第一講義 VOL17 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


私が以前、テレパシーとの関連してこんな事を
語っていました。


それは私達の意識を何に向けるかと言う事の
例え話としてです。


まず、私達は通常二つの無線機からの指令によって
行動していると認識するのです。


一つの無線機からは大きな声が鳴り響いています。


一方もう一つの無線機からは小さなささやきが
ぼそぼそと聞こえてきます。


言うまでもなく前者は私達の心のエゴであり
後者は私達の魂のことです。


私達は通常誰もがその大きな声によって指令を受けていて
それを受けて自らを表現している事が多いはずです。


しかし私達は本来はその小さなささやきである
意識からの訴えを聞いて、
それを表現する事こそが求められているわけです。


私達はそれを実現するために何をすべきなのか?


言うまでもなく一つには心のエゴの声を抑える事
そしてもう一つは魂の声を大きくする事です。


そのためには一体何をどうすれば良いのでしょうか?


一つには当然、煩悩を抑える事が求められる事になりますし
もう一つには魂の意識の声を聞こうと勤めることが
求められることになります。


そう言えば宗教ではキリスト教や仏教は
実はこれを実践しやすい状態に存在していると言えます。


心のエゴを抑える事を実践しようとしているのが仏教であり
こちらはエゴのボリュームを小さくしようと
勤めていると認識できます。


一方ではキリスト教は神なる意識を感じようと
魂のボリュームを大きくしようと勤めていると認識できます。


それぞれがアプローチは異なりますが
求めている事は同じだと言うことです。


そして神道であれば道徳として認識されている
魂からの価値観を実践し続けていると理解できます。


道徳とは魂から受け止めるべき創造主の意志が
私達の社会の中で既存の価値観として受け入れられているものと
認識できます。


つまり神道や道徳的意識を持った人間は
無自覚のうちに創造主の法を実践している事にもなります。


それぞれアプローチが異なりますが、
私達は出来るものならその全てを並行して
実践していく事が望ましいのだと認識しています。


生命の科学を学ぶ人間は、
人間のあるべき姿であると認識された道徳を実践しながら、


時にはエゴを抑える事を覚え、
更には魂を感じる事を意識することで、


限りなくイエスキリストやお釈迦様の行動を
模倣する事にもなると言う事です。


しかもこれは形ではなくてその意志と心のあり方を模倣するのです。


この事からも判るのは、私達は誰もが100%の真理を
実践出来ているわけではないと言うことです。


私達の社会の損失は
せっかくそれぞれが独自に真理を捉えながらも
一方ではエゴの存在がそれを妨害し独自の真理だけを全てと看做して


それ以外の真理に気がついている人間の価値観を
認める事が出来なくなっていると言う事です。


私達はお互いの真理を理解し合えば、
そしてそのためにも共通認識となっている真理を
調和のきっかけとする事が出来れば


お互いを高めていく機会とする事が出来ます。


私や兄弟姉妹は是非ともそんな意識を持って
お互いにとっての真理と向きあっていければと思います。


そして私達にとっての本当の真理とは
共通意識の中にこそ存在している。


私達はいつか其の事に気がつくはずです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】