近所のスーパーが、貼り紙で「セルフレジ導入」を告知し、1ヶ月たたないうちに、店員さんとレジが並んでいた場所に機械がずらっと並ぶ一画ができていた。通いなれたお店の、模様替えにしては大きな変化に違和感しかない。

 はたして、これは便利になったと単に喜ぶだけの出来事なのだろうか。作業してみて痛感したのは、おのれの不器用さを突きつけられることである。

 有人レジの時代は、計算中に財布やらポイントカードやらを用意し、店員さんの商品さばきに見とれる時間だったのに、それがなくなったのが残念でならない。レジの店員さんの商品さばきはプロの技で、この積み重ね方なの?とか、たまごを意外と下に置いたけど、こういう並べ方なら割れないよな、など、飽きない。会話こそないけれど、ここのスーパーは、会計が終わると目を合わせてありがとうございました、と言ってくれる店員さんもいるので、楽しみにしていたといえば大げさかもしれないが少し楽しみ?な一瞬なのだ。

 セルフレジになり、独りで商品のバーコードを探して、意外と見つからなくて裏表みて、ようやく見つけて、機械に読み取らせて、それからエコバッグに詰める。商品の並べ方も何もあったものではなく、ドタドタと商品を積んでいるだけである。単純なようでノソノソと手際が悪い自分にがっかりする。

 リニューアル後のお店は、旧来の有人レジが2台残り、それ以外はセルフレジの機械になった。台数は2倍になった。セルフレジ導入後に3度ほど行ったが、レジ待ちの時間はない。表面的には快適になったのかもしれない。

 でもなぁ…と思うのだ。

セルフレジ導入を技術の進歩と言ってほしくない。スーパー帰りに、モヤモヤしながら自転車をこいで帰宅している。

 最後に。ネットをダラダラ検索して眺めていたら、セルフレジ導入による客のメリットが挙げられていた。「待ち時間の削減」と並んで、「自分のペースで買い物ができる」とあった。焦っている時も暇な時も手際の悪さはかわらない。自分にとってはメリットとは言えぬ。

他に「プライバシーの保護」とあった。何を買ったのか、セルフレジにすれば周りに知られることがないのだ、と。思春期にドギマギしながらちょっと大人な本を買おうか迷ったことを思い出して共感する一方、大げさな、とも思ったり。

いつかの神保町散歩。しばらく見ない間に、書店ビルがだいぶ建っていた。びっくりした。


 報告!

平場から見える富士山、今朝、見ることができた。かろうじて?間に合った。

 今朝は現場へ直行するため、この道をたまたま通ることになったのだ。既に、写真右手に建物が建ちあがった状態である。その建物の隣りに新しい別の住宅が建てば、富士山は遮られるのではなかろうか。

 今朝は建設スピードの差で、たまたま見えたのかもしれない。あそこにどういう建物が建つのか、気になりながら現場を通過した。

 さて、この時期には珍しく、花粉飛散が始まっているようなのだが、今のところ目立った症状は出てきていない。だから、今日はかろうじて「清々しい天気だ」と言える。ただ、こちらも時間の問題になるだろう。

………

 先日、1月の恒例行事になりつつある御祈祷へ行った。祈祷とは、まったく縁も興味もない生活をしてきたくせに、この変わりように自分のことながら驚く。

 御祈祷後は、こころの鬼を追い出そう、と新年というよりは節分に関する法話を伺った。

 そして、いつもなら名物でもある蕎麦屋の訪問となるのだが、蕎麦の誘惑にあらがって駅まで出て、映画を観ることにした。

 何を観るか、事前に決めていた。スクリーン上で西田敏行さんとお別れしてきた。


 自分の中で、映画はいつまでたっても特別感がある。非日常のイベントなので、気持ちが高なる。本当は毎月観に行けるように、もっと映画と親しみたいのだが。

 太平洋側の典型なのだろうが、良い天気が続く。たまたま春の陽気とかで昼間も暖かい。

洗濯物を撮るのもどうかと思うが、花粉の飛散が始まったという。今年は少し早すぎやしないか?


 あぁ、また天日干し中断を探る日々が始まるのだ。今日も迷ったが、せっかくの晴れの日に干さないのはもったいないと思い、干してしまった。(自覚症状がまだないので厄介な気がしている。)

いつまでいけるのだろうか。


 近所の富士山眺望スポットの近況。
最近なかなかタイミングが合わず、平場から富士山を拝むことができていない。
そのような中、年明けからついに眺望を遮るであろう戸建ての建築が始まった。足場が組まれている。

 富士山への視界が遮られる前にもう一度見ておきたいな…毎日通えないし、個人的に、焦っている今日この頃である。

見えているようで、見えていない。