どうも〜、なんか諭吉に悪いからキャッシュレスにしないURYUです。

前回は「全く想像しなかった高校に決まった」お話をしました。


 パンフレットを見て

担任の先生が選んだ滑り止めの"多摩大学目黒高校、通称:多摩目"へ行くことが決まり、高校でサッカーをやろうか迷いました。

学費はかかるからバイトして、これまでサッカーに費やした熱と時間は勉強にシフトしようかな…と。
それで大学は周りを見返せるレベルの所に入ってやる。と思ってました。
正式に多摩目へ行くことが決まってから、ちゃんとパンフレットを読んでみると(それまでちゃんと見てなかったのは大問題w)、、、

「サッカー部 都大会ベスト16」

と書いてあって、
え?そこそこ強いのここ?っと驚く。

そんで、半年前にはサッカー部の監督に
奥大介
が就任してた…。

あの元日本代表、奥大介ですよ。
僕の世代から上のサッカー好きはみんな知ってる。
ジュビロ磐田、横浜FマリノスでJリーグ優勝を果たしたり。(マリノス時代にはキャプテンで優勝)
Jリーグベストイレブンに3度も選ばれたり。
日本サッカー界のレジェンドです。

最後は横浜FCで現役生活を終え、その後多摩大学目黒高校サッカー部監督になりました。
これもよく勘違いされますが、奥大介がいたから多摩目に行った訳じゃ無いです。
何度も言うように、担任の先生が選んだ滑り止めです。(笑)

そんでそんで、パンフレットにはまたも朗報。
僕らの代が入学と同時に、
練習グラウンドが土から人工芝に変わることも決定!!

これはサッカーやってる人なら分かると思います。土と人工芝なんて、環境は雲泥の差です。(ボール跳ねない、雨でもできる、トンボかけなくていいし、服は汚れない)

中学はJリーグの下部組織と言えど、土グラウンドで練習をしておりました。
なので人工芝でサッカーができるなんて幸せすぎる😊


「サッカーはそこそこ強そうだし、環境は良いし、あの奥大介が監督なら……サッカーするのあり、かも…?」っと心揺れだす。

まぁサッカー部に入るにしても、入らないにしても、一度見てみよう。ということで、まず学校へ電話。
当時の顧問の老谷先生(今後この人とは色々なバトルを繰り広げる)に詳細を聞き、中学卒業後の春休みに練習参加することが決定。


 練習参加

目黒という名前なのですが、

授業を受ける校舎だけは目黒にあり、サッカーグラウンドは横浜市のあざみ野にあります。


南武線の最寄り、鹿島田駅から武蔵溝ノ口で田園都市線に乗り換えて、あざみ野駅で下車。

そこからバスと歩きで20分くらい。

※家 to 練習場で約1時間


山ばっかだな〜この辺。ここまで通うのしんどいわ。って早くも愚痴をこぼしながら到着。

↓できてすぐの時かな。 2009年4月

練習参加した時はこの人工芝グラウンドが未完成だったので、奥に見える白い建物(体育館)内でひたすらミニゲームをしました。


着いてすぐ、コーチ陣が待機してる部屋が見えたので挨拶に。

永田「本日練習参加に来ました、永田羽竜と申します。宜しくお願いします。(ちょい緊張)」


奥大介「あぁ、後で集まった時に自己紹介してもらうから〜(食い気味の返答)」


永田「分かりました。(奥大介じゃん!)」


自己紹介を終え、ミニゲームスタート。

何チームかに別れて行うミニゲーム。試合してる2チーム以外は周りで待機。

試合を外から見た感想ー


え、、、下手…!?



試合をプレーした感想ー


やっぱ下手だ…
※当時の先輩方すみません。ありのままの事実を書いてるのでお許しを。(笑)

コーチ陣チームが1番上手くて勝ってました😂
当時の多摩目は奥大介監督だけではなく、元Jリーガーの塩川岳人コーチと大西昌之コーチ、ドSフィジカルコーチの白石さんがいて、みんなめっちゃ上手かったです。

この4人が練習に混じってきます。(笑)
30代前半でまだバリバリ動けてたし、手加減なし。つい数年前までプロでやってた選手と高校生
の差は歴然。

こういう風に生でプレーを見せてくれたから、多摩目サッカー部は後に強くなったし、僕も成長できました。
右からー 大さん、塩さん、白石さん


 サッカー部入るわ

コーチ陣は凄いけど、部員のレベルが想像していたレベルとは違い少々ガッカリ。

たまたま小学生の時に対戦してて、顔見知りだったIくん(多摩大学目黒中学校から高校へ上がった同学年の部員)がそこにいて、彼に話を聞いたところー

永田「えっとー、多摩目って東京都ベスト16なんだよね?」

Iくん「ん?それは"多摩大学目黒中学サッカー部"の成績だよ。高校サッカー部は都大会も行けないし、この前は地区予選1回戦敗けだよ〜。(半笑い)」


えええーーー🤣🤣🤣

パンフレットにはたしかに書いてあった。。。ベスト16と。
地区予選1回戦敗けって、東京都ベスト400じゃん😅
今でこそ都内では名の知れる多摩目ですが、あの時代は弱小でした。


ちゃんと調べてない自分も悪いけど、ミスと言い訳で逃げれるあのパンフレットは充分な詐欺だぞ(笑)
大西さん

その日、周りのレベルが低いことや、Jリーグ下部組織上がりのくだらない勘違いプライド(←サッカー経験者には分かるあるあるだよね)もあって、チャラチャラすかしてプレーした。


そして、コーチ陣チームと試合を行った時、大西さんに思いっ切りぶつかられる。
吹っ飛ばされる
舌打ちする
睨まれる

「なにイキってプレーしてんだてめぇ。甘えんだよ。」っとその時言われたかのような気がしました。
※大西さんそういう選手大嫌いだからな〜😅


そんなこんなで練習が終了。
まだこの時まで迷ってました。サッカー部に入るか入らないか。

帰りの準備が完了し、バス停まで歩こうと校舎の玄関を出た瞬間、大西さんからー

大西さん「あざみ野駅までスクールバス出してるから乗ってけよ?(※練習後は駅まで大西さん運転のスクールバスあり)」

永田「いや、大丈夫です。一人で帰ります。(初対面の先輩達と一緒に乗るなんて嫌だわ)」

大西さん「そうか。お前、できるから(サッカーが)入部までしっかり準備しとけよ。」

永田「は、はい…。」

※このやりとり以外にも、その後3年間で大西さんから頂いた言葉には愛があったし、僕を奮い立たせてくれました。
高3 選手権


帰宅後ー
永田「俺サッカー部入るわ。」
「あそう。」

本当はもう一度、本気でサッカーがしたかった。


入学式が無事終わり、人工芝も完成して、サッカー部の仮入部がいざスタート。
初日の練習には新入生約60名が参加。
みんなこの環境でサッカーがしたい!!と集まった様子。

だが、そこに待ち受けていたのは地獄だった。


次回へつづく…