教えの原点に帰れ VOL2 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



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キリスト教の長い歴史の中では
正統派と異端派の争いが頻繁に繰り返され


その中で異端とされた教えと人間達が迫害され
淘汰されていったと言う実態があります。


それは歴史的にも認識されている事実ですし
迫害の背景の多くには


活動の中心となっている人間達、
権力を持っていた人間達の権力を損なう行為であると言う意識が
根底にあったであろう事も伺えます。


もしもイエスキリストが使徒達に伝えて
その使徒達がさらに弟子達に教えていた”イエスの神の国の奥義”を
使用しては預言や異言をなしたり


それで奇跡といわれる癒し行えば
その人間達がどんな目に遭ったかは想像に硬くありません。


元々のイエスの教えは魂を持って
創造主の意志を受け止めそれを実践する事であり


御霊=魂の賜物、精霊として授かるとされていた力については
パウロも色々表現していましたが
後の時代にはその方法は述べ伝えられていない事がその証拠です。


権威を持ってイエスの教えの上辺を語って説明していた人間達は
真のイエスの教えを実行していた人間達を理解できず


もしくは権威を失墜させる邪魔な存在として認識し
それを淘汰する事にもなるはずです。


それが歴史の中における少数・異端とされた人間達の
淘汰迫害の歴史にも繋がっているのだと想像しています。


元々争いを認めていないイエスの教えですし、


それがユダヤ教の思想を根底にするとしても
迫害淘汰は今度はモーセの10戒に抵触することは言うまでもありません。


それを実行していた人間達は、何を根拠に他人を異端としては
裁き殺していたのかと言う疑問すら起こることになります。


イエズス会のような秘密結社の存在が
キリスト教を裏で利用していた可能性も想像出来ます。


イエズス会は今のパリサイ派サンヘドリンに敗れた人間達ということですが
少なくとも日本にも福音にやって来ては
その影響力を示した事は知られていますし


大航海時代にもキリスト教を持って管理支配を実践していた
人間達である事は間違いないからです。


つまり中世の頃にはイエスの教えは完全に形骸化されて
支配管理のツールとして利用されていた事を意味します。


イエスは表の顔と裏の顔の矛盾を何よりも嫌っていました。


イエスキリストは、愛を語り一方では殺害を認めるような意識など
持ち合わせてはいませんし


そんな意識はイエスが否定していた当時のパリサイ派の形式主義、
イエスが偽善ときって捨てた思想にこそ近いものがあります。


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カタリ派


 1000年代の半ばに「ローマ教会」が東方の伝統的教会から分派・独立して
「カトリック」を形成していきました。


その後、カトリック教会は西欧社会に天上的にも
地上的にも君臨していくことになります。


 しかしそのカトリック教会の封建制的な教会組織とカトリック至上主義的な教義、
何より皇帝権力と争いその権力まで取り込んでいくその「俗化」に
疑問を感じる人々もたくさんいました。


そうした人々はカトリックとは離反した教えと組織を持つようになります。


 それはやがて1500年代にプロテスタント運動となって現れるのですが、
それ以前から反カトリックの運動というのは大規模にあったのでした。


それらは皇帝勢力と結んでいたカトリック教会に弾圧されて「異端」とされて闇に葬られることになりま

す。


 そうした中世の「異端」とされるものの中で「カタリ派」が有名です。
これは、12世紀後半から13世紀にかけて南フランスから現在の
スペインとの国境沿い地域、北部・中部イタリア、


さらにライン河流域から現在のベルギー域を中心に全ヨーロッパ中に展開した、
非常に大規模な集団でした。


このうち特に勢力の強かった南フランスの一派を
「アルビジョア派・略してアルビ派」と呼んでいます。


 「カタリ」というのはギリシャ語の
「カタルシス・浄化、ないしカタロイ・浄化された者」という言葉からきている名前で、
その名前の様に非常に厳しい禁欲的な戒律をもっていました。


これは、思想的には「マニ教」、ないし「グノーシス思想」の流れにあり、
10世紀ブルガリア地方で生じたマニ教的性格を持つとされた「
ボゴミール派」の影響を受け形成されたとされます。


従ってこのカタリ派は、マニ教やグノーシスの主要教義に則って、
世界を「善と悪」の抗争と捕らえて、悪とはユダヤ教の神つまり


「旧約の神(この世界の創造神であるが、この神は絶対的最高神なのではなく、
低次の劣った邪悪な神であり、だからこの地上には災厄と邪悪が充満しているとする)」として、


人間は本来善神の下にあったいわば「天使」のような存在だったのだけれど
悪神に捕らわれて牢獄としての「肉体」の中に封じ込まれてしまった存在とします。


 そして、そこからの脱却と救済を告げたのが
「イエス」であるけれど、このイエスは救世主キリストたる「神の子」ではなく、
「御使いの神」であってこの世に「教師」として赴いてくれたのであり、


その教えに従い禁欲と清貧とによって自己覚醒をしていき
救済へと赴こうとしたものです。


これはまさしくマニ・グノーシスという古代に「異端」とされた思想そのままと言え、
確かに正統教会を任ずる教会にとっては問題であったでしょう。


つまり、神学としては以上のように「マニ・グノーシス的」なので、
古代においてそれらが「異端」とされていたことからいっても、
この場面でも「異端」とされるのは「教会史的」には当然でした。


 しかし、生活態度・精神的態度として、彼らは非常に厳しい戒律をもち、
低劣・悪徳の「肉体」に奉仕しないように肉食・性交・結婚・財産などを拒否し
厳しい禁欲生活を送りました。


当然「清貧」を尊び、「瞑想」の内に神との出会いを願うという
原始キリスト教の精神が復活していることが注意されます。


バチカンにはこの精神はありませんでした。


 しかし当然、当時の権威であったカトリック教会と思想的に衝突しているわけで、
そのため徹底的にローマ教会に憎まれ弾圧されて、
「十字軍」まで結成されて武力によって「残酷に壊滅」させられてしまいました。


そんな集団でしたが、その拡大の大きさの秘密がどこにあったのかは謎ですが、
とにかくこれが大勢力になっていたということは


ローマ教会の主張するキリスト教正統教義の絶対性も
怪しかったということを示しており、
カタリ派など「異端」の興隆はいろいろと問題をなげかけています。


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中世になって再びイエスの真の教えが復活した時代があったようです。


ここでの


【イエスは救世主キリストたる「神の子」ではなく、
「御使いの神」であってこの世に「教師」として赴いてくれた】


と言うのは、まさに神の一人子としてではなくて、
天からの使いとしてこの社会に肉体を持って君臨しては、
私達を導こうとしたイエスの実態を語っていると思います。


おそらくはこの活動の中心となった人間も突然現れたのではなくて
天使達の誰かのこの社会への転生が
その働きかけの中心となっていたと想像出来ます。


アダムスキーや、イエスの転生であるオーソンさんの話では
多くのスペースブラザーズ達がこの社会に天使達の中から転生しては
救おうとした人間達によって殺されて来たと言う話でした。

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当時でさえも私たちは地球の兄弟を救うために他の人々を送りつづけました。
この人々が”教世主”として知られている人たちです。


彼らの使命は地球の兄弟を助けてその本来の理解に返らせることにありました。
どの場合でも少数の信奉者がこの賢者の周囲に集まりましたが、
いつも賢者たちは救おうとした相手によって殺されました。


 人間の住んでいる宇宙の中のこの太陽系内で、
なぜ地球が最低の惑星であるかを、あなたは考えてこられましたが、
今お話ししたのがその理由です。
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おそらくは異端騒ぎが大きくなった時には
その中心には彼らの仲間もしくはその意識を強く受け止めることの出来る
人間が存在していたのだと思います。


ここで中世になって再びイエスの教えが復活した背景には、
その当時の教会が権力と結びついては俗物化していたという
原因もあるようです。


多くの宗教が教祖の意志からかけ離れて
政治権力と結びつくと言うのが世界の歴史ですが
これは今の社会を見ていれば誰もが理解できるはずです。


政治は民族や宗教や企業の助けなしには動きません。


つまり宗教は政治をも動かす力を持ち、
それはそのまま政治家にとっては選挙の得票であり


更には政治と宗教が密接に繋がる傾向は
昔も今も変わってはいないことになります。


時代の権力を否定し、俗世間の価値観に囚われるなというのが
イエスの弟子達がイエスから学んだものですし
それをパウロもヤコブも取り上げていたかと思いますが、


ここでは政治と言う権力が”キリスト教”と結びつき
その本質を見失っていくと言う実体が見えてきます。


そしてここでもカタリ派がモーセの神を
”悪神”と表現しているように


旧約聖書の神と創造主を混同してはいけないと言うのが
私達のような正しいイエスの教えを学ぶ者の基本姿勢です。


旧約聖書の神がヘブライの民を頻繁に苦境に立たせてはそれを救ったのは
見方によっては心理的誘導でありマインドコントロールですし、
管理支配強化のためにそれを意図的に実行したものだと認識することも出来ます。


ただ、当時のヘブライの民が奴隷ボケしていたことも
そして無法者であったことも間違いありませんし


それに対して最低限の戒律を与えたその姿は
私達が悪魔と象徴しているものとはかけ離れてもいます。


今ではその神を崇拝して自らを正当化している人間の中にこそ
悪魔に近い人間達がいるからです。


そしてここでもモーセの神ユダヤの神を悪の神と認識し
それを主張した影に天使達の意識を感じることにもなります。


【低劣・悪徳の「肉体」に奉仕しないように肉食・性交・結婚・財産などを拒否し
厳しい禁欲生活を送りました。】


私達が手っ取り早く覚醒し天国(永遠の命)へと進むには
これらの戒律が間違いではない事も認めます。


魂を意識することを大前提としてです。


肉体が司る心への奉仕こそが悪であり


心を心地良くなる事を禁じると言うのは
(心の価値観が魂の価値観と異なっている部分に関してでしょうが)
私達があるべきだと認識している姿でもあります。


更にはここでは財産所有をも禁止しています。


聖書の「使徒の動き」でもそうであったように
イエスの指導を受けていた彼らは個人財産を持つことなく
皆で原始的な共同生活をしていた事が見て取れます。


(売買代金を隠し待っていたことでペテロにそれを指摘され
ショックで死んだと言う女性がいたかどうかは正直不明ですが)


イエスキリストが主張していた
「蔵に財を蓄えるのではなくて天に財を蓄える」
と言うことを彼らは実践していたわけですし


ここでも同様の認識と受け止めることが出来ます。


【「清貧」を尊び、「瞑想」の内に神との出会いを願う】


とあるのも私達の理解できる意識ですし
それはそのまま多くの宗教で修行と言われているものに近いものです。


「瞑想の内に神と出会う」と言うのは


私達がそうであるように自分の内なる魂こそが神の分身なのですから
それを感じる事であると認識できます。


アダムスキーは瞑想は薦めていませんでしたが
私はそれを

「常に自分の魂を意識するためである」


と理解しています。


こては生命の科学の実践課題ですし、
私達は特定の時だけ神を意識するのではなくて
常に魂と心を併用する事を求められているからです。


そして魂の価値観で心の価値観を置き換えていくのです。


いずれにしても向いている視線の方向は
私達と同じものだと理解できます。


【「十字軍」まで結成されて武力によって「残酷に壊滅」させられてしまいました】


そして権力と結びついた宗教は
真のイエスの教えに立ち返ったこの集団を武力で壊滅したわけです。


これでは真のイエスの教えが後年に述べ伝えられるわけがありません。


【その拡大の大きさの秘密がどこにあったのかは謎】


ここからもその背景には
天使達の導きがあったであろうことも想像が出来ます。


私達の意識が誤った方向に向かった時に
そのたびに地上に現れて進むべき方向を指し示そうとしていたのが天使達。


私達がその実態を理解していないだけの話です。


私達と同じ姿をしているから
私達は彼らを天使と気がつくことも出来ませんし、
そんな実態も災いしたのかもしれません。


天使と知らずにもてなした人間がいた話は
旧約聖書の中にも出ていたはずです。

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ヴァルド派


 「カタリ派」以外にも多くの「異端とされた集団」が生じており、
その一つに「ヴァルド派」があります。
フランスのリヨンの商人であったヴァルドの始めたもので、


1173年頃に彼は旅芸人が聖アレクシウス伝を語るのを聴いて感動して回心し、
商品ばかりか自分の持ち物を一切売り払って貧者に施しをし、
それからは清貧の修行者のような生活に入ったといいます。


そして彼はフランス語訳の『聖書』を用いて人々に語るようになり、
多くの聴聞・追従者がでるようになりました。


 ところが、彼は正式の聖職者の資格はもっていなかったわけで、
1178年にリヨンの大司教がこれを問題視して「説法を禁止」
させる処置にでたのでした。


しかし、彼の教えに反カトリック的なものや教会に対する反抗の気持ちもないことが
理解できた教皇のアレクサンドル三世は、
翌年に条件付きでの説法を許可してきました。


そして再びヴァルドは説法をはじめたのですが、
しかしリヨンの大司教はそれが面白くなくて迫害をはじめ、
1181年には教皇を動かして再び活動を禁止させてしまいます。


 しかし追われた弟子たちは各地に散って活動し、
彼らは「リヨンの貧者たち」と呼ばれて民衆の支持を得ていきます。


これがリヨンの教会だけではなくバチカン・カトリック教会にも
面白くなく映ったようで、
1184年の教会会議で「異端」とされて破門されてしまったのです。


 その後1212年には、先代教皇の後を継いだ
教皇イノケンティウス三世の取りなしで一部はカトリック教会への復帰がみとめられましたが、
一部はこれまでの活動を継続し、現在でもイタリアなどに存続しています。


 これは教義の上でかつてのマニ教とかグノーシスとかの
異端とされた思想を持っているわけでもなく、


そのほかカトリックの教えに反する思想を持っていたわけでもなく、
ただ「清貧にあって」「神のみを想う」だけの集団で、
したがって教義的に「異端」とは言えません。


ですから、ヴァルドの当時の教皇もその説法を条件付きながら許可してきたのですが、
問題は「正統教会の枠の外での活動」であったという点で、
地元のリヨンの大司教はそれだけの理由でヴァルド派を迫害し
バチカンによる破門にまで持ち込んでいったわけでした。


この事件は、イエスの教えや使徒達の共同体のあり方、
初期の教父たちの教えなど全く顧みず、
ただ「自分の組織・権力」だけにこだわる
中世カトリックの体質をよく示した事件といえます。

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この頃には権力と結びついた教会は
自らが独自の政治権力を持つようになり、


司祭達はイエスの教えであった


「誰よりもえらくなりたいと思えば
一番下について誰にでも奉仕しなさい」


という教えとは全く異なった気質を持つようにもなります。


2000年前のユダヤ教パリサイ派以上の権力と権限を有し、
それを持っては全てのクリスチャンを統括下に収めては


それに歯向かう人間や目に付いた人間を
権力を持って駆逐していくようにもなります。


【「清貧にあって」「神のみを想う」】集団と
自らの名誉や権力に拘り驕り高ぶっている人間達の


一体どちらがイエスの教えに近いところにあったかを
想像すれば良いのです。


例えばイエスキリストは見た目の権力やありがたさを
偶像崇拝禁止と言う事で表現していたと思いますし


神殿の雄大さや見せ掛けの価値観など認めてはいませんでした。


それは神の居場所では無い事を知っていたからです。


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イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、
イエスに宮の建物をさし示した。


そこで、イエスは彼らに答えて言われた。


「このすべての物に目をみはっているのでしょう。
まことに、あなたがたに告げます。
ここでは、石がずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

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少し前の記事で取り上げたように
イエスキリストは三次元で元素で作りあげられて入る全ての形あるものは
崩壊していく事が創造主の法の摂理である事を理解しています。


そして人間が自ら作り上げたものには
創造主の意識など吹き込まれないことも知っています。


イエスが神殿や教会を口にしていた事を
それを建てる正当な理由としている人間達もいるようですが
彼らは聖書のイエスの言葉を正しく理解していない証拠です。


イエスキリストが「神殿を三日で建てて見せる」と言う例えは


”神殿の役割を神の教えの福音の場所”と認識し、

自分であれば三日でその役目を果たすことが出来る
(人を集めて福音を述べ伝える)と語ったものですが、


イエスキリストは、神殿や教会をあくまで
”人々が望んで訪れた時に神の教えを与える場所”である
と言う認識しか持っていなかったはすですし


その神殿や教会に対して権威を与えるような
そんな発言をした事もないはずです。


パウロは
「貴方は自分の体が神の神殿であることを
知らないのですか」


とイエスの教えを踏襲してもいました。


つまり建物があろうとなかろうと、
福音で大切なのはそれを語る人間の資質だと言うことです。


イエスであれば神殿など無くても多くの人間を集めて
そこで福音を語る事も出来たわけですし


時には神殿を使用する事で
他の人間達が誤った教えを福音させる機会を奪うことも出来ました。


神の福音をする場所とされているところで
商売をしていた人間達を追い出した事もありました。


イエスのあの時の一番の怒りの”本音”は、
神殿を聖なるものと捉えて
そこでの売買をしていた事に対して怒ったのではなくて、


両替商はじめパリサイ派の従属者達は
形式的には神殿や添え物取ったものを
神に纏わる物として大切にしているかのように語りながら


その中で自分達は全く聖ではない行為を実行していると言う、
その矛盾する偽善的行為に対しての
怒りだったのではないかと想像しました。


いずれにしてもイエスキリストは
教会や建物に神が宿ると考えていたわけではありませんし
それに権威を与えたわけではありません。。


使徒達が教会を名ざして否定したり推薦していたのも、
建物としての教会を重視していたのではなくて
そこで教えている人間達こそを信頼していたことを理解すべきです。


特定の教会や建物を持たずに独自に組織として集って
イエスの教えを学ぼうと、


時には私のように一人で創造主を理解しようと
勤める行為が悪のわけがないのです。


元々が私達こそが神の神殿なのであり、
それを自ら認識できない人間が、
理解出来ている人間にその教えを請いに行くというのが


当初の教会のあり方だったと思います。

勿論人間同士の交流の場でもあったかと思います。


それが名目だけの神の福音の場所に成り下がり、


組織の中の権力を持った人間だと言うことだけで
創造主の意識を感じることも出来ないままに
実力の無しに権力を得て驕り高ぶっていた人間達が


自分達の権威に従わないものを
疎ましく感じては排除して来たとも言えると思います。


中世カトリックの体質とありますが
これはそのまま多くの宗教組織の体質に
なりつつあると思います。


正しく他人を導く事が出来ない人間が、
権力を持っているという形式を重視して
人を集めては誤った真理を語るという事になれば


イエスキリストが言っていたように
「盲人が盲人の手を引く」


という例えとどこか違うのかと言うことになります。


既存の多くの教えは盲人が盲人の手を引いているのです。


権力をもって驕り高ぶる人間、
皆から偉いと褒め称えられる人間は

天の国では最も小さいものとされると言う事が私達の理解です。


創造主の意識と掛け離れた人間に
創造主の意志を語ることは出来ない。


バチカンであればヨハネス23世や
ヨハネパウロ1世のような真の指導者がいましたが


彼らが改革を実行する直前に早々と暗殺されたことが
この社会のキリスト教社会の実態を物語っています。

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ベギン派


 上記の二つに少し遅れ、13世紀から14世紀にかけてヨーロッパ中に流布したもので、
やはり「清貧な生活」にこだわった生活を送ることを主体にしたものでした。
生活は労働と托鉢により、快楽からは遠く、徳的な生活を旨としました。


目指すところは「神と魂を一致」させることであり、
そうした局地に至った人にはもはや教会生活だの儀礼だのは必要なく、
「自由な霊」となった者は永遠であり、罪も知らず、何物も必要とはなくなり、
神すら必要ではなく、至福の境地の中に遊んでいるといったような内容をもっていました。


 これは「教会」というものを否定しているととられて、
正統教会のバチカンに憎まれて「異端」とされて弾圧されてしまいました。


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「神と魂を一致」とありますが
おそらくはここでの”魂”は私達の”心”と呼んでいるものを
表現した物だと想像出来ます。


文字通り受け止めるような解釈はしないで
物事の背景や実質を捉えて文章を読むようにも勤めてください。


私は精神=意識=魂と使い分ける事がありますが
文字通り受け止められれば全てが別物とされてしまいます。


そしてここでは”魂”を”心”と置き換えて
”神”とあるものを”神の意志=魂”と置きかえれば


私達が求めている心を魂の価値観で置き換える事、
つまりは心を神の意識で置き換える作業と認識する事も出来ます。


この方のペギン派の理解が正しいかどうかは不明ですが、
私達は神の域には達することなど出来ないのですし


100%神の意識を理解することも出来ないのですから
神が必要なくなるという記述は頂けません。


ただ教会否定は何の間違いでもないと思います。


教会を頼るのはそこに尊敬すべき
イエスの使徒としての先輩=牧師
がいるような場合で十分だと思います。


イエスは自分の教えを理解するために
教会に通えなどとは一言も触れてはいません。


使徒達やその弟子と言った頼れる先人が教会の中に居たからこそ
教会を頼る人間が増えたと言う話であり
まず教会ありきではないということ。


12使徒の時代の教会の実質が、
彼らがいたことでイエスの正しい教えを受けることが出来る
場所になっていたという認識をすれば、


私達はその実質を求めれば良いのであって、
教会に通うこと=救いにはならないと言う事を理解すべきです。


クリスチャンは自分にとって尊敬できる人間の集う、
そしてイエスの正しい教えを与えてくれる教会にこそいくべきであり


質の伴っていない教えは
少なくとも自称イエスの使徒である私達には不要です。


イエスキリストは
「私はこの岩の上に教会を建てる。
それはハデスの門でも打ち勝てません」と語っていました。


その直前にイエスがペテロと交わした言葉は
自分がキリスト=真理であると認めた内容でした。


そしてここでの意味は
「自分の強い信仰を持って福音を述べ伝える」
という例えでもありました。


たとえ話の理解できない後の人間がそれをそのまま鵜呑みにしては

本当に形式としての教会を立て続けたと言うのが実態ですが
本当はそこに魂を吹き込む事こそが大切なのです。


「家を建てる者達が見捨てた石、
それが礎の石になった。」


の例えで説明したように、
立てられた建物に本質を与えるのは
礎となった石であるイエスキリストの教えだということです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11441409335.html
イエスの教え VOL8
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だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。


雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、
それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
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これと比較すればイエスの語っていた”岩”の意味も理解できるでしょうし
それが固い信念や決意を意味する事も悟れるはずです。


「イエスの固い信念は
ハデスの門よりも屈強である」
と認識すれば分かりやすいと思います。


イエスキリストは福音を述べ伝えている自分の体を
神殿に例えて信念を語ったのだと私達は理解できますが
他の方々は違う解釈なのでしょうか。


私達は原点に戻るべきです。


イエスの真の教えこそが創造主の法なのですから
そこから掛け離れ人間の心をもって理解した教えなど
何の価値もないからです。


イエスのパリサイ派への批判の箇所で引用した
イザヤ書の神の言葉。


「この民は口先では私を敬うが
その心は私から離れている


彼らが私を拝んでも無駄なことである
人間の教えを教えとして教えるだけだから」


これがこの社会では実現しているのです。


そして人間の教えを学んだ人間が更に別の人間にその教えを教える。


実質盲人が盲人の手を連れて
一緒に崖から落ちていくそんな社会が
今のこの社会に成りつつあるということを
私達は理解すべきではないでしょうか。


意識を変えるのに必要なのは勇気だけです。


自分の誤りを認める勇気と
大きな圧力に立ち向かう勇気です。


それを指導者レベルの人間達に求めたいと思います。


私や兄弟姉妹では出来ることも限られます。


多くの人間を変えうる人間が意識を変えることこそが
この社会を改善する何よりの早道です。


【貴方の無限なる力の祝福がありますように】


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11437272683.html
創造主の意識  心と魂を使用する
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11438199880.html
御霊の齎すもの、魂とテレパシー