どうも〜、安定の最初にやられるヤムチャ的立ち位置URYUです。

前回は「地獄の仮入部と多摩目伝統走り」のお話をしました。 

今回は1年生編の話です。


 たまたま集まった学年

僕らの代は結構タレントが揃ってました。
サッカーでもお笑いでも。
彼らがいたから楽しかったし、サッカーに燃えました。

出身はJ下部、街クラブ、中体連、多摩大目黒中学内部生と様々。
その内スポーツ推薦で入学したのは横浜FC本部から来た3名のみ。

あとの選手達は学校から呼ばれた訳ではなく、僕と同じように、受験に失敗してすべり止めがココだった。みたいな感じで、多摩目サッカー部に流れてきたんですよね。

集めた学年ではなく、たまたま集まった学年。

それでもサッカーできる子が多かった。

技術的にというより、特徴や個性があって味のある感じ。

今でこそスポーツ推薦枠は増えてるし、名も知れてる多摩目ですが、当時を考えると、よくあのメンバー集まったわ〜と思う。

※後にプレーする上武大学もそうですが、ホント同期に恵まれてます僕は。

左端の19番


 東京都ベスト400

入学前の2月頃から既にスポーツ推薦と、多摩大目黒中学の選手達は高校サッカー部の一員として練習をしてました。

仮入部の期間、彼らは僕らと別組=大して走ってない方。


それから本入部が完了し、4月末のインターハイに向けたメンバー(Aチーム)のセレクトを奥監督がします。


グラウンドの真ん中で、「〇〇、〇〇、〇〇」っと選んでいく感じだったかな。

上級生はほとんど決まってて、1年生を何人かピックアップするのがメイン。

スポ薦と多摩大目黒中上がりの良い選手はもちろん選ばれる。


奥監督「〇〇、〇〇…まぁこんなもんかな(終わりの雰囲気)」


大西さん「こいつできますよ👈(俺を指指す)」


またもや大西さん登場!!(笑)監督の目の届かないとこまで見てくれてるってありがたいですね〜。



そして、入学したて初めての大会(インターハイ)は1年生で半数以上メンバーを組む。

この時に貰った背番号は"19"

中学時代は何故か1度も付けなかったこの番号。

それ以降、初心に帰る気持ちで常に19番を背負ってプレーします。今日まで。 

インターハイの結果は地区予選1回戦敗け。
僕はベンチで出場無し。

前々回の記事でも書いた、東京都ベスト400!?が現実となる…。
高校サッカーはここからの挑戦になりました。



 1年生大会

インターハイが終わってすぐにフレッシュカップという1年生大会が始まりました。

公式戦ではなく、交流試合みたいなものです。


東京都全学校が参加する訳ではなく、希望する学校だけの大会。確か24校くらいかな?

少ないと思うけど、強い高校だらけでした。

そんな大会に弱小の多摩目が参戦。しかも前年度の成績はビリだった😂


けど、僕らの代は前でも話したように、タレントがいました。

粗削りではあるけど、育てれば良くなりそうな気配。

この1年生大会は東京都上位校と俺達がどれだけ差があるのか?を試す絶好の機会。


予選リーグで前年度の選手権全国出場校『駒澤高校』と対戦。

試合前から相手のオーラやばい。みんなスポ薦でエリート。上手い。


結果、なんと2-0で勝利←びっくり😂


まぁホームだし運も良かったな〜と話してたら1位通過の決勝ラウンド進出。


決勝ラウンド結果ー(全て強豪)

國学院久我山1-0○←あれ?

実践学園2-1○←お?

成立学園3-2○←ええー?

高1 右上坊主

なんか勢いに乗って優勝しちゃいました🤣

前年度ビリ、インターハイ初戦敗退の弱小でしたが、この1年生大会を機に、多摩大学目黒?奥大介が監督??っと少ーしずつ東京都高校サッカー界に名は広がることになる。

俺らの代がどれだけ行けるのか…。楽しみになってきたし、

「全国マジで目指せるぞ?」って夢が現実的に、目標になる。

いつしかみんなの気持ちも「東京制覇する。」ってなってた。



ちなみに、この1年生大会は秋まで続いて、その間に選手権も戦ってます。(地区予選2回戦負け)

成長期の高校生はやはり身体能力がものをいって、1年生集団の限界がありました。

※永田は怪我によりメンバー外応援。1年目の公式戦は地区リーグしか出ませんでした。



実のところサッカー外では、

やらかした数、坊主が多めのだらしない高校生活前半だった…。

そこから『何故かキャプテンに任命されるまで』を書けたらいいかなと思います。


次回へつづく…