イエスの奥義を語る 前編 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


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イエスの使徒となり得る人間に関しては、
そろそろリミットが近づいているかもしれません。


と言うことで以前から時々は取り上げていた
”イエスの奥義”について再び触れておきたいと思います。


勿論、脳に音声送信を受けては
偽の神を語らされているような人間達に負けないで
兄弟姉妹達が真の創造主の法を語るためです。


今ここで創造主の法が途絶えてしまうことになり
アダムスキーの存在が風化してしまえば
私達の社会では二度と創造主の法が語られない恐れもあります。


イエスの使徒を増やして欲しいと言う想いをこめての記事です。

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イエスの教えは創造主の法則、
つまりはキリスト教徒に限らず全ての人間に
繋がる物である事は明らかです。


宗教という枠組みを作り上げ分裂したのは人間の勝手で、
自分達で独自の価値観を作り上げようが
そしてそれを信じようが自分達の勝手ですが


それを間違い知りながら他人に押し付けるのは
他人を神に躓かせる行為ですし、


それへの信仰が
自分達の信じているような効果を齎すかどうかは
まったく別の話です。


誤った価値観を、誤った正義を信じて
それを実行しても何の効果もないどころか


時には自分の心と魂を腐らせることになるのは
今の社会の実態を見ればわかると思います。


この社会には真実など啓示されてはいない。


だからこそ、神の教えとされる宗教でさえ分割が続き、
争いの原因となっているわけで


誤った価値観をも個人の自由として認めては、
その悪影響の実態も放置しているこの社会を
そのままにしておいては私達には未来はありません。


宗教ごとに神様が存在しているのではなくて、
どこの宗教も自分達の組織にとって
都合の良い神様を作り上げているに過ぎない。


その事を理解しなければ
この世から争いが消える事もなければ
真の平和が齎されることもないと思います。


”イエスの教え”を”パウロの手紙”へと繋ぎます。


聖書の中でパウロはイエスキリストを神聖化しながらも
多くの創造主の法を語っていました。


イエスを神聖化したのは
一般市民の信頼を得るための詭弁であると思いますが


それはエゴから出た行為ではないので
”罪”とは看做されないと思います。


多くの人々がイエスを信頼することで
真の創造主の下へと導かれる事を願ったものだからです。


その動機は正しいものですし結果も
創造主の意志に叶っているからです。


しかしその事がヨハネの福音書と併せて後の世に、
イエスの神聖をめぐっての論争と分裂までをも引き起こす事となりましたが
12使徒達も天使達も其処までは見据えてはいなかったと思います。


彼らにとって重要だったのは2000年前のユダヤ教徒を
いかにイエスの教えへと導くかと言うこと、


そして多くの人間を従来のユダヤ教ではなくて
真の創造主へと導く事であったからです。


しかしその内容が人間であり
天使達の指導者でもあったイエスキリストを神聖化した上に、
人々が理解できない魂の意志=御霊の想いに特化して説明していたために


後の世に置いてはオカルト解釈され、
一部の人間達には否定までされるに至りました。


でも、私達がパウロの手紙を読めば
それが単なるオカルトではない事が理解できる箇所も多いはずです。


御霊の言葉、御霊の想いを理解できるのは
魂の意識の経路を理解できる人間だけです。


そして私達はパウロが福音や手紙を書く時には
イエスの奥義を使用していたこと、


つまり魂からの印象を受けて
言葉を連ねていたと言う事を理解しなければなりません。


パウロの手紙を読む時にはその大前提が存在すると言うことです。


そしてそれはイエスの奥義の存在を
理解していた人間に対して伝えられたものでもあるはずです。


彼ら使徒達の理解者は”御霊”なるものの存在を
理解しようとしていた人間達のはずなのです。


全くの知識の無い人間に対して送った手紙ではないために
語られていない大前提がそこには存在していることになりますし、


何の知識も無い人間がそれを読んでも
パウロの言葉の真意は理解できないはずです。


その言葉を額面どおり受け止める事になるからです。


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心に囚われて誤った価値観に従って生きている人間には無理でも


多くの覚醒者は私のようにハイテク電磁波攻撃などで
思考を妨害されて居なければ、
”イエスの奥義”を実行する資質が備わっているはずです。


理解が深まっていれば居るほど、
そしてそれが無自覚であってもです。


以前にも取り上げていますが、


これは私達が創造主の意志を語ろうとする時に、
魂の経路から頻繁に閃きを受けたり、
次に語るべき言葉が与えられる事で自覚します。


”イエスの神の国の奥義”と言われていたものは
私達が魂からの印象を受け止めながら創造主の法を語る事だと思います。


その受け止めることになる”想い”の主が本当に魂なのか
それとも天使達からの想いなのかは不明ですが


2000年前の使徒達が実はそうであったように、
天使達の想いは私達の魂にテレパシーとして与えられ
その印象や閃きが私達に創造主の法を語らせる事もあると思います。


少し前に”印象”や”閃き”の感じ方に関して取り上げた時には
触れませんでしたが、


私は昨年の3月頃に頭にハイテク攻撃を受けながらも
ICレコーダーに生命の科学、創造主の法、闇政府の策略と
録音しながら話していた時に頻繁に閃きが起きるようになり


その後は録音する事がなくなってからも
その閃きは一時はどんどんと進化し、
室内で生命の科学を語り続けていた頃がありました。


その後私の行動を妨害しようと
工作員達の手による私の脳への関与はさらに激しくなり


脳細胞まで壊されているようで、
記憶も思考能力も低下され今では生命の科学を語っても閃きは起きませんし


(脳回転を良くしてくれる人間達が居ますが
残念ながら以前のような閃きはありません)


今では閃きどころか普通に語る事さえ難しくなって居ますが、


おそらくはハイテク被害に遭っていない方であれば
創造主の法を語ろうと意識し続けて実行し続けることで
そんな閃きを頻繁に感じる事になるはずです。


(ハイテク被害者は感情や精神状態までコントロールされるので
一定の状態を保つことは至難の業だと思います。
最悪利用される危険性も意識しておいて下さい)


そしてその閃きや印象を感じることにより
私達の創造主の法の理解は深くなります。


魂の経路をある程度感じる事のできる人間であれば
これは練習次第で多くの方が実行可能ではないかと想像するに至ります。


おそらくは昔クリスチャン社会で啓示と呼ばれていたのは、
私達と同様に魂の意識の経路を使用することで


其処から創造主の意識を受け止めて
それを語る行為だったのだと想像も出来ます。


しかし時代の流れの中で個人的な啓示を禁止する流れも出来ましたし


一方では権威を持っている人間達が
これを使用できなかったであろう事も想像がつきますし


イエスの神の国の奥義は、後の世界には伝わる事も
無くなったのだと想像できます。


おそらくは時代の権力が宗教と結びついていたために


その権威を失墜させるような行為となりうる
イエスの奥義により魂の意識を感じ創造主の想いを語ることを禁止し
それを行う人間を悪魔扱いしたのが


魔女狩りのきっかけの一つでは無いかとも想像しています。


認識できる人間同士には共通認識でも
それが出来ない人間にとってはそれはオカルトであり
脅威でもあったのかもしれません。


つまりは心を持って暴走し、
独自の神を作り上げている人間達にとっては
真の創造主の意志を語る魂の存在を理解することも出来ず、


一方では権力を持ち続けるためにも
彼らはそれを認める事も出来なかった。


それが少数派の人間の迫害につながって行った可能性もあります。


そしていつの時代も少数派が迫害されて来たために
おそらくはそれを使用できた人間達は神の冒涜者とか悪魔扱いされては


真のサタンの会派と成り下がった人間達によって
消されてきたのだと思います。


考えてみれば魂の経路を認識できる人間は
いつの時代も少数派に決まっています。


イエスの語った天国の門は狭き門でした。

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私達はイエスの奥義を自ら実践して見せることが出来るはずです。


まずはアダムスキーの言っていたような
魂と心を並行して使用する練習を続けること。


魂という意識の経路を感じるコツを覚える事が
一番の大前提になると思います。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11437272683.html
創造主の意識  心と魂を使用する


私達が一番にマスターしなければならないのは
何よりも二つの意識の経路の切り替え、
もしくは同時にそれを使用する行為です。


今の社会では意図的に左脳を使用させ
右脳機能を低下させるような風潮が出来上がっていることは
以前から触れているとおりです。


CIAの洗脳研究の中では霊機能や超能力を妨害するという
プロジェクトもありました。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10923924928.html
CIAのマインドコントロール


私達は左脳と右脳のバランスを保つ事を意識しなければなりませんし
現代社会の中で実行され続けている右脳阻害の効果を
除去しなければなりません。


例えばTVは字幕や周波数での悪影響が考えられますし、
正常な環境に置かれている方はそれを抑制することでも
効果があると思います。


電化機器などボタン操作一つで使用できるものが多く
私達は創意工夫を忘れていることも認識してください。


右脳の機能はそんなところからも阻害されているのです。


右脳の活性化はそのまま想像力と創造力の発達に
役立ってくれるはずです。


そして創造力と想像力の発達が
今度は右脳に閃きや印象を頻繁に起こすきっかけになります。


閃きや印象を受け止める時の脳の状態を意識して
その状態を保つように勤めることで、


私達は実質的に右脳をも、
そして間接的に魂という感覚器をも意識することになります。


それがある程度可能になったと自覚した状態で
今度は創造主の法を自分の理解で語ってみてください。


当初は”生命の科学”の本や聖書でも読みながら
それを説明するつもりで語るのが良いと思います。


私は自分の持っているあらゆる知識を吐き出すことで
生命の科学の本がなくても時には3時間以上も
延々と独り言を語る事もありましたが


本を読んでいる時よりも
自分の思考を意識しながら語っている時の方が
頻繁に閃きを受ける事となりました。


一番最初のころは話している最中に
頭の中で「何を語ろうか」
と意識しながら自分の思考を意識しての実践となると思います。


ただ閃きを頻繁に受けるようになると
延々と次に何を語ろうかと頭に閃きが起こるようになり


しまいには自分がそれまで理解していなかった知識までも
印象として与えられる事にも繋がって行きます。


私はそんな閃きを受けて記事を書く事も在りました。


聖書の中でイエスキリストが


「何を語ろうかと悩む必要はありません。
その時に聖霊がそれを与えてくれます」


と言う記述があったと思いますが、結局はあれはテレパシーのことです。


ある福音書では「語るべきことをイエスキリストが教えます」とあり、
ある福音書では「語るべきことは聖霊が教える」とありますが


イエスが「テレパシーを使って魂と言う想念の感覚器官を通じて
語るべき事を伝えるから、何を語ろうかと悩む必要は無いのだ」


と12使徒に対して語った内容だと言うことも
とてもよく理解できます。


そして「12使徒は聖霊を受けては語りだした」とありますが
あれも結局は同じものだと思います。


魂に対して閃きや語りかけを受け続けていたのだと想像出来ます。


自分で何を語ろうかと考えることなく、彼らはその知識を
時には天使達に時には創造主の意志として受け止めては
それを口で語っては表現したのだと思います。


パウロの言葉から引用すれば

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さて兄弟たち。私が貴方がたのところへ行ったとき、
私は、すぐれた言葉、すぐれた知恵を用いて、
神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。


そして、私の言葉と私の宣教とは、
説得力のある知恵の言葉によって行われたものではなく、
御霊と御力の現れでした。

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パウロは自分の宣教は人間としての自分の知恵ではなくて
御霊と御力の現われだと表現しています。


つまりパウロは自分の心を持って
それを語ったのではないと言っているのです。


この状態が理解できるようになるために
皆には精進して頂きたいと思います。


話を戻せば、最初は”生命の科学”でも
自分の理解している範囲の”創造主の法”でも良いので
それを口に出して語る練習をしてください。


その時に意識すべきは、心と並行して
魂の意識の経路が使用されているかと言うこと。


本を読んでいるような時には
心の感覚器である視覚と聴覚に囚われることになりがちなので


出来れば自分の知識を持って
最初は心の知識を使用しての独り言を実行するわけです。


その内に閃きが頻繁に起こるようになれば
その閃きのままに語る事になりますし


話が飛ぼうが意識せず、それを実行し続けてください。

延々と言葉が出てきて語り続けるようになっていくと思います。


後編に続く