どうも〜、過去は語らないURYUです。

前回は「超意識の低いサッカー少年」だったお話をしました。ちょっとブログの更新が空いてしまいましたが、暑さのせいってことにしときます。
続きー
この出来事は確実に人生のファーストターニングポイント。
性格もあれから今まで大して変わってない気がする🤔
永田は上段左から2番目
小学生の時に所属していたサッカークラブは下河原SC (現:下河原NSC)

当時は川崎フロンターレもできたばっか。今みたいにあんな強くなかったし、小学生のフロンターレ下部組織(ジュニア)は無く、上手い子達はみんな地元の町クラブに散らばっていた。※めちゃくちゃ上手い子はマリノスやヴェルディのジュニアに引き抜かれる感じ。

フロンターレジュニアが無くても、川崎はサッカーの街でした。
県内の各市選抜が集まる大会も川崎選抜は毎年優勝候補。
そんなサッカーが盛んな街でも、あの頃の永田は全く火がつかなかった(笑)←どうしようもねぇ😂

話は戻り、僕らの代の下河原SCは川崎市で中堅クラス。いつも市大会ベスト8くらい。
永田は小学校3年生くらいから、それなりにサッカーも上達してきて(それまでは下の学年にレギュラー取られるかどうかのレベル)、段々とサッカーが楽しくなってきた。
ちょうど2002年日韓ワールドカップがあった影響もありましたね!サッカーが好きになったのも。
小学校4年生になった時、その"ある時"が訪れます。
これまでずっと僕らの年代のエースだった子が、親の仕事の都合で北海道へ引っ越すことになりました。
彼はチームのキャプテンであり、大黒柱、エースストライカー、ムードメーカー。
〇〇の代って言われる絶対的な存在で王様キャラです。サッカー漫画の主人公みたいなキャラを思い描いて下さい。
『キャプテン翼』でいう、翼くん。
永田は?満場一致で顔面ブロックの石崎くん。
↓下段真ん中にいる翼くんと、その上にいる石崎くん
そんな誰もが認めるチームの中心人物が北海道へ引っ越す=クラブを辞める。こんな大事態ないです。
主人公がいなくなるんですよ?漫画としては打ち切りです。(笑)
当時の僕、いや、僕だけじゃなくチームの選手達、保護者、コーチみんなが「この代は終わった…」と思ったはず😅それほどショックが大きかった。

「誰があいつの代わりを務めるんだ?」
彼の旅たちの日が近づくに連れて、そんな話が所々で聞こえてきました。3年間チームを引っ張ってきた絶対的な存在の代わりなんて、小さい子供達が簡単になんとかできる問題じゃないですよ😂

前回のブログで書いた、「誰かがやってくれるだろう」精神だった小学生の永田。
でもそんな奴が、何の根拠か自信かは分かりませんが、「誰もやらないなら、俺が何とかしないと…」っという気持ちになったのは覚えてます。
ただ、何でそういう気持ちになったのか?誰に後押しされたのか?細かいことはもう忘れてしまいましたが、その気持ちは覚えてます。

それ以降、内気だった小便小僧の自分が変われました。
あいつの代わりは務まるか分からないけど、やるだけやろうと。サッカーにも熱が入り、負けるのがとことん嫌いになった。夢や目標を持つようになった。
試合中とか口から生まれてきた人間かのごとく、枯れるまで声を出しまくっていました(笑)
この時の経験があったから、リーダーの立ち位置を今でもしているのかなと思います。これも運命です。
↑合わせて読んでほしい記事
小6川崎市選抜で県大会優勝 2005年7月(永田は中段右端の19番
↑小さくて足は遅いし下手。後半にちょこっと出れるくらい。
「まさかあのURYUが!?」って誰もが想像してなかったこの選抜に入れたことは、自分が変われたからです。これも俺がチャンスを掴んだからだ!とカッコつけたいですが、本当ただただラッキーでした。(笑)

小学校4年生の時に、チームのエースが引っ越さなければ、今の僕は確実に無いですね。
選抜に選ばれることもなかったら、サッカーもとっくに辞めていたと思います。
きっかけって凄い😅

そんな感じで、永田羽竜の原点である少年サッカー編でした!

そして、小学校卒業後はJリーグの下部組織に入ります。
ただ、そこでは忘れることのない屈辱と、逃げ出したくなる経験をしました。

次回へつづく…

今日もありがとうございました。