どうも〜、パスタ作るときは決まって純恋歌(湘南乃風)を歌うURYUです。
ここ最近は僕の過去を綴っているだけのブログですが、皆様からの温かいメッセージと、一応見てくれてるんだなってリアクションを頂けてとても嬉しいです😊(もっと下さい。)
このシリーズは僕と接点があった人も無い人も、ストレスフリーで読める味付けに仕上げていくので、どうぞ宜しくお願い致します。
前回は「苦しい経験をして、サッカーを辞めたくなった」お話をしました。
将来に希望を抱き、期待膨らませて挑んだ中学サッカー生活はあのような形で幕を閉じた。
最後の大会に出れなかった僕は、もちろんユース昇格の話はなく、サッカーの強い高校からのオファーなども皆無でした。
僕らの代の横浜FC鶴見ジュニアユースから横浜FCユースに昇格した選手はいませんでしたが、試合に絡んでる選手達は名前のある名門・強豪校にスポーツ推薦で進学を決めました。
どこの高校へ行く?
当時の永田羽竜はとにかく勉強ができませんでした。今も頭は良くないけど、あの時程ではない。
連立方程式って美味しいの?😋って領域だった。
成績は体育が5で他は2か3。
僕が通ってた地域の中学校は他の区と比べて頭は良くなかったので、成績の評価も甘い。
※川崎の南部と北部では小中学生の偏差値がかなり違うんです!!
それにも関わらず成績が低い…。
クラブでは2学期連続で成績表がオール3より低ければ退部ってルールがありました。
僕含め3人(みんな川崎南部出身)が成績不振で、次の学期でオール3以上取らなかったら退部ってリーチの時があった。(笑)
結果、死に物狂いでテスト勉強&担当の先生に媚び売る戦法でなんとかクリアして退部にならずにすんだ😅なんというレベルの低いお話。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/00/uryu-nagata/43/06/j/o1080072414953013873.jpg?caw=800)
中学の仲間達と。成人式2014
じゃあ、高校からのオファーも無く、頭の悪いこのガキはどうするのか?
クラブの監督は、「偏差値の高い学校は無理だけど、スポーツ推薦でどこか決めるか?」と進路の話をしてくれていた。
けど、"頭の悪い学校は行きたくない"から自分で探すと返答。
馬鹿な奴が何を履き違えたか…、頭の悪い学校は行きたくないだと!?😂
そこから猛勉強に励む。
人生初の受験勉強
頭の悪い学校に行きたくないと言ったからには、世間では頭の良いと言われてる学校に行かないと筋が通らない。
[頭の良い学校=偏差値が高い学校]となるだろう。
正直、この頃にはもうプロサッカー選手の夢なんてとっくに諦めてました。
サッカーを楽しめなかったクラブでのラストを経験し、これからはただ純粋に楽しくサッカーがしたかった。
高校の後の人生は全く考えてなかったし、その先もサッカーやるつもりは無かったけど、全国高校サッカー選手権には出たかった。
みんなあれを見て高校サッカーに憧れ持ちますからね。
じゃあ偏差値の高い、全国を狙える強さの高校に行こう!と決めました。at 中3の11月
挑戦するのは、武蔵小杉にあるMARCHの大学付属高校。
そこからは学校帰宅後に19時まで寝て、飯食って風呂入ってから猛勉強。そのまま寝ないで学校に行き、帰宅後はまた19時まで寝て…の繰り返し。
今考えたら超効率の悪い夜型勉強法でした。27年間でこの時が1番シャーペンを握った。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/00/uryu-nagata/14/4b/j/o1080079714953013877.jpg?caw=800)
多分高1の春
結果は…
2月の受験まで毎日ひたすら慣れない勉強。けどこの頃には学力がそこそこ上がってて、成績表もオール4になっていた。(もちろん先生への媚びは継続して)
ただ、私立の一般受験は一発勝負。これまでの成績表は関係ない。
そして、挑んだ結果…
「不合格」
偏差値60以上のとこを3ヶ月ちょっとの勉強で受かる程簡単ではなかった。
本当にそこへ行きたい人は1年前から勉強してるし、そもそも頭が良い。
中学3年間サッカーのみで、勉強から逃げてた自分にはかなり厳しい挑戦であった。
まさか高校に一般受験するとは思わなかったしね…。どうせスポーツ推薦で高校へ行く、みたいなその考えが甘過ぎた。
その後、地元の公立高校のスポーツ科を受ける。
後期受験ってやつです。(今は前期後期もないらしい)
県内の公立にしてはサッカーもそこそこ強かった川崎市にある高校。頭はそこそこ良い。チャリで行けるし楽。
選手権はまぁ厳しいけど、楽しむならいっか〜と考え決める。
しかもそこのスポーツ科を受けるので、卒業後はスポーツ関係の仕事につければいいかな、とこれまた安易に未来を想像。
私立と違い、成績表も関係する受験なので、オール4の最後の成績が効く。
担任の先生も、この成績ならきっと受かるはず!!と言ってくれました。
受験当日は筆記でまずまずの手応え。
実技のサッカーテストもありましたが、こりゃ余裕で受かったは〜の手応え。
結果…
「不合格」
これにはめちゃくちゃ驚いたし、ガッカリでした…。絶対受かると思ってたから、だいぶ泣いた。(結構泣き虫)
もしかしたら、スポーツ科は高校の部活に入る人を採るから、お前がユースに行くと勘違いされたのでは?みたいなことも先生から言われましたが、本当のことは分かりません。もしそうだとしたら自分がそのことを、伝えてなかったのがいけないし。
とにかくナメてました、受験を。
サッカー以外なら、これが人生で最大の挫折です。
導かれるようにして
この公立高校は絶対に受かると思ってたから、併願(滑り止め)は一切受けないつもりでした。受けるのに2万くらいかかるから無駄だろーなって理由で(笑)
けど、担任の先生に「万が一のこともあるから併願を受けときなさい。私がサッカーに力入れてる学校を探しとくから。落ちたら定時か通信だよ?」
っと説得されたので、渋々「分かりました。」と返答。
※この出来事も人生のターニングポイントの1つ
で、後日その先生が持ってきたパンフレットの学校名は、
多摩大学目黒高校
でした。
よく勘違いされるのですが、僕は多摩目(多摩大学目黒)には特待生でも無ければスポーツ推薦で入学したわけでもないです。呼ばれてないです。
そう、全くノーマークで行く気もなく、担任の先生が選んだ高校😂
万が一が起こったんです。(笑)
パンフレット見たときは「うわー、この学校つまんなそうだなー、絶対行きたくねえわ!」と思ってたが……全てが不合格。
何かに導かれるようにして、滑り止めだった多摩目に行くことになりました。
※受験勉強の時期に成績が上がったから併願を取れた。後になってこれは大きかった。
サッカーでも高校に行けなくて、一般受験でも高校に行けない。
自信とかも無くなってたし、もう人生どうにでもなれの心境。その年齢にしてはまぁまぁどん底。
※この先もしばらくこれがコンプレックスでした。
「高校は私立だし、金もかかるから、サッカー辞めてバイトするわ。」って家族や友達に話をして、最初で最後の高校受験が終わりました。
(またしてもサッカー辞めようとしてた😂)
そして、誰にも期待されず、自分にも期待せずに高校へ。
ただ、ここから色んな出会いがあって、面白くなっていく。
(高校編は今回書けませんでした!)