心の旅 ー自然と町並みの美しさを求めてー -78ページ目

心の旅 ー自然と町並みの美しさを求めてー

あちらこちらを楽しく旅してみたいと思っています。

趣味の写真を中心として旅先情報などをお届けします。

浦安での宇田川住宅や大塚家のように市や県から有形文化財として指定された建物は補修も公的機関からの補助が得られるので維持管理が安心です。

一方で、文化財として指定されていない建物がどうなるか心配です。

浦安の古い町並みのボランティアガイドの泉美代子さんのお勧めで、そうした古い建物を

いくつか撮影してきました。

  

角屋   天理教の家

角屋                           天理教の家

  

角屋は、現在もお住まいのようです。かなり古い家で、傷みも激しいようです。

保存が心配です。

角屋の隣の天理教の家もかなり古そう。

こうした家が、まだ浦安には何軒もあります。

このまま保存が可能でしょうか?

それとも立て替えで消滅してしまうのでしょうか?

今のうちに、浦安市がきちんとした保存計画をたてるべきだと思いますが・・

浦安というと、今はディズニーランド、高級ホテル、立ち並ぶ高層ビルというイメージが強いと思いますが、

一昔前はしがない漁師町でした。

で、その面影が残っています。今日は浦安を散歩してきました。


宇田川家  宇田川家内部

宇田川家                       宇田川家の呉服売り

  

上の写真は、浦安市の有形文化財に指定されている旧宇田川家です。明治2年(1869)の建築です。

米屋、油屋、雑貨屋、呉服屋を営んでいました。今でいうデパートですね。

  

大塚住宅   大塚住宅内部

大塚住宅                        大塚住宅で網の手入れをする漁師

  

上の写真は千葉県の有形文化財に指定されている旧大塚住宅です。江戸時代末期の建築です。

大塚家は漁業と農業を営んでいました。

お風呂は大塚住宅の家の中にはありません。当時、風呂屋に行くのが普通でした。

風呂屋の利用は、子供の時間、漁師の時間、商人の時間などが暗黙のうちに決まっていて、

風呂屋は情報交換の場でもあったようです。

  

庚申塔   青面金剛菩薩

庚申塔                         庚申塔の青面金剛菩薩

  

浦安の町を散歩していて出会った庚申塔です。

浦安の庚申塔は、1715年に猫実村(ねこざねむら)の庚申講の信者により建てられました。

庚申塔の中心には邪鬼を踏みつけている青面金剛菩薩がいます。

60日に1回、回ってくる庚申の日に体の中にいる虫が体から抜け出て、

神様に、虫が住んでいる人はこれこれ悪いことをしていると報告します。

神様は、これを聞いて、罰として、その人の寿命をどんどん減らしていきます。

私たちの寿命は、こうしてどんどん減っていくそうです。

  

こうした、いいかげんな?話を奈良時代の日本人に吹き込んだのは中国の道教の教えです。

最初は貴族が信じ、次に武士が信じ、最後はととうとう民間信仰になってしまいました。

道教の教えは、もしかしたら、だから悪いことはしないようにということだったのかもしれません。

でも、当時の日本人は、その日に虫が体から抜け出さなければよいと考えました。

逆転の発想です。スバラシイ!!

  

庚申の日に虫が抜けだす暇がないように、庚申の日は酒を飲んだり、ご馳走を食べたり、お話しをしたりして夜を明かします。

虫は、神様のところに行くよりは面白い話を聞いている方がよいので、

神様のところに行くのをサボってしまいます。

これを3年続けて、記念に庚申塔を建てるのだそうです。

庚申信仰が民間信仰になってからサルの信仰と結びついてさる田彦や道祖神を

庚申塔に祀るようになりました。

浦安の庚申塔にもサルの石像が沢山あります。手洗いの石もサルが担いでいます。

  

ただし、浦安では庚申の夜に夜通し話や会食をした記録はないそうです。

3年間の祭礼をスキップして庚申塔を建てたのでしょうか?

  

浦安の漁師さんは忙しかったのでは?神様、大目に見てくださいね。

石仏

佐原の観福寺の山中にあった石仏

(第22番 平等院)

  

前回のブログに出した石仏の写真にご質問がありましたので、私の分かる範囲で。

  

上の写真は佐原の観福寺の山中にあった石仏ですが、

四国八十八カ所の札所を模したものの一つです。

観福寺の山中に同様の石仏が88個あるものと思われます。

  

写真の石仏は四国八十八カ所の札所のうちの第二十二番目の

阿南市新野町秋山にある平等院の本尊・薬師如来を模したものです。

石仏に彫ってある文字は次のとおりです。

  

第二十二番 平等院

本尊 薬師如来

  

平等にへだての

無きときくときは

あらたのもしき

仏とぞ見る

  

現在も佐原の観福寺で行われている大師講は1754年に始まったとされているので、

写真の石仏も、その頃の彫られたものと思われます。

また、9月7日(水)に佐原の町を散歩してきました。

最初に佐原町並み交流館へ、今日は友人と一緒だったので、

ボランティアの方に町並みを説明していただこうと思っていました。

ところが、町並み交流館は水曜日にお休みと知って愕然!

伊能忠敬記念館や山車会館が月曜に休みなので、水曜日にきたのに!

休みの日は統一して欲しいですね。

  

しかたなく、伊能忠敬旧宅に入る。ここは無料で入れます。

でも、入り口で終わりだと思って帰ってしまう人が多いのでは?

実際は奥に居宅や土蔵があります。場所がわかりにくいのでご用心ください。

  

昼飯に、日高昆布を混ぜた黒い蕎麦で有名な小堀屋本店で蕎麦を食べようとしたら、

ここも水曜日は閉店でした。

どうも、佐原は月曜日と水曜日は鬼門ですね。お出でになるなら、他の曜日がよいようです。

しかたなく、小堀屋支店で蕎麦を食べました。でも、おいしかったので満足しました。

  

それから伊能忠敬記念館で忠敬の様々な偉業を拝見しました。

頭がよいだけでなく、体が強い人だったようで、73歳没です。

当時としては、超長生きだと思います。

  

伊能忠敬旧宅前から遊覧船に。

船はモータで動くようになっていますが、

舳先で一応、棹をもっていて、色々と親切に説明してくれました。

  

小野川を船で遡り、利根川にでる。ここで思いがけないことに遭遇しました。

大きな青サギと白サギに出会ったのです。慌ててカメラを向けましたが、

シャッター速度も調整する暇もなく撮影、結果は惨めな失敗!悔しい!!

  

長くなって草臥れたので後は省略しますが、要するに町並みをぶらぶらとしただけです。

台風の影響がまだ、残り、ときどき俄雨、おかげで涼しい思いをしました。

  

帰りは、正上醤油店で佃煮を仕入れ、駅前の菓子店で佐原名物の菓子を仕入れて帰宅!

  



観福寺   石仏

観福寺 ここに伊能家代々の墓もあります。    観福寺の石仏

  

観福寺は、もともとは将門を祀った寺でしたが、弘法大師がここに立ち寄られてから、真言宗の寺となっています。国指定重要文化財多数。



正上醤油店   旧油惣建物

正上醤油店、現在は佃煮が主商品        旧油惣商店 土蔵は1798年築、佐原最古の建物


伊能忠敬旧宅   ジャージャー橋

伊能忠敬旧宅                    ジャージャー橋(樋橋:とよはし) 日本音100選の一つ


ジャージャー橋は、小野川の東岸から西岸に水を流す樋が橋の中にあり、

水が樋をときどき溢れてこぼれるのでジャージャー橋または、樋橋と呼ばれていました。

江戸時代初期に作られました。

今の橋は、木造のように見せかけていますが、実際は鉄筋コンクリート製です。

  

清宮家土蔵   

清宮家土蔵                     

  

清宮秀堅は江戸末期から明治にかけての漢学者で、清宮家は米・麦・糠の販売、金貸し、醤油製造を行っていました。

土蔵は江戸末から明治にかけての建築物、邸宅は明治2年の建築です。

清宮家には、江戸時代の文書、秀堅の収集した明治時代の膨大な資料などが保存されています。

   

伊能忠敬像   伊能忠敬墓

伊能忠敬像                      伊能忠敬墓

  

像は伊能忠敬旧宅内に、墓は観福寺にあります。忠敬は師の高橋至時の墓の隣に葬られることを願ったので、遺骨は浅草の寺に葬られており、観福寺の墓には、忠敬の爪と髪のみが葬られています。


私が健康のために通っているNスポーツセンター、今日はTコーチのレッスンの最後の日。

「うきうきヌードル」という一種の水中体操、昨日のように大勢のスタッフの飛び入りは無く、一昨日のような涙ぐむシーンはなかったけれど、大勢の会員が送別の意味を込めて参加した。

プールの2コースのスペースが人で溢れるほどだった。

Tコーチの人柄もあるものの、

最後のレッスンに駆けつけたNスポーツセンターの会員のやさしさは素晴らしい!

こんな素敵なメンバーとスポーツを共に過ごすことができるのは幸せ!!

  

Tコーチのお幸せを願っています。

今年の7月の終わりに佐原を訪れましたが、写真の整理はのびのびとなっていました。

今回、整理を終わったので、佐原の伝統的建造物などの写真の一部を紹介します。

佐原の町並みは、国から重要伝統的建造物群として指定を受けています。

「小野川と佐原の町並みを守る会」があり町並み保存運動に取り組んでいます。

  

小野川   正上醤油店

佐原の中心部を流れる小野川です。       正上醤油店、天保3年(1832年)の建物

  

伊能忠敬旧宅   小堀屋

伊能忠敬の旧宅                   小堀屋、江戸時代からの蕎麦屋

                              日高昆布を使った黒い蕎麦が有名

  

  正文堂書店   正文堂書店カンバン

  正文堂書店 明治13年築              正文堂書店のカンバン

  

旧三菱銀行   中村屋商店

旧三菱銀行 町並み案内所として現在使用    中村屋商店 江戸時代かr明治にかけての建物

  

観福寺

観福寺 伊能家の代々の墓もあります。

  

写真はクリックすると大きくなります。

私の通っているNスポーツクラブのT女子コーチが8月末に結婚退職される。

今日、28日(日)に彼女の教えるレッスン「水中体操」があった。

まだ、退職までは2日あるけれど、土曜、日曜日にしか来れない人にとっては、彼女のレッスンを受ける最後の日になります。

水中体操は30分間、結構きつい。でもプールにいた人は彼女を送別するつもりで「水中体操」に殆ど参加しました。

Nスポーツクラブの水泳のコーチングスタッフも7名参加、手が空いているコーチは全員参加、

こんなことは勿論初めて。

参加したコーチングスタッフの元気なかけ声で、「水中体操」は盛り上がりました。

  

みんなで気持ちよくTさんを送ろうという気持ちがでていて、素晴らしい送別「水中体操」になりました。

Tコーチ、他の参加者も何人かは涙を流していました。

  

感動的な「水中体操」でした。気持ちがいいですね。

みんなが気持ちよく、力を合わせて送別するということは。

  

来週火曜日にも彼女の最後のレッスン「うきうきヌードル」があります。

このレッスンも感動的なものになることを期待しています。

ヨットに無料で乗れる区の催しに応募して当選しました。

午前中は、大きな船で、ディズニーシーまで往復しました。暫くぶりに潮風に吹かれて海はいいなーと実感しました。

  

午後は、それぞれ4人乗りのヨットに参加者2人と指導員という組み合わせで出帆しました。

私の船は、私と妻とヨット部の高校3年生の可愛い女子学生という組み合わせでした。

 

帆の操作は我々、舵は女子学生、といっても帆の縄を曳く、緩めるは女子学生にいわれるまま、

理屈も何も分からないけれど、帆の操作で見事に船は動いていく。

かなり、沖までいくと魚がジャンプしているのが見える。かなり高くジャンプする。

船に飛び込むかな?と冗談を言っていたら、女子高校生が悲鳴を上げた。

30センチもあるボラがヨットに飛びこんできました。ヨットの操作は上手なのに魚は苦手らしい。

魚を捕まえて、海に逃がしてあげる。また、魚がジャンプして、今度は女子高校生の背中に当たる。

再び、悲鳴!女子高校生は可愛いですね。

  

沖で、一人で操作しているウィンドサーフィンに出会いました。

救命胴着もきていないので、人ごとながら心配になりました。

  

  

沖から岸を見ると美しい!

  

  

今日は、朝の9時から午後3時半まで、たっぷり海を楽しみました。

ロープワークも親切に教えて貰ったり、言うこと無し。

区の担当の方々、催しを手伝った高校生のヨット部の皆さん、

有り難う!!

  

高校の部活のありかた

ヨットを操作してくれた高校3年生の女子生徒と私とのヨットでの会話(青が私、赤が高校生)

「ヨット部の部員の数は何人ですか?」

「20人くらいです。」

「高校に入ったときは、ヨット操作は、知らなかったのですね?」

「はい、何も知らない状態でした。」

「誰に指導してもらったのですか。」

「毎年3年生が、1年生と2年生を指導しています。」 

(自主性を重んじている、その高校の部活は素晴らしいですね。)

「先生は、指導しないのですか?」

「ヨットの技術は先生は、ご存じないので」

「どんな訓練をするのですか」

「沖でヨットが転覆したことを想定して、ヨットを転覆させ、元に戻したりしています。」

「大学もヨット部のある学校に入るのですか?」

「いいえ、私の将来の夢を実現するために学科本位で大学を選択します。」

  

ヨットの係留地にヨットを操作したときも、鮮やかな手並みでした。素晴らしい!!

人柄も素晴らしい!

こんな技術を生徒同士、教え合っているなんて素晴らしいですね。

高校、大学の部活はこうあるべきですよ。

生徒が自分で考えて、自分で責任をもって行動する。

これが、部活の神髄です。

詩を読むことなど、最近とんと無いのですが、ふとしたキッカケで「千の風」という詩を読み

感動しました。

作者不詳だそうですが、素敵な詩なので、ご紹介します。

有名なので、ご存知のかたも多いとおもいますが。

他人の訳を掲載すると著作権に抵触しそうなので

やむをえず、自分の拙訳を掲載しました。できるだけ原詩を忠実に訳しました。

  


サギソウ

( サギソウの写真です。 人の魂が乗り移っているような幻想的な花です。)


a thousand winds

Author Unknown

千の風

作者不詳


Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

私の墓前に立って泣かないで
私はそこにいないのですから  私はそこに眠っていないのですから

I am a thousand winds that blow.

私は流れる千の風

  
I am the diamond glints on snow.

私はダイヤモンドのように雪にきらめく


I am the sunlight on ripened grain.

私は豊かな実りをもたらす日の光

   
I am the gentle autumn's rain.

私は優しい秋の雨
  
When you awaken in the morning's hush,

あなたが静かな朝に目覚めたときに
  

I am the swift uplifting rush

私は空高く舞い上がり

  
Of quiet birds in circled flight.

小鳥になって空を舞う

  
I am the soft stars that shine at night.

私は夜の星になり 柔らかに光輝く

  
Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
私の墓前に立って泣かないで
私はそこにいないのですから 私は死んでいないのですから





後書き

この詩の作者は不詳ですが、色々な推測がされております。

一般的には、アイルランド紛争で亡くなった青年が死の前に

両親に宛てた詩とされています。

アメリカでの高層ビルテロで亡くなった父親を悼んで

幼い少女が1周忌の集まりに、この詩を朗読して全米に

感銘を与えたとされています。

  

  


    

千葉の泉自然公園を散歩して、道にカブトムシの死骸?がいくつも落ちていました。

胴の部分が無くて、かぶとと部分だけ、つまり頭の固い部分だけ残っていました。

取り上げると、まだ、角の部分を動かしていました。

つまり、まだ生きているのです。


今朝、速く鳥がカブトムシを捕らえて、柔らかい胴の部分だけ食べて、頭は残し、残骸を放り投げたとしか思えません。私が見た分でもいくつもあったので、実際はかなりの数のカブトムシが毎朝、鳥に食べられているのでしょう。


池では、カワセミが池にジャンプしていました。恐らく、小魚を捕らえて食べているのでしょう。

人間も色々食べているので、鳥のことを言う資格はありませんが、頭だけ残ってまだ、動いているカブトムシを見てゾットしました。


弱肉強食は世の常とはいえ、残酷物語でした。