第一講義 VOL18 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


TVで精子を提供する男性と、それを求める女性の話を取り上げていました。


そんな場合の男性は、得てして高学歴や偏差値の高い人間で
其れを求める女性はシングルマザー希望者といった
組み合わせが多いような話でしたが


私達はそんな実態をどのように見つめる事になるでしょうか。


宇宙の法則の中においては
元々が男性と女性は別々の役目を担わされた状態で生まれ


それぞれ独自の奉仕をする事を求められているのだと言うのが
私の理解です。


其の中で男と女はお互いが尊敬できる相手を探し結ばれ
最終的には妊娠に繋がる事になるという風潮が
この社会では当たり前なのだと認識していたので
今回の話には驚きました。


勿論、それぞれの立場は理解できます。


精子提供者の男性は子供が出来なかった事で
自らのDNAを残したいと考えたようですし、


おそらく女性の方は子供が健康に生まれる年齢のうちに
主産しておきたいと言う意識を持ったのでしょうし、


それぞれの想いが交錯したことでこのような需要が生まれ、
そんな不思議な関係も出来上がったのだと想像しています。


そしていずれも子供に対する愛情と受け止める事ができるわけです。


そんな意識を誤りであると責めることは出来ません。


まして今のこの社会は価値観が多様化しています。


何が正しくて何が誤りであると
誰も指摘したり分類する事もできないはずです。


只、子供と言うものは
両親の高い意識の交流の結果に生まれてくると言うのが
宇宙の法則の下での摂理だと私は認識しています。


つまりは男女が共に強い愛情を感じあっているような
精神的に高まった状態になった時にこそ、


その結果として妊娠と言う形で其の両者の遺伝子
”三次元での肉体”と言う現象が子供に継承されることになる。。。


これが本来あるべき男と女の関係ではないかと
想像しています。


この社会の生命体を眺めると雌雄同体や
生殖変化生命体も存在している事をご存知かと思います。


しかし動物と言われるような
創造主の高い表現である”存在”には
そんな実態はないはずです。


つまり神は私達動物や人間には
二つの性が必要であると判断した事になります。


若しくはそれを存在させることで
より高い意識への進化のきっかけとする事を願い
二つの性を創造したと認識すべきです。


何故に神が単性生殖ではなくて
男と女と言う二つのSEXを作り上げたのか
私達は其れを意識すべきだと言う事です。


私達人間の男と女は互いに足りない素質を
お互いから学び共に成長するためにこそ存在している。。。


そしてそんな相手を尊敬し理解し愛し
その結果として妊娠、出産という事にも繋がっていく。。


そんな関係こそが男性と女性の正しいあり方ではないでしょうか。


天使達の世界では、子供を「自分達の遺伝を継承するための存在」ではなくて、
「他の人間の魂が前世の記憶を取り戻し、更なる成長をするための仮の器」

であるとみなすようです。


彼らは親として子供に自分達の価値観を押し付け教育するのではなくて
子供の資質を眺め其れを伸ばす事こそを親の務めとしているようです。


つまり、「子供は自分達よりも劣ったものである」とか、


「自分達がいたからこそお前達は生まれて来たんだぞ」


という思考はしないのです。


彼らは宇宙の法則に従って生きています。


私達は肉体を仮の器として
本来の自分である魂を其の中に収めては繰り返し転生し、
経験と進化を繰り返すことになります。


其の中においては誰もが子供と言う幼少時期をも繰り返すことになり
極端な話が、前世には、自分の孫だった人間の子供として
次の生には生まれてくる事も有り得るのだという事を、彼らは知っています。


そんな彼らの社会では、
子供は自分の分身ではなく、別個の独立した存在が
自分自身を取り戻すまでの過渡期と見做され、


一人の存在として尊敬される事になります。


一方では子供は、自分と同じ神の分身であるして尊敬され、
私達の父でもある至高なる英知とよばれる、
神の意識であるエネルギー体の一部であります。


そんな子供と言う存在は、決して私達個々の人間のエゴのため、
親のエゴのために存在するのではないと言う事を
私達は理解しなければならないと思います。


以前も触れましたが神と言われる存在は
男性面と女性面の融合した中世的な風貌をもつ存在のようです。


つまり神は男でもあり女でもあるわけです。


そんな自分をモチーフとして男と女を創造した事になりますし
神は二つの存在が結びついては更なる進化を果たす事を
求めているのだと思います。


聖書の中ではイエスキリストが
「男と女は神が結びつけたものなのだから
離してはいけません」という表現で


この社会の中での人間の進化のあり方を語っていました。


私達は決して一人だけで存在し進化できるわけではないと言う事。


それが例え同じ同性との友人交流や他人との出会いであっても
人間同士の交流の全てが、私達不完全な魂を進化させるための
きっかけであると言う事を学ぶべきではないでしょうか。


私達は進化する事こそが求められている。


私達人間が今こうやって存在している理由を
是非とも思考してみて頂きたいと思います。


-------------------------------------------------------------

本題です。


【体験が齎すもの】


この講座もアダムスキーさんの生命の科学を踏襲するものとして、
その指針を無戒律から始めることにします。


と言っても自分が学んで来たものを
全て捨てろと言っているのではなくて


それを先ずは知識として、心の片隅においたままの状態で、
一方では何事にも囚われないような意識を持って
あらゆる現象をも見つめる事を心がけていくと言う意味です。


私達の社会には真理への架け橋としてのきっかけとなる
宗教と言うものがあまた存在しています。


それを自分にとっての切欠として
更なる高みを目指していく事もこの講座の目標に出来ます。


アダムスキーさんが語ったように、生命の科学は
まずは自らに何の戒律をも課さない状態から始まる事になります。


勿論、既に自分が正しいと確信しているような事柄は
道徳と言われているものと同様に
大前提として持っていれば良いかと思います。


ただ、私達はその後に独自の真理を見つけては
それをそれぞれの戒律とする事になります。


しかもその真理はこの地球社会においては
誰にとっても真理であるとは認められるものではないかもしれません。


ある人にとっては真理であっても
ある人にとっては真理ではない事もあります。


勿論、究極的には誰もが同じ真理へと到達する事になるはずですが、
私達この社会の人間は誰もが創造主=神の真理に対しては
子供や赤ん坊も同様なのです。


全てが発展の途上だからです。


個々の戒律は私達の精神性を高めるものを
優先的に持つ事になりますから
例え同じ真理であっても優先順位は異なる事にもなります。


そのために必ずしも誰かの真理が
別の誰かの真理として認識されるとは限らないのです。


赤ん坊同然と言っても
ここでは「白紙の心を持っている」と言う意味ではなくて、


私達は真理に対しては理解不足で
幼稚でもある事を認めなければならないと言う意味です。


私達は100点満点の答案で10点を取れば、
おそらくはこの社会の中での合格点に達するような状態に
置かれているのだと思います。


そのぐらい普遍的な真理とはかけ離れた意識を持っているのが
私達地球社会の人間だと言う事です。


実は太陽系の天使達でさえ未だに30点そこらの状態であり
100%表現しているような人間は存在してはいないのです。


そして神の創造物である私達は
そんな環境の中で様々な体験を繰り返しながら
常に進化し続けることを求められている


先ずはそれを理解する事から始めて欲しいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】