以下に一部抜粋させて頂きます↓
4回転アクセル着氷までのリモート指導とは?
「ユヅの場合は彼から動画が送られてきて、僕がそれを分析して、気がついた点、直すべきだと思う点を記述式でテクスト(ショートメッセージ)の返信を送るんです。そして彼がそれを見て、次の練習で活かす。なにかわからない点があればユヅからメッセージが来て、やり取りをすることもあります。
(中略)
やっぱり実際に対面式でやるのとはまったくわけが違います。こう言うと変に思われるかも知れませんが、僕は『触るのが好き』なんです(笑)。スケーターを『手取り足取り』教えるのが僕のやり方です。腕はこう、腰はここ、足はここ、と位置づけをするんですよ。ちょうど彫刻を創る感じですかね。そうやって選手に僕のやってほしいことを伝えます。なのにユヅが、よりにもよってジャンプの中でいちばん難しい4Aを身につけようとしているときに、僕たちはすべてをバーチャルでやるしかなかったんです。
(中略)
でも、ユヅと練習するのは本当に楽しいです。彼は自分の身体を完全に知り尽くしているんですよ。彼と練習するようになってかれこれ8年目になりますが、僕の言うことをすぐわかってくれる。ここをもうちょっと速くして、これとこれをしっかりアラインさせて、とちょっとヒントを与えると、彼から『Got it(了解)』って返事が来ます。そういうプロセスでした」
日本とカナダには14時間の時差があり、リンクの貸切時間も限られるため、リアルタイムでの指導は難しかったと思われます。しかし、ブリアン氏はコロナ禍以前から献身的に羽生選手のリモート指導を続けていました。
「(羽生選手がトロントに来た)最初の頃、僕はまだ彼の試合に帯同していなかったんですが、彼は練習の後すぐに動画を送ってきていました。30本の動画が送られてくることもあったんです。すぐにコメントして返信していましたが、彼は僕がいつでもすぐに対応することを知っていたんです。『君のためなら24/7、一日24時間、週7日間時間を割くよ。いつでも連絡してくれていい』と言ってあったので。午前3時に動画が送られてきたりもしました。3時半までに僕もフィードバックを送っていました。彼の勤勉さには感心しますよ」
そんな地道なやり取りの末に、ついに北京五輪で着氷した4回転アクセル。
ブリアン氏はそれを見て、「転倒はしましたが、ジャンプに高さがあったし、飛距離も伸びていたし、着氷もいっそう明らかに片足で降りていました。試合でこれまで誰が跳んだ4Aよりも、あれがぶっちぎりで最高のジャンプでしたね」と絶賛。羽生選手にも感想を伝えたそうです。
『君のためなら24/7、一日24時間、週7日間時間を割くよ。いつでも連絡してくれていい』
なんと献身的な言葉でしょうか。本当に人間的にも信頼できる方です。羽生くんとジスラン・ブリアンコーチの絆の深さを感じるエピソードです。
ちなみに、羽生くんはずっとブリアンコーチのことを「ジスラン」と名前呼びでしたから、私もそう呼ばせていただいていました。近頃のニュースでは「ブリアン」と姓呼びですから、便宜上そこに合わせています。
なお、ジスラン・ブリアンコーチの今回のインタビュー全文は、『フィギュアスケートLife』↓に掲載されています。
羽生くんの"リモート能力"は、ジャンプ指導だけでなく、振付指導の面でも発揮されました。
振付師ジェフリーバトルさんのインタビューが『Number』に掲載されていましたので、この機会にご紹介させて頂きます。
以下に一部抜粋させて頂きます↓
ジェフリー・バトル「彼にとって、満足のいく挑戦をすることが何より大事だった」
長年にわたって、羽生結弦の振付を担当してきたジェフリー・バトル。北京オリンピックの羽生の演技を見終えて、彼は本誌の独占取材に応じた。最初のジャンプが氷上にあった穴のために失敗という、厳しい出だしになったSPについて、まずはこう感想を述べた。
「エッジが穴にはまってしまったのは、本当に残念でした。ジャンプに入るための体勢などは、完璧に見えたのですが。氷の問題は全てのスケーターの競技人生において起こり得る事故で、ぼくも何度か経験しています。普通は、あと少しこうしておけば、ああしておけば、と後悔の念で圧倒されるのですが、ユヅはそこで引きずることなく、気持ちを切り替えて残りをノーミスで滑り切った。これはなかなかできることではありません」
自らの競技時代の体験と、振付師になった今の両方の視点からこう説明する。
「ミスが出てもすぐに切り替えてというのはコーチ、振付師としては常に生徒に指導すること。でも実際には競技者として、それは簡単なことではない。ここまで多くの経験を積んできた彼だからこそ、可能だったのだろうと思います」
今シーズンのSPのサン=サーンス作曲『序奏とロンド・カプリチオーソ』は、バトルとシェイ=リーン・ボーンのコラボレーションとされている。これまではSPをバトル、フリーをシェイ=リーンが振り付けてきた。二人が一つのプログラムを振り付けるというのは、どのような作業だったのだろうか。
(中略)
「振付の作業はオンラインで行いました。対面でするより困難ですが、ユヅは画面上の作業でも問題なくこなす力を持っている数少ない選手の一人です。僕の元々の振付には、特にストーリー性をもたせてはいませんでした。その後ユヅがシェイ=リーンにも意見を求め、彼女が細かいところに手を加えてコラボレーションの形になりました。選手の希望を優先させるのは大事なので、これは良いことだったと思います」
その結果、羽生自身も「ジェフが基盤を作ってくれて、シェイがそこに情緒あふれる物語をつけてくれた。新しい物語として、エキシビのように感情を込めて滑れている」と語るプログラムになった。
バトルは羽生がソチオリンピックで最終に金メダルを手にした『パリの散歩道』から、ずっと羽生のSPを手掛け、その成長を見守ってきた。
「彼は成長するに従って、自分の意見をきちんと反映させるようになりました。謙虚なところは以前と変わりませんが、今のユヅは自分の考えを整理してまとめて、周到に準備をする。そして方向性についても、はっきりと自分の意志を表明します。これは彼自身のキャリアですから、とても大切なことだと思うんです。選手にとって、キャリアを振り返った時に自分ができるだけのことをやった、と思えるのはとても重要なことなのです」
「選手というのは、だんだん体力的に衰えて、技術も以前ほどのことができなくなって競技を去っていくというのが普通です。競技生活の最後に、技術的なピークが来る選手というのはいません。でもユヅは若い頃にはプログラムの最初で跳んでいたジャンプを、北京では最後に跳んだ。表現など全ての面で成長してきたと同時に、これだけの技術と体力を保ってきたのはすごいことだと思います」
「表彰台に上がると予想していました。でもそれよりも彼にとって、満足のいく挑戦をすることが何より大事だったのだろうと思います。結果はどうであれ、彼は恐らく自分の演技には満足しているだろうし、誇りに思っているだろうと思います」
「これからユヅがどうするのか、ぼくには全くわかりません。おそらくまだ自分の中でどうしたいのか、消化しているところではないかと思います。どのような結論になっても、ぼくは彼のことを誇りに思っている、と伝えてあげたいです」
抜粋は以上です。
ジェフは1982年生まれで羽生くんより12歳年上。2006年のトリノオリンピックで銅メダルに輝き、2008年に世界チャンピオンとなり、その年の9月に26歳になると同時に現役を引退し、プロスケーターとなりました。現役時代のジェフは芸術性のある滑りに定評のあるスケーターでしたが、4回転ジャンプは跳んでいませんでした。そんなジェフだから、尚更、羽生くんがオールラウンダーであること、更に27歳にして4Aに挑戦する勇気に喝采を送り、絶えずリスペクトしてくださるのだと思います。身をもって羽生結弦の凄みを実感してくださる方の一人です。
クリケットの方々は、能力的に素晴らしいだけでなく、本当に心が温かい方達ばかりです。
お互いにリスペクトし合える関係性が素晴らしい!
2012年のあの移籍の時、羽生くんが選んだのがクリケット・クラブで良かったと、しみじみ思えるエピソードばかりです。
リモート振付については、シェイ=リーン・ボーンさんのご意見も語りたいところですが、シェイさんのインタビューを掲載していた『クアドラプル』がただ今、行方不明中です 増えすぎた蔵書の整理が必要ですね。
シェイさんが昨年「天と地と」の振付について語られたことを過去記事でも書いていますので、そちらもご覧いただけるとありがたいです。↓
今日も羽生くんを全力応援!ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
羽生くんの怪我が早く良くなりますように!
羽生くんが笑ってくださっていますように!
羽生くんの幸せを心から願い、祈ります🙏
画像やTwitterや記事や動画は感謝してお借りしました。