神という存在 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

神という存在


眼に見えるものしか理解できない、そして認識できない私達にとって
神と言う存在は宗教的な信仰の対象や架空の存在と思われがちです。


何故に私達は眼に見えるものしか理解できないのでしょうか?


それは私達が実証性という名目で視覚に捉われ、
そして検証性、つまりは自らが其れを体験できる事ばかりに捉われ、
”感じる””眼に見えないものを認識する”と言う事が出来なくなっているからだと思います。


私達は現象を更なる現象を持って認識して理解しようとします。


つまりは私達が理解できるものは
全てが視覚をもって認識できる事だと言うことです。


しかし私達は正しい理解を持たねばなりません。


私達が因果なるもの、原因と結果なるものを認識する時には
必ず現象があり、眼に見えない原因が存在していると言う事をです。


例えば私が頻繁に例えに出すのは、
燃焼という現象です。


これは炭素化合物が熱を持って発火する現象ですが
これ一つとっても私達はそれが当然と認識しているに過ぎません。


では何故に炭素は燃えるような成分なのか?


同じ元素なのに
他の元素と同様に原子核や電子で出来ているのに


何故に炭素は良く燃えるのといわれれば
誰もが其れを説明できません。


同様に地球上のあらゆる現象を私達は其れを体験の中で
思考することなく当然の事と認識しますが、


それがどんな現象の表れなのかを思考しようとはしませんし
其の見えない原因となるものを追及しようともしません。


そして実は私達の周囲にある、ありとあらゆる現象は
全てが一貫性をもった法則に基づいて存在しているのです。


私達は其の断片に気が付いているに過ぎず、
しかも眼に見えるものだけに捉われ、眼に見えない部分に関しては
追求する事もできないままに無理やり理解しているに過ぎません。


子供のころなら
「何故」と思考したような現象を
私達は当たり前であり常識であるとして其の真の因を追及する事もないわけです。


「何故にコップに入れた水は逆さまにすればこぼれるの?」


「何故に天気は変動するの?」

例えばそんな事一つとってもです。


重力や気象変動を知識として知っているだけで
其の更なる原因を追求しようともしません。


私達は同じ現象を繰り返し確認する中で
其の現象を常識であると認識するようになる一方で


時には断片的な科学や物理の知識を手に入れては全てを悟った気になっては
それらの裏にある見えない法則、力を理解出来てはいないのです。


勿論、それらの現象の裏にある力を
眼に見えない因として認識できるのであれば
その方は賢明だといえます。。


そこに偉大なる意志があることを認める事が出来ているからです。


そして、其の眼に見えない意志こそが神の想いであり
その見えないエネルギーが私達の周囲を覆っているわけです。


其れこそが私達が四次元と読んでいる世界だと言う事です。


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人類の歴史はある意味逆行しているかもしれません。


大昔の人間は風が吹くとか雨が降ると言った
自然現象の中にも神の存在を感じていました。


確かに科学的知識も持たず野蛮でおろかではあったかもしれません。


しかし彼らは意識のどこかで神を認識していました。


しかし近代人は、人工的に雨が降らせる事ができると言う話を知ると
今度は自然現象の中に神の存在を意識する事さえ出来なくなってしまうようです。


生物を養殖できる、天気にも関与できるそんな状況の中で、
私達は科学こそがこの社会の全てであり人間が万能であるかのような、


そして科学を持ってすれば既存の知識で
全てが説明できると言う錯覚まで起こしています。


人間こそが創造主になりうるという錯覚まで起こします。


しかし賢明な科学者はそうではありません。


現象を現象で説明し続けて行けば、
其の先には必ず現象で説明の付かない法則、
眼に見えない意志やエネルギーを感じることになる。。。


其れこそが神の意志である。


彼らは其れに気がつきながらも
現在の社会の誰もが現象で現象を説明するがゆえに、
その事を言及する事が出来ないのだと思います。


そして何事であっても究極まで探求しているような人間こそが
神の存在を嫌でも意識させられる事になるのです。

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以前も気象現象を例に見えない意志の存在を説明した事があります。


何故に風が吹くのか?「そこに気圧の差や温度の差があるから」と
私達の知識は説明します。


そして天気図でも作ればそれは目で確認することが出来ます。


では何故に気圧の谷が移動するのか?


これは例えば「上空のジェット気流が存在するからである」と
今度も知識と現象を持って説明する事になります。


では其のジェット気流を引き起こしているのは一体何なのか?


私達の知る得る知識では今度はそこに電離層の存在があげられる事になります。


電離層は多くの原子がイオン化しては存在しているような場所のようです。


ここは太陽からの放射線を受け止めて時には
大きな磁場の乱れが起きる場所でもあります。


電離層が無ければ地球社会の中の殆どの生命体は
存在し得なかった事でしょう。


そして其の場所の乱れが直ぐ下にある対流圏に影響を与える事で、
そこにジェット気流のような風を吹かせるのだ説明する事になるはずです。


では何故にそんな対流圏の上空に電離層と言われるような場所が出来たのか?


それは大気の成分や重力や自転を持って説明できる事になるのかもしれませんが、
では今度は何故に其の自転や重力現象は起こるのかと言う説明が必要となります。


そして突き詰めればそれら全ての現象が一貫性を持って相互関連を持っていることに辿り着き
全ての現象は眼に見えない法則によって繋がっていると説明する事になると思います。


勿論私達の社会は未だそこにまで到達してはいません。


このような思考が出来るようになれば
これらの一貫性のある現象は、ただ偶然ビックバンという爆発で
散らばった空間に偶然出来上がるわけが無く、
そこには必ず何らかの意志が存在すると言う事に気がつくことになります。


無の空間でビックバンという爆発が起きたのが事実だとしても
それは単なる偶然ではなく必然であったと言う事、
そこには何らかの意志が働いたと言う事です。


そんな意志の存在こそが
私達人間を超越する大いなる意志であるといえます。

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そしてもう一つ魂の付与です。


私達の社会の人間の中には「科学が万能であり神は存在しない」と言う方もいます。
しかし私達人間は現実にはたった一つの生命すら生み出す事が出来ないでいます。


SFのフランケンシュタインを私達は製造する事はできないと言う事です。


全ての細胞を人間そっくりに作り上げ
其れに対して生命を吹き込もうとしても其れは叶わない。


逆に全身細胞が限りなく完全に正常な人間であっても
呼吸停止や心臓麻痺などで簡単に命を落とし
其れに対して科学は生命を吹き込む事はできないのです。


つまりは生命は私達が三次元と呼んでいる物質世界の中で
作り上げる事ができるものではないと言う事。


生命は大いなる意志、大いなるエネルギーである四次元と
物質社会の三次元の間でこそ発生するのだと説明する事も出来ます。


そしてその両方の空間は


原因=四次元 結果=三次元 の関係を持っていて


四次元空間における思念波というエネルギーが三次元において元素と言う存在を用いて
現象として再現されている、そういう関係があるのです。


そしてそんな空間は偶然に作り上げられたものではないと言う事。


其れを作り上げたのは宇宙空間と其の中の全ての法則を作り上げた存在であり、
人間のごとく意志を持った存在であると言う事。


そして人間を遥かに超越した大いなる存在である事が想像できます。


其の存在の事を私達は”神”と呼びます。


私達一人一人は自分達が生きている真の目的すら
理解できていない存在です。


しかし大いなる意志が私達を作り上げたと言う事になれば
私達の生きている目的は
其の大いなる意志をもった存在の意志を実現する事となります。

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神の意志が宇宙空間の美と調和の追及だと言う話があります。


つまりはありとあらゆる空間を私達が天国と読んでいるような場所にする事です。


それが事実であれば、私達はそれこそを目的として
神の代理人となるべく存在しているのだと理解すべきです。


自ら何もかもを実現するのではなくて
神は自らの被造物であり代理人である人間に
其の目標の実現を託した。


となれば私達は其の意志を理解しながら
神が私達に与えた目的を実現すべき存在していると言う事に気がつくべきです。


あの世など存在してはいない。


天国と地獄など存在しない。


私達はこの宇宙空間の中で神の意志をエネルギー(魂)として
永遠を作っている存在だと言う事を是非とも想像してみて欲しいです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】