どうも〜、悔しがるのはガチで上手いURYUです。

前回は「多摩目で学んだこと、大さんの言葉、キャプテンになるまで」をお話をしました。 

それまでインハイも選手権もベスト32、16止まりで、惜しいとは言えない2年間。
けど、東京都ベスト400から始まったサッカー部もだいぶ力はついてきた。

 元チームメイトとの対戦

高3のインターハイ。
都大会の組み合せをみたら、ベスト16をかけた試合でかえつ有明と当たる。

この高校は、中学時代のチームメイトが3人行ってました。全員レギュラーの中心人物。

そのうちの1人、小学生の時も川崎選抜で一緒だった戦友、
大石文弥選手《横浜FC鶴見JY→かえつ有明高校→明海大学→ブラウブリッツ秋田(J3)→現在は東京23FC(社会人関東一部)》から、
中3の夏に「かえつ有明の練習会へ一緒に行こうよ」と誘われてました。
※オレンジのGK大石くん(かえつ有明)、右端の大きい人 成田くん(帝京)、真ん中のふてくされ永田(多摩目)

↓大石選手のゴールキーパースクールはコチラ。川崎駅のルフロンでやってますよ!


けど、その時はサッカーへの執念も無ければ、頭悪いとこは行きたいない(本人はバカ)って謎の精神状態だったので、断ることに。


インターハイ、このまま勝ち進めば、かえつ有明と戦うことになる…。

ずっと、元チームメイトがいる高校と対戦したくてしょうがなかった。
これほど燃える試合はない。


そして、トーナメントを勝ち進め、念願だった試合をすることに。

当時のかえつ有明は、あの学校史上で1番強かったんじゃないかな?😂そのくらいタレントいました。
特待生でガンガン集めてる感じ。
後に上武大学で同期となった選手達もいます。

僕らはスポ薦で呼んでないにも関わらず、タレントは揃っていましたが、相手の方が個の能力は高かったです。


試合は、
先制するも、1-2の敗戦

これは実力負けだわ。という感覚。
多摩目は僕らの代だけで3年間通算すると、練習試合含めて負けは10試合以下。
何故かあまり負けなかったのですが、その中でこの試合は完全に向こうのが上手(うわて)だなって認める敗北。

このあと、かえつ有明はインターハイ東京都代表として全国へ行き、全国ベスト16になります。

負けたけど、元チームメイトと熱い試合ができて嬉しかった。


 引退組と続ける組

多摩目は進学校です。
なので受験勉強の為、インターハイで引退をする3年生がいます。
サッカー強豪校や、進学校ではない所からしたら、何それ?って話かもしれませんが、これは他でもよくある事です。

僕らの代は最終学年までに残ったのが26人。
そのうち15人がインハイで引退して、あとの11人が選手権まで続けることになりました。
インハイでかえつ有明に負けて、3日後にミーティングがあり、
その日に選手権まで続けるか否かを報告しろとのことでした。

どうやって報告をしたか忘れましたが、監督が選手を別けて座らせて、「こっちの奴らは今日で引退だ。お疲れ様。」と言ったのは覚えてます。

その後みんなで大泣きしたんだよな〜😂
一緒にやってきた仲間が引退すること、とても寂しかった。
一生懸命やったから泣けるんですね!青春です。

インハイで辞めないで、みんな選手権までやる代が出てきて欲しかったけど。お前らでも無理だったか。」
って大西コーチがボソッと呟いてたのも悔しかったな。
多摩目が強豪校になるには、みんな選手権までやるのが当たり前。って風にならなきゃいけないかもしれません…。
※学校との兼ね合いでそこら辺は難しいですが。


 取り消された終了の笛

この事を公で話すのはこれで最後にします。


今でもサッカーをしている僕ですが、後にも先にも1番悔しい試合はこの試合だと断言できる。


【高3選手権 帝京戦】


僕らの最後の大会、選手権。全国へのラストチャンス。

チームの仕上がりも良かったし、本当に行けると思ってた。

トーナメントの2回戦で当時毎年全国に行ってた王者帝京との対戦。

このカードを引いたのが僕です。決まったときは、震えました。

帝京とココで当たるのか…と。それくらい彼らは強かった。名門ですからね。

※帝京にも2人横浜FC鶴見の戦友がいました。元チームメイト達と戦うのはまた何かの縁ですね。(一人はこれまた川崎選抜でも一緒の成田くん。現在彼はカンボジア1部リーグでプレー中!)

この試合のことを説明すると長くなります・・・簡単に言うと、誤審とかそういうレベルじゃない、ルール上謎のジャッジ。

試合終了の笛を吹いたのに試合が再開するという。

あの時は何が起こったのか全く分かりませんでした。とにかく必死だったので。

試合中冷静になって抗議できなかった自分を悔やみます。


弱小だった多摩大目黒が名門の帝京に2-1で勝つ。

ほんの一瞬、このまさかの番狂わせで大喜びでした。

これは一生忘れたくても忘れられない、忘れちゃいけない出来事です。


この試合で僕らは引退となり、ほとんどの選手が現役最後のサッカーとなりました。

(↓問題となったシーン)

https://youtu.be/YGkpC_HOkFQ 

今でもこの動画はたまに見ます。

サッカーで上手くいかない時とか、モチベーションが下がってしまう時などには尚更見ます。


見るのは辛いですが、何か熱くなるものがあるし、この経験があったから今もサッカーが続けられています。


「あいつらの分まで!」は言い過ぎですし、誰に頼まれた訳でもないですが、

これ以降サッカーがやれなかった仲間達がいることを忘れずにプレーしていくべきなので。

「あの時(この試合)の多摩目サッカー部員」なんですね!っと大学で、オーストラリアで、バングラデシュで、今でもサッカー好きの方に言われます。


それだけあの出来事は高校サッカー界だけでなく、日本のサッカー界で話題になった話でした。


もう10年も前のことです。

今後こういうのはもう起こってほしくないですね。

高校サッカーにかけてきた選手達が可哀想です。

悔しさを忘れない為に、当時の選手権トーナメント表は持ち歩いています。(多摩目はAブロック右から2番目)

 

当時のメンバーで、「あれから時止まってる気がするわ〜(笑)」って言う選手もいます。

分からなくもない!


その後の高校生活も、「このまま俺ら終わりなの?え?」ってずっと引きずっていました。
負けた感覚ないというか、終わった実感がないというか。
もしかしたら、今でもそんな実感ないのかもしれません。
引きずってないけど、
あの先進んでたらどうなってたのかな?…っと。思ったりはします。
これが僕達の高校サッカーラストでした。
ある意味ドラマチックな終わり方。

サッカー嫌いになりそうな話ですが、その後、僕は大学に行ってサッカーを続けます。


奥監督、大西コーチ、白石フィジカルコーチ、顧問の老谷先生の話は何度か出しましたが、
塩川コーチとのやりとりを書けていませんでした。

今1番連絡を取ってるのが塩川コーチ(現在、モンテディオ山形ジュニアユース代表)であり、高校時代1番ボランチの仕事や個人的にアドバイスをくれた存在です。
川崎フロンターレの選手時代は、よく試合を見てました😊

塩さんの、「勝負事は9割がしんどいこと、あとのたった1割の喜びのために、地道に腐らずやっていくんだ。」って言葉はずっと忘れません。いつも心にあります。

このスタッフ陣、部員、マネージャーとの高校サッカー生活はとても幸せでした😊
みんな天国の大さんに胸張れる人生にしたいですね!!


というわけで、高校サッカー編はこれにて終了となります。
だいぶコンパクトにしたつもりが、長くなってしまいました(笑)
次からは学生最後のステージ、大学編になります。

ここまで来たならこのシリーズも最後まで宜しくお願いします!

次回へつづく…