根拠なき自信。
最近、すごく大事な気がしています。
20代をどう過ごしたか、特に勉強をした人間かの差が30代で出るんだなあというのは感じていました。この場合の勉強ってのは「根拠を見つける・考える力」とも言えます。
ウリみたいな秀才型(≠優秀という話ではない。笑)、下からまじめに努力を積み上げてそこそこをめざすタイプにはこのスタイルは比較的フィットしてきました。
が、同時に社会でいろんな人に会ってみると、どうも自信、それも根拠のない自信がある人もすごいなと感じています。単純なポジティブシンキングとはちょっと違うやつ。
一般的には大人になるにつれて社会化されていくので「それはムリだよ」とか「なんでそれなの?」みたいな修正が図られます。で、ある程度その社会での標準的な感覚を身に付ける。
それはもちろん大事で、できないと苦労することも多い。そうした周りの人を動かす場合、やっぱりプロジェクトのストーリー化された理由を伝えていく必要がある。
なのに、チームをマネジメントする最後のぎりぎりのところや日常業務を周囲をエンパワーメントしながらじりじり進めるためには、「根拠のない自信」がとても大事なのではないかという気がしてきました。
理由を説明する能力も大事だけど、周りの不安や疑問にたいして根拠が説明できなかろうと自信を失わないこと。これは結構難しい。しかしその態度の一貫性と旗降り続けたことが、事後的に仕事のまとまりを生むケースがあるようです。
携わるみんながみんなそのプロジェクトが中心業務でない場合などは、特に強い。つまりそういう場合は根拠のない自信を演出すると話は通りやすくなる。
もしかしたら多くはないし、失敗例だらけかもしれない。それでも自信を持ち続けコミットし続ける。
これが偶然できるパターンは、周りの人の話を聞かない(聞けない=聞く能力がない・聞ける環境がない)場合。これはウリとあまり関係ないのでパス。「あえて聞かない環境をしばらく作る」くらいは効果的かも。
聞きながら、根拠も示しながら、周りとコミュニケーションしながら、かつ根拠のない自信を維持し続け、周りをアゲながら進める。そして結果を出す。
これができればもうひとつ仕事の質が上がるかなぁと。「ムリでしょ?やれる根拠は?」と聞かれたら「やってもないのにムリと言える根拠は?まずは進みましょう、必要なのはムリな理由ではなくどうやれるようになっていくかでしょ?たぶん大丈夫っすよ」くらい言ってみたいです(笑)。
こっちに書こう。
Facebookだとなんやかや気をつかうので、こっちに備忘録。
この週末は久しぶりに全開でした。人と話しすぎて声枯れた。
大学の後輩やら大学時代のサークルの現役の学生さんやらが上京してきたので、少しでも役に立てればとみなさんをうちにお泊めしました。
連日、飲んだ飲んだ。
自分がどんな大学時代を過ごしたか、それがいままでの社会人としての仕事にどうつながっているか、そしてそのときから始まった自分を成長させるための勉強をこれからどうやっていくのか。
そんなことを考える機会にもなりました。
そして、2011年9月5日以来久しぶりに人前で泣きました。後輩いるのにちょーはずかしかったです(泣)。疲れてたから感情の制御が弱かったからなあ。
311をどう受け止め、何を感じ、何をしてきたか。仕事を通じて何を知り、どんな思いで何を生み出すことをめざして仕事をしてきたか。
あのとき、「自分は、この社会はいまのままでいいのか」「もう少し何かを変える必要があるんじゃないか」と感じていたのを思い出しました。
なので、もう一度メモ。
監督交代。
まさかのJ2最下位で大分トリニータの監督が交代。
この2年試合を見てないので何が起きているか知らないのですが、ちょっと思うことを。
これだけ不振が続いても続投してきた理由は、J1への昇格という実績、一貫した攻撃型のチームづくり、そして何よりトップリーグの空気感を体現できる人だったからかなと推測します。あとはフロントにとってコミュニケーションしやすかったのかな。
これらは基本的によかったと考えるほうが健康的です(笑)。
しかし、現状大変なわけです。少なくとも法人規模、年俸総額、スタジアム等の環境、行政の支援、サポーターの数、そういう客観的な指標から考えればさすがにここまで落ちるのは異常事態。
「どーすればいいんだ?」と関係者は頭を抱え続けてきたことでしょう。
球団マネジメントもよくわかわないしサッカーの専門家でもないし、ファンミーティングとかに行くでもなし、もちろんご意見メールも送らないので、ブログにちょっと書いてみます。ざっと見た限り同じこと言う人はいないので、書く意味はあるかなと思います。
(ちゃんと意見しない最大の理由は現状を知らないのでまともな判断するデータがない。マネジメント、チーム戦略・戦術、現場の空気)
「現代サッカーを放棄すること」
結論はこれです。トータルフットボールはいらない。今日練習でやった「攻守の切り替え」とかやめてしまう。J1では通しないけど、J2の上・中位に安定まではいける。
システムは4ー3ー1ー2をベースに。
サイドバックの上がりは基本しない。90年年代イタリアのカテナチオに近いぐらいディフェンスをガチガチにする。スリーボランチで、攻撃は3人で行う。それとセットプレイ。
金をかけるのは、まずボランチの真ん中。ここだけは攻守両面できる人。そしてボランチがディフェンスラインに吸収されないようコントロールも。前の3人が守らないので積極的なプレスを続けるスタミナも必要。
続いてツートップの1人。ツートップはどちらもドリブラー。縦に仕掛けるタイプ。ポストプレーでのキープはチーム戦術として捨てる。高いラインの裏か、足下につないだら突破をはかること。ここは、できれば外国人、てかブラジル人。もしくは育成枠で獲得した若い選手。トップの3人全員に金を使えたらラッキーはラッキー。でも、他のポジションとのバランスで金を使う。
センターバック二人も要。高さとパワーが必須。攻撃にさらされ続けるのでメンタル・守備力への自信はあったほうがよい。チャンスのセットプレイだけ必ず上がる。スピードもテクニックも一切必要ないので、年齢のいったJ1引退クラスが理想。
金をかけるのはここまで。いまの財政で可能な限り追求。
サイドバック、ボランチのサイドは育成枠。若手の積極起用。1人フリーキックが蹴れるとありがたい。
これを軸に、まず引いて守る。カウンターで運がよければチャンスになる。あとセットプレイに迫力が出る。それで点を取れたらラッキー、ただし失点はしないこと。0ー0であればよしとする。
推測でしかないけど、かなり現場は混乱していると思います。やるべきことがごちゃごちゃして、あれこれ言われ考え一人ひとり自分が何をするか、どう成長するかのプライオリティがわけわかんなくなってないかなと。(なってなかったらこんな順位はないかな?)
まず、一度チーム戦術、一人ひとりの役割をシンプルにすること。
あれもこれもではなく、8人で堅守、3人の個性のあるワガママタイプで仕掛ける。前線は何度ミスしてもよいからチャレンジ。責任は後が最後までとる。ゾーンディフェンスにして相手の枚数にも必ず多い状態をつくる。原則セーフティファーストでビルドアップは余裕があるときだけ。
もちろん誰なら攻めに参加していいとか、細かい戦術の調整はいまいる選手のよさを活かせるならバリエーション豊富に4ー3ー3でも4ー1ー3ー2でもOK。特に後者は攻撃的にいかなきゃいけないときに簡単にチェンジできる。
基本、対戦相手(競合)の分析抜きに好きなこと書きましたが、おそらくJ2クラスの精度・パワー・スピードならばそんなに崩されないと思うわけです。まずそういう形で混迷を収拾して自分たちの基本スタイルを立て直す。
(よく「もっとこうしろ!」意見を見ると「相手も同じく努力してるから…」と思うけど同じことやってんな。笑)
今でいうと柏のシステムに近いかな。あと3年前にACLとったときの広州コウダイも。ただし最大の違いは「トータルフットボールはやめること」。専業制に戻す。
これ、どうかなと?笑
あくまでJ2限定だけど、明日から手を打てるしお金も大丈夫、たぶん。選手の意識改革、フロントの180度方針転換の覚悟、地味な試合へのサポーターの寛容さ、くらいがネックかな。
社会は変わるもの。
いま、BSでヘルタVSバイエルンを観ながらふと感じました。
あ、サッカーの試合です。それももう結果知ってるやつ(笑)。
ミュラーが2度のワールドカップで10点取った話が出て、ふと「歴代のドイツだと誰が一番点取ったのかな?」と気になりました。
いないんじゃないかな?なんせ、いまのドイツという国はまだ実は26年しかないから。西ドイツならもちろんいるけど。89年の壁崩壊のときは、物心がついてたのでなんとなく記憶があります。
考えてみれば、日本だってうちの親が生まれてから沖縄がアメリカの領土だったわけで。「本土の大学行くのにパスポートが必要だった」って仕事で会った方は言ってたし。
ばーちゃんが若かりし頃なんて台湾が日本だったわけで。
いま、当たり前に生きてる社会の形も、間違いなく死ぬまでには予想がつかない規模で大きく変わるんだろうなと思います。
とか書いていたらちょうどハーフタイムでニュース。日米首脳会談。
アメリカが覇権取ったのも、一応冷戦後と見ればこの20年。戦後という射程でも、「アメリカにくっついていく形で地位を得る」って路線も、アジア投資銀行の件なんかで明らかに変わって来てると思うのですが、どうなんでしょう?
高校の教科書でやったG8が世界のリーダーって、どこの話かってくらい国連とかの構造も世界のルールについてコミットする主体の構成も変わってきてんのに「日米同盟」って…。
あ、政治の話になってしまった。違います、そこじゃない。
ヘルタの原口です。最近、サッカーの試合録画しまくってめっちゃ観るんですが、海外の「速さ」がよくわかります。走る、蹴る、プレッシャー、そして何より判断。
この空間で鍛えられたら、やっぱJリーグとは違うものが得られるだろうなと思います。
ちなみに、ウリは代表から本田を外したほうがいい派です。個人としては素晴らしい選手だと思いますがプレースタイルが合わないから。
いま「世界に通用する日本型のサッカー」を確立するテーマにとって、彼が攪乱要因になってしまっている印象が強い。
彼の代わりが他にできないのに、彼に合わせてチームが動く。パーソナリティについてではなく、プレースタイルであまり代わりは出ない。これはクラブチーム(たとえば豊田をベースに組んでJ1に定着した鳥栖)ならばよいけど、代表の役割ではないと個人的に思います。
少年サッカーが何をめざすのか、こどもたちが「うまくなる」ときに何がイメージされるか。特に世界で後発の日本サッカーが、FIFAランクで20位以内に定着するために、体格・気質などの日本人の現在の公約数のうえにどういうプレースタイルや文化を形成するか、大事なタイミングだと思うので、個別の試合の結果は比較的後回しでいいと思います。
同じシステムを採用するとして、本田の代わりはいないけど、香川のポジションは変われる人がいる。これってリスクヘッジにもなると思いますし。
ついでに書くと、日本人とブラジル人の気質や教育過程の違いを理解しないまま、日本サッカーをブラジル化させる発想の監督とか解説者ももうやめたほうがいい気がします。ジーコを最後に、もうそこから闇雲に吸収する段階は十分にクリアしてると思うので。
ブラジル型サッカーが日本に対して相性いいから無闇にビビって評価してる気がします。ブラジルがチョキなら日本はパー、たとえばイタリアがグー。相性の悪さ越えて勝つのが本当に強いけど、いまの日本にそれはムチャな要求です。
ワールドカップでブラジルとあたったら「がーん、運悪っ!」で負けたらいいだけだと思うのですが…。ブラジルを意識して自分たちのスタイルを崩すのが一番よろしくない、と。
本当に世界で勝てるスタイルを願います。社会が20年で大きく変わるように、サッカーだっていま見ても信じられないけど、日本がワールドカップで優勝を争うような変化だって起こりうるし、それはやっぱりいま打つ手にかかってる。
…ダメだ。こんだけポジティブでも大分トリニータがJ1で優勝する可能性は見えない…(泣)。
ま、いいや。ブログで政治とサッカー(と宗教)の話は炎上のもとらしいです(笑)。
宗教…。いま仕事で必要になった柳宗悦さんの『手仕事の日本』をコリコリ読んでますが、宗教とはちょっと違うか。
試合観戦に戻りまーす。
復活?。
最近はすっかりFacebookにメモを書く習慣になってしまいましたが、あっちだとどうしても「読んで」感があるので、まだ人に伝えたいかわからない段階のこと書きにくいので、ブログが使いやすいかも?
仕事で出力することが多い場合はほとんど書きたくなることかないので(何しろ伝えたいから必死で書くし作る)、続くかどうかは不明です。
ただ、このブログを始めて得たものは本当に多く、出会いはもちろん、書くことへの苦手意識はほとんど無くなったし、書きながら自分と対話すらことである種の自己管理ができるようになりました。
仮想の読み手を想定することで、ユーモアや前向きさが意識されます。これはなかなかいいです。少しずつ変化していく自分の定点観測になりますし。
* * *
ということであらためて自己紹介。(=キャラ設定)
ほとんど以前と変わっていません。スマホからで確認めんどくさいからすっ飛ばしますが、カテゴリーの「はじめての方へ」みたいなところにプロフィールまとめたはず。
・都内在住、ついに35、独身、一人ぐらし
・平凡サラリーマンはさすがにもうウソじゃない?
・先月引っ越しで見たらマンガが1000冊越えてました。でも実はそれ以外の本も1000冊越え。
・この1年は仕事の本ばっかりやってたかな。
・ミスチルは安定、KOKIAも。バンプ再び。
・新しく付け加わった属性は乃木坂派。
* * *
最近、ようやく大人になったなと思うようになりました。仕事はまだまだなところもありますが、生活とか人間関係とか。何より、ようやく自分を引き受けられるようになったと言いますか。
ブログを始めたときとは状況も違うので書くこともどうなるかわかりませんが、ブログを楽しみながらやれたらいいなと思います。
よろしくお願いしまーす。
いろいろと。
久しぶりにブログを書きたい気分です。たぶん、友だちと飲み屋とかカフェでおしゃべりする感覚でストレスの発散にいいんですよね。
今日は仕事の帰りに一人で久しぶりに回るお寿司に行ったのですが、なんと客の半分以上がお一人様で、ちょっとびっくり。サラリーパーソンが多いわけですが、夜の仕事っぽいお姉さんが仕事前にサクっと食っていくカンジは一番かっこよくて印象的でした。
最近、ほうぼうで「もうそろそろ一人前になったかな」発言をしていたのですが、そうそう甘くもないもんです。
なんというか、やっぱ、仕事って一人だけでできるもんでもなく、自分の仕事をちゃんとすればそれでいいってもんでもないなと思うことが増えました。
仕事が増えてイライラしてるからだとは思うんですが、そして一時的なものと信じたいのですが、職場とリズムが合わない。
今までは調整ができたのですが、ちょっとした瞬間に本音がもれて周りを困らせることが今週は2回。人に借りを作るのがすごーく苦手なウリとしては一大事です。
忘年会のみんな楽しもうぜ空気のなか、突如「なんか最近考えてることある?」と聞かれたので「みなさんは今年組織にとってどんな役割を果たして、どんな成長があって、来年の自分の成長テーマをどう設定してますか?」と聞いてしまいました。
やっちまったなー。反省。
自分はこういうの大好きだし、それで伸びてるから(今年はめっちゃ伸びた!21才のときぶり。この3年の下積みが明らかに土台になった)勝手にやるからいいんだけど、TPOのコントロールが効いてなかったです。
先日の合コンみたいなもんでは「ウリさんって話おもしろいし、ちゃんと話聞いてくれるからいいですね」ってそこそこご好評いただいたので、狭い意味でのコミュニケーション能力の問題ではない。はず。
(それからの進展については現在進行中)
なんか、みなさんの話に興味がわかない。たびたび「それ、僕も混ざらないとダメすか?」みたいな感覚に。というのも、仕事がおもしろいからもっと仕事の話をしたいわけで、こういうのは難しい。キレイごとでもなく「このメンツやったら普段はできない突っ込んだ仕事の話すんのが一番おもろいやん!」と思うし。
共通のイメージのある“仕事”を軸にしながら話すと、相手が何をどう感じ考える人なのか見えてきておもろいのに。
サービストークを発動して盛り上げると「オレの人気者ポジションとられた!」みたいな人もいるからひたすらめんどくさくなるだけだよなあと、なるべく自然にあいづちだけ入れておとなしーくしていたのに。
長く仕事を続けるには、器とか、おうようさとか、鈍感力とか、なんかそんなんも大事なんやなと思います。人を惹き付ける人には確かに懐の深さがある。
だけど、だったらそういうのはできない人で生きたらええんとちゃうか?とも思います。別にそんなにはみんなに好かれたいと思わないし。
(前の職場で一番敬愛していた上司もこっちよりだったから、ロールモデルあるし)
でも、動かすプロジェクトが大きくなるほど、やっぱり求心力とか隙みたいなのは重要で、まさにいまそれが仕事でいるんじゃね?という…。
器ちっさいな!オレ!笑
久しぶりに仕事スイッチが入った生活が続いて、ちょっとストレスフルなキャラが出てる今週の失敗2号。
「みんなウリくんみたいに考えてないんだよ。考えられないよ」
「だったら考えたらよくないですか?考えられるようになるために何が必要か考えたらよくたいですか?いま、この場、この瞬間にできることがあるのになぜやらないんですか?本当にみんなでおもしろい仕事を一緒にしてみたくないですか?」
うわー、10年前に戻ったみたい(笑)。ストレス溜まってますねえ。
救いは、部下にではなく上司に言ったところかな。あとは「相手にダメ出しをする」というトーンではなく、相手のいまいる地点を受容・肯定するところをスタートにプラスになるあくまで選択肢として提示する、というスタンスはかなり大切にできるようにはなりました。
いろんな人と遊び心もって話したり、周りの人のすすめる本を読んだり、普段は接点のないイベント顔出したり、そういうの一般論として大事です。それは分からなくはないんです。自分だって相手に勧めることあるし。
でも、限られた時間や自分のおかれた条件のなかで、いま自分が自分のために選んで勉強していること、遊んでいること、会って話す人たち、それ以上のものは、そうそうないと思ってしまいます。だって、現に爆発的に成長してるから。
組織にとって多様なキャラクターを担保しておくのは、ダイバーシティとか言われる前から大事にしてきました。だから、単純に自分のロジックや価値観を相手に要求したりはしません。
めざす山の頂上は同じだけど、ルートも登り方もペースもそれぞれでよい。ただし、チーム単位ではある程度歩調を合わせて規律が必要。
そういうことを考えて立ち居振舞いを選んでいるところに、安直にしか見えない「もっとこれもしたら?」的なのがくると「それがなぜウリにとって、そしてプロジェクトにとって、必要だと思うのか説明していただけますか?」と。
傲慢かなあ。
そういうことを言っていただけるのはありがたいことだと重々思うけど、他人のその手のアドバイスはほぼ外れると実感したのもこの10年でした。(そして聞いて従って後悔するより自分を信じたほうが諦めつく)
聞いてやってるように上手いこと見せてかわいげ演出しといて実際は自分を信じる路線を選択するのが大人かな、といまは考えています。
が、仕事が忙しいとついつい「その話聞いてる間に、その仕事を経験してみる間に、少しでも自分の仕事したいんすけど」が出てるのでマズいんでしょうね。
ふう、吐き出してスッキリ♪♪笑
放っておくとウリがいま何をどういうテンポでどういう力配分でやっているかほとんど考えずに降ってくる仕事(意味があるものとないもの両方くるからやっかい)をどう交わすかということと合わせて、どうも職場のみなさんと噛み合わないぞ問題をどうやりくりしていけるかが、当面は、もしかしたら長いスパンでも一番の仕事なのかもしれませんね。
たぶん、そこそこ対応力があって使い勝手がいいから困ってるような気がしてきました(笑)。大体のことはできるようになれてしまうから取捨選択に迷い、自分の能力との折り合いがまだわからない、と。
あ、ストレスが溜まってるだけで仕事も職場のみなさんも基本好きですよ。念のため。
ということでこの週末は、“自分で選んだ”最高の小説と一緒に、のんびり過ごします。楽しみ☆
(こうやって今年も「クリスマスは彼女と過ごす計画」は灰塵と帰すのでした)