生命の講座 第二講座VOL17
意識=魂の導きは
子を想う親の意識の様な物の様です。
子供をより良く導くために
そして不快な想いをさせないためにも
親は子供に教訓やアドバイスを与えます。
アダムスキーは生命の科学の中では火の熱さを例に
親が子供に対して導きをしている様子を取り上げていますが
創造主の意識も似たようなものだと言えます。
私達に対して密かに指導をしてくれますが、
もしも私達がそれに従わなければそして誤った使用をするならば
私達は身をもって、時には痛い思いをして
自ら正しい物事を学習する羽目になります。
「理解してそれを実践出来ないのなら
其の機会を設けて貴方にそれを学習させてあげましょう」
創造主の法則は私達にそのように働きかけているのです。
だから其の法則を無視して生きれば
私達は時には痛い目にも遭う事になりますが
其の事でそこから何かを学ぶのです。
そして理解の足り無い物事を中心に学習する事になり
時には延々と同じ事を繰り返し、
其の中で一定の理解を示す事で私達の魂は進化する。
私達は真理の一定の理解を示すまでの間、
若しくは真理に視線を向けようとするまでの間、
そんな事を延々と繰り返す事になりそうです。
この事に関して私が頻繁に例えていたのは、
お金を沢山持っていて地位も名誉もありながら
貧乏人や地位や権力の無い人間を
省みようとしない人間に関しての話でした。
其の人間はこの生で権力にもお金にも名誉にも
恵まれているとします。
しかし其の人間は自分のためにも十分以上のお金を持ちながら
貧しくてお金に困っている人間達の事を理解できず
他人のためには一切それを使用しようとしなかったとします。
更には権力を持っている事を笠にかけて
権力の無い人間や社会的弱者に対して
思いやりが持てなかったとします。
其の人間は自らがお金と権力を持つ事で何が出来るかと言う
経験の機会を生かす事が出来なかったわけですから
創造主の法はそれを本人に学ばせる機会を与える方向へと
働く事になります。
恐らくは学ぶべき事を学べなかった其の人間は、
次の生において貧困と
権力の無い人間の立場を学ばされる事になるはずです。
(他人への思いやりや平等と言う意識が
其の根底だと思います)
そして其の人間がそれを正しく理解するまでは
課題は絶える事は無いでしょう。
私達は誰もが無自覚のうちに創造主の法の働きを受けて、
それによって自分の精神状態を高めるために必要な事柄を
学ぶべき状態へと導かれているのです。
今、自分自身が置かれている立場を理解して
其の立場において私達が学ぶべき事を学ぶ事が出来れば、
自分の置かれている環境をそのための良い経験の機会とすることが出来れば、
私達の精神は限りなく創造主の意識を理解しやすい状態へと
改善されていく事になるでしょう。
少なくとも私達の社会においての創造主の法の導きは、
私達が生命についての最低限の理解をするために、
そして自分に対しての最低限の理解を求めるように働きかけているのですから、
私達の社会に対しての創造主の法の働きかけは
やはり命や真理を理解する様に私達を誘導するのだと認識できます。
考えてみれば楽しい毎日を送っている方は
良くも悪くも心のエゴを満たされていますし
あまり神や真理を意識する事も無いでしょう。
その意味では神の導きと言われるものは
私達を困難へと向かわせるものなのかもしれません。
だからこそ例え今自分が苦しんでいても、そして嘆き悲しんでいても
嘆く必要は無いと思います。
それは神の与えた誘導であり課題を消化している
機会だと理解できるからです。
イエスキリストは言っていました。
悲しんでいるものは幸いです、
心の貧しいものは幸いです、
義に飢えているものは幸いです
柔和なものは幸いです
哀れみ深いものは幸いです
これらの意味するところを私達なら理解できるはずです。
全ては私達の心のあり方が大切であると言う事と、
更には今現在の私達の置かれている立場が全てではないと言う事です。
私達は自分の人生を一度きりだと認識しているからこそ
今置かれている境遇に思い悩み、即座の改善ばかりを願い
課題を正しくこなす事が出来なくなっているのです。
生まれてきた環境や置かれている境遇を
自らの体験の機会、課題の消化と認識し
時には開き直る事が出来れば
魂の導きを感じる切欠になるのだと思います。
私達は置かれた環境の中で最大限の体験と
学習を果たして行きたいものです。
そして其れこそが神の与えた
進化のための試練だと認識してください。
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因果応報と言う言葉や自業自得と言う言葉がありますが
私達の理解では今の生の中での因果を
表現した内容として認識されていると思います。
しかし私達は過去からの因果を背負って生きている存在であると言う事
更には今の因果が其の次の生にも繋がっていくと言う事を
理解しなければなりません。
つまり、自分は何も悪い事をしていないのに
何でこんなに酷い目に遭うのだと嘆く方は
前世での因果から神が何かを学ばせようとしている可能性があるということ。
そして其んな境遇に遭っていると言う事は
永遠の生を受止める資質を持った魂であると
創造主の法が判断しているのだと理解すべきだと思います。
「神は背に背負える以上の荷物を背負わせることはない」
と表現する事があるかと思いますが
まさに其の通りだと言う事です。
眼に見えない因果を張り巡らせた運命の波に
しっかりと乗り続けているからこそ
貴方は今のような境遇に置かれている。
そして其れをこなす事が自らの今の生の課題であり
父の元に帰る条件なのかも知れないわけです。
アダムスキーは私達が父の元に帰る為には
とても辛い想いをする事になると表現していましたし
まして真理を語る人間に課される負担は大きいのだと
表現してもいました。
一方イエスキリストも聖書の中で
自らの教えを実行し広報すると辛い目に遭うとか
迫害を受けることまで予言していました。
どうやら私達が永遠の生へと進むためには
とても高いハードルが私達の前に立ちふさがっているようです。
と言ってもそれは不可能と言う意味ではなくて
最後までそのために努力をし続けることが
恐らくは天国行きのパスポートになるのだと思います。
私達は何事も眼に見える結果ばかりを意識しています。
しかし私達にとって大切なのは結果としての現象だけではなくて
其の過程に私達が何を想って何をしたかが大切だと言う事。
私達はこれから永遠の時を生きるのです。
この生の50年や100年がほんの一瞬であるということを
是非とも思い出して今を懸命に生きて欲しいと思います。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】