普遍的真理 VOL1 地球の常識は四次元で覆される | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



私はまだ生きています。


HAARPは数日前からこそこそと上下していますので
気象変動と地震には警戒をしてください。



思考力を落とされて
価値観を固められ、誤った価値観を正しいと信じ
怒りや感情任せに暴走しているような


精神の働きとは一番無縁であろう人間達の
自動車暴走も続いています。


昨日から両足がリュウマチにでもなったかのような
痛みを頻繁に感じています。


言うまでもなくそれは骨の中をも走っている
電磁波の刺激のためです。


10年以上前にも、
そして若いころにも同じ痛みを頻繁に感じては


10年程前にはそれを神経痛かリュウマチと考え
病院にも行ったことがありますが


リュウマチ因子は無く健康体と言われました。


言うまでも無くそれは電磁波の関与、
おそらくはマイクロ波を骨の中から
照射を受け続けたためで


その刺激が痛みとだるさを
足の広い範囲に感じさせる事になったのだと思います。


最近再び頻繁に受けるようになり
そのことも確信するに至りました。


一体、電磁波科学力による人体関与は
日本ではいつから始まっていたのでしょうね。


真下の部屋に出入りする人間と関係者は
生命の科学やイエスの真の教えの解釈をすると
攻撃を強めますし


余程イエスの教えが嫌いなのか
それとも真のイエスの教えを
他人には理解させたくないようでもあります。


金井のアル君と大家関係者に協力する有志達が
昨日から延々と腸に異物の製造を繰り返してくれました。


下剤を飲んでは対抗しているところです。


手ごわい人間たちなので
ベテランと年配者の工作員であろう事も想像できます。


工作員と言えば、最近の2CH掲示板には
懸命な日本の一般市民は殆ど書き込みをしてなくて


掲示板はわけありの人間たちの
一般市民に対する印象操作の場所と化している可能性を
漸く理解できるようになりました。


キリスト教を捻じ曲げている人間が
引き寄せの法則に触れていたり、


組織的犯罪の科学力の関与を否定している人間が
HAARPの関与による人工地震を否定していたり。


そこには特定の価値観と意識を持った人間達が
暗躍し続けていますし
そんな人間達こそが目立つような流れにもなっています。


やり方はすべて傍若無人、
そして私のような人間は掲示板でも只管誹謗中傷される。


見えてくるのは、アセンションや偽宇宙人や
精神世界や誤った宗教価値観で宗教を捻じ曲げている人間達がいて


多くの人間を誤った思想をその資質に併せて誘導している姿と、
多くの人間に自分たちの裏での汚い行動へと
目を向けさせないように誘導している姿です。


真理はどんどんと闇の中へと埋もれさせられていることになる。


この社会は少しも良くはなってはいないどころか
捏造社会、偽造偽善社会は一層加速化していると思います。

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本当は生命の科学の理解者と覚醒者に対して
自分が理解したことを参考にしてほしいと思っているのですが


最近は部屋の中で独り言と自称して
生命の科学と聖書の独自の解釈を語っています。


そんな時に閃く事もあり
それが先日のイエスの奥義の話に
触れるきっかけにもなっています。


先日私は、聖書の中から
真理の欠片を見つけたことを報告しました。


私が生命の科学を学ぶに当たり
実は一番苦労したのは”三次元”と”四次元”の話で、
それを理解するのが一番大変でした。


皆に自分の解釈を紹介するにも
自らが理解できない事にはそれもままなりません。


生命の科学の記事を書きながらも
自らは多少は先行して勉強していたのですが


なかなか理解できなかったのは第五講義の
三次元と四次元に関する話でした。


イエスキリストがそうであったように
アダムスキーも例え話が多くて、
直接の回答を一つ提示してくれていた訳ではなくて


抽象的な表現や比喩的な表現ですべてを解説しているからです。


当初は四次元と言われても
そのイメージを作り上げる事も、


そして四次元と三次元の関係を理解することも
出来ませんでした。


一番の原因は私の持っていた価値観による
四次元なる世界の姿でした。


一次元は”点”であり”二次元”は平面である。


そして”三次元”は立体であり”四次元”は

超立体もしくは立体に時間の概念を交えたものだと
想像していたからです。


それは私が過去に読んだ
科学関係の書籍からの受け売りでしたが、


少なくともどこかの組織のように
「四次元や多次元には高級霊がいる。」


などと言う概念はありませんでしたし


自分の価値観として出来上がっていた四次元の概念と
アダムスキーが取り上げていた四次元の実態が
一致しなかったからです。


つまり、四次元が魂(精神・思考)の領域であると言うことを
私はオカルト扱いしていて、理解し難かったのです。


ただ、一旦理解して閃くと後はすんなりと吸収されて
その後は生命の科学の理解も一気に進むことになりました。


そしてこの理解がなければ
私達は”生命の科学”や”新訳聖書”を正しく理解することも
できないはずです。


生命の科学では心なるものを理解させることで
その動きと働きを各器官との関係で見つめ


それにより、「心では認識できないものがある」と言うのが
”精神”を一番最初に学ぶ誘引でしたし


結局は精神と言うものが、
神の意識の世界である四次元の存在であり、


それと三次元の存在である心との対比で
私達の心と精神の動きを理解していくというのが
生命の科学の目的でもあったわけです。


もしかしたら今再認識した方もいるかと思いますが


私達は三次元の世界を肉体を持って生きていて、


同時に私達の思考、魂、そして精神を与えてくれている
創造主の意識は四次元にあり、


私達は三次元と同時に四次元を生きている存在である
と言うことを理解するのが
生命の科学の大前提の一つなのです。


三次元での私達の感覚器官は
目、耳、鼻、口でありそして精神を通じて肉体が感じている
触覚と言われるものですが、


ここでの感覚はすべて
物理的な現象を捉えるものであり三次元での認識です。


一方私達が精神を通じて感じることになるのは
想念(テレパシー)、神の意識、そして記憶(アカシックレコード)であり


それらは三次元のような音として伝えられるのではなくて
”印象”や”閃き”、として与えられるものでした。


私達が今やっていることは三次元に暮らしながら
四次元を意識すること。


正しく言い換えれば三次元において肉体と心を持って生きている私達は
この物理的物質の社会しか認識できなくなっていて
四次元的、精神的認識力、理解力、さらには精神の機能が退化していますが


その退化している機能を取り戻すことが
この講座の目的だと言うことです。


精神の世界、四次元なる神の意識の世界は
距離や時間や元々の概念が私達の認識とは異なる世界。


”精神”と”心”という
私達の魂の三次元的側面と四次元的側面で
説明する分にはオカルトにはなりませんが


”三次元”と”四次元”と取り上げて説明し続けると
始めて見る方にはオカルトになってしまうので


できるだけそのような記述は避けましたし
私の理解力も足りませんでした。


でも今であればはっきりと明言できます。


私達が一番理解しなければならないのは
私達が三次元と四次元の世界を同時に生きている
存在であると言うこと。


すべてのオカルトは私達が四次元的体験をした時に
それを三次元の心をもって理解しようとするから
出来上がってしまったものであり


だからこそアダムスキーは精神を持って捉えれば
そこには神秘なるものは存在しないと触れたのです。


三次元の世界で、私達が心を持って言葉を持って、
心をつかさどる器官が作り上げた価値観で
物事を理解しようとするように


四次元の世界では私達は精神をもって
物事を理解しなければならない。


そしてそれは音ではなくて
私達の精神が印象や閃きとして感じ取ることになるものでした。


万物はすべてが神の創造物であり分身であるので、


私達がそれを正しく認識しようとすれば
三次元的側面と四次元的側面を
同時に理解する必要がある。


そしてそのためにも私達は”精神”を理解して


それを自らの魂であり、
四次元的存在である神の意識、想念、神の記憶といったものを
感じ取る器官であることを認識し


さらにはそれを使用することで、自分達の真の姿と目的を
理解することを求められていると言うことを
認識しなければならないのです。


三次元的思考で、三次元の感覚器官で、
四次元の思考、神の意識、想念を理解できるはずもなく


(私達の思考は四次元で起きていて
それを肉体を持って三次元で現象化させていることを
忘れないで下さい)


新約聖書であればイエスやその使徒が
精神をも使用して理解し説明していた内容なので


それを心を持って解釈すると今現在のキリスト教のごとく
イエスの真意と違った解釈をすることにも繋がるわけです。


イエスとその使徒は四次元なるものを理解していて
精神を使用しては神の意志を表現していた人間達だからです。


以前に生命の科学の中のアダムスキーのコメントを読んで
当時の私が理解できなかった箇所を引用します。


21世紀生命の科学 レクチャー5 76P

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時間の始まり以来、人間は自分と同じような
三次元的事実を望もうとして自分を訓練してきました。


四次元を神秘と空論にしてしまったのです。


わずかにあちこちで一個人が
あらゆる次元の関連点を見ることが出来ただけです。


そして本人がその体験の分析結果を表明しようとすると
殆ど誰も相手にしないのが普通です。


一例としてイエスは四次元を説明しようとしましたが
現在でさえも彼の教えは理解されていません。


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イエスが四次元を説明していた?
そんな箇所を当時は見つけることはできませんでした。


私が新訳聖書の中の弟子達の手紙を
13年間読んでいなかったからです。


今回は生命の科学を理解する前とその後では
同じ文章でも、その理解の仕方が異なることを
身をもって強く感じさせられることにもなりました。


生命の科学の理解者、そして覚醒者は


「イエスは皆に理解されたではないか
イエスはキリスト教の教祖だ」


などとは言わないで下さい。


既存の教会の理解しているのは
イエスの教えのうわべでありその使徒の教えのうわべであり
その真意ではないのです。


そして真意は先日紹介した”イエスの神の国の奥義”にあります。


精神の世界、神の国(時には他の惑星を意味しましたが)

天に属するもの、


精霊なるもの、神の意識なるもの
御霊なるもの、そして因なる世界。


全ては四次元をイエスが私達に教えようとして使用した
四次元を象徴する言葉なのです。


そしていうまでもなくそれらは私達が
精神を持って感じるべきものです。


イエスはその奥義を、理解できると看做した
12人の弟子に与えました。


そしてパウロの記述からも
その奥義が生命の科学であることは明らかです。


つまり生命の科学の本質は私達が四次元を理解することで
神の領域、神の意識精神の働きを
理解するための物であったという事。


イエスが2000年前に12使徒に教えていた奥義を
アダムスキーが50年間に”生命の科学”として
地球社会に再び知恵を与えてくれたのです。


キリストの真の教えなるものは
その理解の上にこそ成り立つものであり
その理解抜きに正しいイエスの教えは理解することは出来ない。。。


そしてこの四次元なる物の認識は
殆どの人間にとっては理解が不能である。。。


さらには精神を感じるにはその知識への
強い信頼が必要ともなります。


だからこそブラザーズは使徒の目の前で
イエスに多くの奇跡を起こさせることで
使徒のイエスへの信頼を高める必要もあったのだと思います。


イエスがすばらしい事を語っているだけの人間であったならば
当時の風潮からもユダヤ教徒達に迫害され
神の冒涜者扱いされるだけに終わった事でしょうが


イエスの数々の奇跡が人々にイエスを一目置かせる存在とさせ
(もしかしたらブラザーズの協力もあったと思います)
使徒にイエスへの強い信頼感を齎すことにもなりました。


だからこそ使徒たちはイエスが教えた
見えない世界を理解する奥義を素直に受け止め、
それを実践するまでに進化したのだと思います。


そして12使徒がその理解者や資質のあるものに対して
その奥義をさらに伝授していたとすれば、


使徒が理解者に対して書いたその手紙の中にも
その奥義を理解していること前提での記述がふんだんに
混ざっていることになります。


後年の人間がその奥義を理解せずして
言葉のうわべを理解し、


更にはその心を持って新約聖書の記述のすべてを
解釈しようとしたからこそ


新訳聖書の多くの記述は信者以外の人間から見れば
オカルトになってしまっていますし


それ以前に、信者によっても
正しい解釈をされる事が出来なかったのだと思います。


私は真訳聖書を始めたときは
イエスがブラザーズの人間だと信じていたので


それに関連して、イエスの言葉の中には
おそらくは生命の科学に関わる内容もあると考え
イエスの言葉を引用して記事にするようになったに過ぎませんが


先述のアダムスキーの言葉と
先日のパウロの手紙の内容からも確信を持って言えます。


イエスキリストの真の教えは
三次元と四次元の動きを私達に説明するものでもあり
そこで使用されていたのは間違いなく生命の科学。


そしてイエスは自らがその奥義を利用しては
神の意志を表現し続けた存在であり


イエスキリストの脳裏にあり続けたのは
私たちの目には見えない、創造主の意識の残留思念とも言える
宇宙の法則と言う宇宙を取り巻く仕組みだったのです。


私達は2000年の時の流れを飛んで
イエスキリストとその使徒の正しい教えを
理解することの出来る存在なのです。


もしも私達が広報力や社会的影響力を持っていたならば

世界の人口の四割を占めると言われるキリスト教社会を通じて
世界を一気に改善することもできたかもしれません。


しかし現実は厳しく、
既存の権力がその権力のうえに胡坐をかくためにも
このような大きな真実は隠されていくことになるのでしょう。


しかもこの地球社会を改悪しているのは宗教なのです。


私達はキリスト(真理)を知るものとして
何かを為すべきだと思います。


おそらくはそれも神の意志であり
私達が生まれてきた目的の一つだからです。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべしよう】


私達の苦悩は精神という神の分身として
自分の真自我を理解していないこと


そして四次元なる目に見えない世界への
理解不足から起こっていると言うことを
私達は理解してそれを広報して行きましょう。

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P.S.


私達が広報力や権力を持っていたならば


私達はキリスト教社会の常識を覆し、
宗教の常識を覆し、


この社会を変えることが出来たのかもしれません。


アダムスキーが生命の科学で”戒律”なるものを設けなかった理由。


イエスや使徒のように
何が良くて何が悪いかに触れなかったのは、


いうまでもなく彼らの言葉をそのまま受け止めて
限定列挙的に人間が戒律を作り上げ


それを宗教にした2000年前の歴史を
現代社会で繰り返さないようにとの配慮でもあったと思います。


だからこそ私達は”生命の科学”を人間が作り上げた宗教ではなくて
普遍的真理であることを理解することが出来たのです。


私達にとって戒律は自らが実践し体験していく中で
作り上げていくものです。


そして私達人間が創造主に求められていることが
限りなく神に近づくことだと言うのですから


その戒律はどんどんと増え続け
結果宗教の聖典など問題にならないほどの
無限の戒律を持つことにもなるのだと思います。


生命の科学の理解者であれば
先日の記事はぜひ目を通しておいてください。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225509554.html
聖書のイエスキリストの奥義


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