
だから、複雑な気持ちでした…。
あぁいう姿勢だったけど、本当はサッカー好きな人達で真剣にやりたい想いはあっただろうし…。
彼らを巻き込んで一緒に進む。ではなく、間接的に追い出すようにしてしまったのは、今でも気持ち良くはないです。
学生はプロじゃないから簡単に排除って言葉を使いたくはないですよね。
 
でも、ここから上武は新しい時代になっていったのは確かです。
これまでの空気が変わった出来事だった。
 
 
次回へつづく…