『声』の残し方-いつかの、だれかに… -5ページ目

ここ何日かのこと。

埼玉に、少しの間だけど、帰っていた。

父は東京のガス会社勤務。東日本大地震以来、東京で、仙台で、31日まで、休みなしで働いていた、という。仙台から父が埼玉に帰る日にあわせて、私も帰省した。父のホッとした表情が、印象的だった。

埼玉にいる間、映画「悲しみのミルク」を観て、東京都立写真美術館に行った。

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そして、慌しく、大阪へ、昨日帰ってきた。

去年の4月4日、台湾から大阪に来た。ちょうど一年が経った。その時と同じく、今年も、桜が咲き始めた。

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なんだか白黒が落ち着く。色の多い日常は、なんだか疲れる。

レタス2個で50円。

お昼に買い物に行った。日曜市だったようで多くの人で賑わっていた。

野菜が特に安かった。太くて大きい大根が一本150円。大きくずっしり重いキャベツも、150円。そして、野菜売り場の隅っこにはレタスが山積みだった。2個で50円とある。これは安い!、と思った。が、値札には「茨城県産」との但し書。

この安さと産地の関係ははっきりしない。それでも、買うかどうか悩んだ。そして、結局、私は買わなかった。メディアで繰り返される、安全です、はどこか信用できなくて。私は心配性すぎるのだろうか。

とにかく、レタスを作ってくれた農家の人に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

***

さきほど、ある方と電話をしていて、黒澤明の『生きものの記録』の中島喜一さんを思い出した。

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映画の終盤、精神病棟の窓から見える太陽を指して「見ろ、地球が燃えとるぞ」という中島さんに、震えました。

「闇を掘る」を見た。

CinemaKobeで『辺野古を考える 全国上映キャラバン』が開催中だ。

けれど、私は、「闇を掘る」という、主に北海道の炭坑(空知炭坑と太平洋炭坑)を撮った作品が気になって、それを見てきた。

とってもいい作品だった。

炭鉱夫として働き、その風景を絵にした早川季良さん(早川さんの作品はプラネットearthで展示されています)、炭坑に暮した三組の家族、サハリンの三菱炭坑で戦前働き、戦後50年経って再びその炭坑を訪れた永井さん、また、サハリンに強制連行された韓国・朝鮮の人びと。

アートの視点も、歴史的な視点も、そして、炭坑に暮した人びとの視点(「女性」の語りが多かった)が凝縮された作品だったと思います。

それでも、この作品に私がグッと引かれたのは「塵肺」(石炭や石の粉が肺にたまる職業病)に大きな焦点を当てていたこと。

炭坑や炭鉱夫を書・描いた、撮った作品は多いけれど、この「塵肺」に視点を当てた作品は多くないのではないか。実は早川さんも「塵肺」に犯されヤマを出、絵を描き始めた。ヤマを出た「後」の炭坑夫を、この「塵肺」を一つの視座としながら追っていく。

「闇を掘る」。とにかく、衝撃的で、しかし、やさしい感じのする(←これがいいよなぁ)作品だった。

少しだけ早川さんの作品を。

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予想してはいたが(追記:3月21日)。



東日本大震災の、このような事態に乗じて、米軍基地の必要性を強調するなんて。なんとなく、予想してはいたが、そのための「支援活動」だったのか、と考えると、やっぱり腹が立つ。


*追記(3月21日)として、3月18日付けの琉球新報の「社説」を。

 効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか。
 東日本大震災への米軍の災害支援に絡めて、在日米軍が普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える。
 在沖米総領事館は、沖縄から基地従業員を含む海兵隊所属の約480人や普天間、嘉手納両基地所属ヘリ、第31海兵遠征部隊の兵員2200人が災害支援で被災地へ向け派遣されたと発表した。
 未曽有の大震災に伴う死者や行方不明者の捜索、被災者救援は急務だ。原発事故に伴う放射能への被ばくリスクがある地域で救援に取り組む人々には敬意を払いたい。
 しかし、災害支援は売名行為ではない。人道上の見地から本来、見返りを期待しない、崇高な精神でなされるべきものだろう。
 在沖米海兵隊は「普天間基地の位置が、第3海兵遠征軍の災害活動に極めて重要であることが証明された」「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」と普天間飛行場の地理的優位性を強調する。
 悲しみに打ちひしがれる死者・行方不明者の家族や被災者への配慮はないのか。そもそも近傍の基地ではなく、被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか。地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。
 米軍の説明は、独り善がりで筋が通らない。政治的打算に基づく言動は、県民、国民の米外交に対する信頼回復にとって、かえってマイナスだろう。
 「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などと差別発言をして更迭された米国務省のケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ。
 メア氏は発言発覚後も学生が作成した発言録について「正確でも完全でもない」と非を認めず、今もって県民に謝罪をしていない。
 日本の「和」の文化を「ゆすり」と同一視する差別発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復権など願い下げだ。
 はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-174892-storytopic-11.html

広い視野で。

今日図書館で新聞を読んだ。そのほとんどが、東北大地震を大きく報じていた。ここ数日、私自身、ずっと地震に釘付けだった。

その一方、こんなことが、まさに、いま、行われようとしている。

イスラエル、入植住宅の追加建設を承認 一家殺人事件受

被災地の現状にしっかりと目を向けながら、だからこそ、広い視野で「いま」を見つめたい。被災者の皆様にお見舞い申し上げると同時に、不当な状況に否応もなく置かれている人びとを忘れないでいたい。

いま、多くの人びとが、暗く重たい日々を、不安や恐怖に怯えながら過ごしている。

『俺俺』を読んだ。

研究室に置いてあったので読んでみた。

俺俺/星野 智幸

¥1,680
Amazon.co.jp

パターナリズムとリベラリズムのバランス、或いは、その間。読みながら、そんなことを考える。だったら付かず離れず、不即不離か。だけど、これも、どこかむなしい。

人と、生きる。いつから、こんなに、つらくなったのか。

面白かった。

こちらの書評もどうぞ。

ウトロ。

2月21-22日、ウトロ地区や生野区を巡るツアーに参加する。主催は東京経済大学。

ウトロ地区についてこんな記事。リンク切れになる前にコピペ。

京都・宇治のウトロ地区:土地の売買契約、完了(毎日新聞 2011年2月3日 大阪夕刊)

 戦時中から在日コリアンが土地所有権のないまま暮らす京都府宇治市のウトロ地区の問題で、韓国政府が拠出した支援金30億ウォンの受け皿となった財団が進めていた同地区東側半分の土地約3800平方メートルの売買契約が3日完了した。府や同市は今後、住環境整備のための調査に着手する。

 土地所有者の不動産会社「西日本殖産」(大阪市)から同財団が1億8000万円で買い取る内容。支援者の寄付約1億3000万円を使って別の財団が昨年5月に購入した2750平方メートルに隣接している。【山田尚弘】

ウトロ地区、韓国系財団が土地買い取りで地権者と合意(朝日新聞 2011年2月3日)

 京都府宇治市のウトロ地区に住む在日韓国・朝鮮人が土地購入で居住権の確立を目指している問題で、支援する韓国政府系財団が地権者から土地の一部を買い取る交渉が合意に達した。3日にも契約を交わし、土地購入の問題が決着する。今後は住民側が求める公営住宅建設やインフラ整備に向け、日本政府や自治体の対応が焦点となる。

 同地区に戦前から暮らす住民側は2007年、地権者の不動産会社「西日本殖産」(大阪市)が所有する土地の約半分、約1万500平方メートルを買うことで合意した。昨年には、市民らの寄付金などを原資に土地のうち2750平方メートルを取得。今回は韓国政府の支援金30億ウォンを管理する財団が隣接する3800平方メートルを購入することで合意した。

 住民側による土地購入をめぐっては、円高ウォン安などで購入資金が変動し、買い取り面積が縮小。また、地権者が固定資産税を滞納したり、土地に抵当権が設定されたりしていたため、交渉が難航していた。住民側は、今回の購入分も合わせた6550平方メートルで土地の買収を完了。今後は、日本政府や京都府、宇治市と住環境の改善に向けた調整を進める考えだ。

 宇治市によると、土地の売買が成立すれば、国と府、市が地区のインフラ整備に向けて設立した「ウトロ地区住環境改善検討協議会」の活動が再開される。協議会は住民や建物などの基礎調査を進め、住民側が求める公営住宅建設や上下水道などの整備についても検討するという。(合田禄)

何も出来ないことを思い出す。

たぶん、私の知り合いも、この場にいる。

やんばるの東村 高江の現状

そして、三年前の楽生院を思い出さずにはいられない。

それは、事件があった、ということよりも、自分は何も出来なかった、ということを、だ。

タバコで社会学。

昨晩、書き物をしていて、気分転換がしたくなった。色々考えた挙句、タバコを吸ってみようと思い、夜な夜な家から少し離れたコンビニに向かった。

コンビ二に着いて、その銘柄の多さにすこし立ち往生。さて、どれを買おうか。しかし、お客さんが後ろに並んでいるし、なんでしょうか?と店員もプレッシャーをかけてくるので、ゆっくり選ぶこともできず、結局緑色のパッケージに引かれて買ったのは、マイルドセブンのメンソール・ライト。お値段440円。ずいぶん高いじゃん、値段ちゃんと見るんだった、と思いながら、しぶしぶ会計を。

家に着いてさっそく、一本。うーん、鼻はなんかすーすーするけどこりゃただの煙だ、というチンケで当たり前すぎる感想に、もっと気の利いたこと言えないもんかねぇ、と思っていたら、油断してゲホゲホとむせた(やっぱりただの煙だった)。

でも、タバコを吸ってみると、いろいろと面白いことに気づく。

今朝、ちょっと生意気に珈琲を飲みながらタバコを吸ってみようと思い立った。右手でタバコを持つ。すると、これまで右手で持っていた珈琲カップは左手に持ちかえられ、なんだかいつもとは違うコップを持っている感覚になった。口に運ばれる珈琲も、どこか不自然だ。

学校でもタバコを吸ってみた。火をつけてしばらくしてから目の前の「禁煙」の張り紙に気づき、申し訳ない気持ちに。タバコを吸わなければ特に何も感じない「禁煙」の二文字が、意味を持ち始めた瞬間だった。

ちょっと高いと後悔した440円のタバコだったが、これ一つで体の使い方がちょっと変わったり、見えなかったタバコ社会が浮き彫りになったり、これまで私にとっての当たり前に少しずつ疑問を感じるようになった。

タバコで社会学する、といったらかっこよすぎるし、いつまでタバコを吸うのかわからない。が、タバコを吸ってみて気づいたことを、「香煙」のテーマにちょっとづつ書き留めておこうと思う(もしかしたらこの一回で終わるかもしれないが)。

というわけで、昨日からタバコが私の生活に仲間入り。これから、どうぞよろしく。煙もだんだん、ただの煙、ではなくなってきた(ような…)。

気づけば一月ももう終わり。

気づけば一月がもう終わる。なのに、なにも更新していないのはなんか気が引けるので、へんな義務感からとにかくなにか書いておこう。

・冬休みは大島渚の映画をツタヤで借りて見る。「日本春歌考」のヨサホイ節が頭から離れない。もともとはこんな歌だったのか?なぎらけんいちがヨサホイ節満州小唄も歌っている。満州小唄は、朝鮮人従軍慰安婦が日本人兵に語りかけるという設定の歌。映画ではその替え歌「雨シッポの唄」が歌われる。

・ほかにも「青春残酷物語」「日本の夜と霧」「白夜の通り魔」を見た。

・正月は実家に。台湾から送った荷物の整理。すっきりした。

・短い文章を一つ書く。

・合間をぬって、ずっと行きたかった歴博に。総合展示第6室〈現代〉、もうちょいゆっくり見たかった。国会図書館では文献探し。

・帰省中に見た映画は「戦場でワルツを」。読んだ本は朴婉緒『新女性を生きよ』(朴さん、1月22日にお亡くなりになりました)。

・台湾行きの話がなくなった。ちょっとへこむ。が、すぐに復活。

・四国に旅行。うどんをたらふく食らう。いいリフレッシュに。

・口蹄疫、鳥インフル、そして噴火。宮崎、どうした。友人の実家が心配だ。

・原稿書き。締め切りに間に合うか。こんなときに風邪を引いてちょっとダウン気味。

・去年参加した韓国と台湾でのツアー、その報告書が届く。

・この寒さ、いつまで続くのか。早く暖かくなってほしい。

・なんだかんだと後期が終わった。過ぎてみれば一年なんてあっという間だった。