生命の講座 第二講義VOL18 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


生命の講座 第二講義VOL18


【意識こそが真理】


私達にとっての真理とは一体何でしょうか?


それは私達が生きている事の意味であり、
私達を取り巻いている諸法則の存在だと思います。


しかし私達にとっての真理は
心が司る個人的なものとなってしまっている現実があります。


実際には私達の心は真理の一部を知っている程度で、
その他に関しては私達が独自に体験の中で作り上げた
個人的な価値観に他なりません。


私達の心が持っている価値観は
其の殆どが真理とはかけ離れた物なのです。


しかし通常この社会の多くの人間は
その個人的な価値観を持って真理と勘違いしてもいます。


つまりとても自尊心が高い私達の心は
自分こそが絶対なのだと言う意識を
私達に送り続けているといえます。


私達はそれを尺度にありとあらゆるものを裁くのです。


しかし私達は理解しなければなりません。


真理は私達の魂から与えられると言う事をです。


それはこの三次元社会が出来た時から既に、
四次元と言う名の創造主の想いの空間に存在していたものであり、


全ての法則と万物の存在の意味や目的が
そこには存在していました。


「目で見た事の無いもの、耳が聞いたことの無いもの
神を愛するもののために、神はそれらを皆備えてくださった」


聖書の約とは少し異なりますが
コリントⅠ 2章の7節の


「神は私達の栄光のために世界の始まる前から
あらかじめ定めたものです。」


とあるので、この解釈が正しいと思います。


つまりはありとあらゆる法則
そして神が創ろうとした被造物の姿は
この世界が出来たと同時に既に存在していたと言う事で、


私達が意識しようとしまいと
神の摂理=真理は存在していたと言う事です。


全ての摂理が出来上がっているのですから
そこには100点満点の答えが存在している。


其れを作ったのは神だから
神はこの宇宙空間の中において完全であり全能で在る
と表現されることにもなります。


それは決して神を美化したわけではないのです。


つまり”真理”とは神によって与えられた
私達この宇宙空間に生きる全ての生命体が持つべき
共通認識であると定義する事も出来ます。


私達はまず其の事を理解すべきです。


つまり神の意識の一部である魂こそが
真理を知る者であり


アダムスキーも語っていた様に
私達の心は全てを知るものではありません。


しかし私達は其の心を持って全てを量ろうとします。


勿論それは不可能です。


だから私達は理解不能なものを嫌い恐怖する事にもなるのです。


私達が不安や恐怖を作り上げるのも
そして好きと嫌いを作り上げ分裂を引き起こすのも


すべては私達が真理には程遠いものを尺度として持って
それで全てを裁いているからだといえます。


何故なら元々が意識=魂には恐怖や好き嫌いなど
存在してはいないからです。


考えてみれば、創造主の意識には
被造物に対する溢れんばかりの愛が詰まっているはずなのです。


更に心が正しく理解しないと
時にはオカルトをも作り出してしまう事にもなります。


心の理解の足りなさを私達は正しく認識できないゆえに
誤った真理を生み出しつづけ


今ではその数多にある真理が
自分達の心の暴走に気がつく事さえ難しい状態を
延々と作り上げているのだと思います。


私達の心は其のままが真理ではありえないし
決して絶対的なものではない、


真の指導者である父に其の意志を任せる時に
私達は真理を知る事になるのです。

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はじめに理があった。
はじめに言葉があった。


私にはどちらも同じ意味であると認識できますが


この社会が出来上がった時には既に
私達が日常体験している摂理、物理法則は存在していた
と言うのが正しい認識だと思います。


私達の社会ではそんな眼に見えない法則や
エネルギーを無視して、視覚で確認できる現象をもって
宇宙の創造までをも説明しようとする人間がいます。


しかし、頭の良い人間であれば
頭が凝り固まっていない人間であれば理解できる事があります。


宇宙空間成るものは一体どうやって出来上がったのか?

其の中で惑星や恒星を作り上げたのは一体どんな意志なのか?


以前も触れましたが無の空間で何かの爆発がおきて
そこで宇宙空間に沢山の塵が飛び交ったとしても


それは何時までたっても只の塵であり

其れが惑星や恒星に変貌することなどありえないはずなのです。


私達が自ら思考しないから
微粒子や原子が惑星や恒星を作りあげた事も
全ては偶然の産物で済まされることにも成ります。


砂の山に風が吹いてそこに砂の城が出来ないように
宇宙空間に大量の元素が出来上がり巻き散らかされたとしても
それが偶然星に変貌する事も在りえないのです。


そこには既に何らかの摂理が存在していた。


そして其の摂理に従って星は形成された。


其の摂理を形成したのは何らかの意志であり
その意志の持ち主こそが創造主だと言っているわけです。


宇宙に関しての私達の知識は乏しいものです。


未だに眼に見える現象すら把握できていないのが
私達地球社会の実態でもあります。


そんな私達だからこそ井の中の蛙同様
独自の法則を作り上げては其れを信じ
何時まで経っても真理に辿り着く事が出来ないのです。


昔は宇宙船を神の乗り物と考えていた私達も
今では独自の宇宙船を作れるにまで至りました。


そろそろ科学の発展にあわせた精神性も
兼ね備えるべき時に来ているのだと思います。


私達はこの社会になじむ事が出来ない人間かもしれません。。


しかしそれは決して恥じる事ではなく
其の価値観が真理に近い証拠だと言えます。


私の兄弟姉妹は例えこの世に調子を合わせ事とが出来なくても
決して嘆かないでください。


私達は父の元に帰るのです。


【貴方に無限なる力の祝福が在りますように】