満開の躑躅を眺めつつ -5ページ目

2016年について。

いかにも思春期っぽい。

ないしょ話。

うんとこしょ、どっこいしょ。

公開収録当たりました。

「勇気を失うな、くちびるに歌を」。

この能力何かに使えないかな?。

 
学生時代の家庭教師の延長の能力なんですが、どうも持ち腐れ感があるので考えています。もちろん仕事では本人的には全開で使ってるけど、条件が不十分(対象に深くもぐれないetc)で生かしきれてないです。むしろ業界でこっちの能力使って何か仕事のプロジェクト創り出せないものかなとブレスト用にメモしておきます。

昨日、「前回がんばったのに落ちてしまった」ということで職場の友人の資格試験の個人サポートを仕事終わりにしたのですが、久々にやってみると14年前の学生のころにやった家庭教師の比じゃないくらい自分が伸びていました。先日、就職活動の相談に乗ったときもちょっと感じたのですが、自分が大人になっています(笑)。
 
 
学生時代の家庭教師はバイト先の先輩の卒業を引き継いで週1回の1時間、中3の子をやったのですが、4月に初めて8月でクビになりました。苦手な数学だったのですが、中2の学年末が37点、中3の1学期末が74点、「もう数学が得意科目になったし勉強の仕方もわかったから先生いりません。笑」と。実際、数学だけはテスト前に点の予測が立つようになりました。(こういうの覚えてるのもちょっと頭おかしいなあ。笑)
 
その子は得意科目で90点取れる子だったので、その脳処理と数学をコネクトすること、どの学年のどこまでなら数学は万全かチェックして、そこから現在の授業までのギャップは埋め、授業を自信を持って聞ける状態にする。数学を好きになれるようにする。それだけです。90点以上をとるのであれば、別のカリキュラムが必要ですがそれは求められていませんでした。(その状況にならなかったから考えたことない)
 
この時も、一切準備はせずに、家に行って教科書見せてもらって、テスト見せてもらって、ヒアリングして、その子専用の問題集を作ってあげてそれを解いてもらうという方法をやりました。思い出しても一切準備しない家庭教師って一般的に最低ですね(笑)。だけど、横に並んで同じ問題を前に一緒にウンウン頭抱えて勉強して考えて(こっちはどういう条件を満たせばこの子ができるようになるか考え、準備するのに必死。笑)、その子がどんどんいきいきと数学を好きになっていくのが本当にうれしかったです。

その子が勝手にやるようになってからは、どうしても観たかったサッカーのテレビ中継とか横でこっちが観ていて、その子は勉強。お母さんがチェックに来たら先生があわてて教えてるふりに戻るという、いま考えると恐ろしいことになっていました(笑)。そら、クビになりますよ。

ただ「こんなの大学のサークルでの後輩の勉強援助のほうがよっぽど処理項目が複雑だし関数も多いな」というのが印象でした。現実の恋愛問題とかのが100倍めんどくさいわ!!笑

なんというか「世の教科書ってなんて親切に設計されてるんだろう。ちゃんと発達の法則的なステップが組まれてて、考える人すげーな」と勉強になりました。自分が中学のときとぜんぜん景色が違って見える教科書でした。だからその子よりこっちのほうが勉強しているという。その子に多くを教えられたので、謝金とかいらないくらいの勢いで?(現実にはバイト掛け持ちの貧乏学生だからきっちりもらうしクビになって困ったけど!泣)
 
 
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今回も、久しぶりだけどたぶんできるだろうなと思っていましたが、実際やったら変態的に自分ができるようになっている。さらに次元が上がってました。

その資格は難易度は低いけど、一度も見たこともない分野の試験なのに、その場のぶっつけで教えられる。印象としては半日準備すれば自分は受かると思います。(でもそんな時間があったらサッカーゲームしてストレスコントロールしてるほうが自分の人生には効果的だと思うのでいまのところ受ける予定はありません)

だけど、自分なら受かるとかいうことは一定のトレーニングを恵まれた環境で受けたことある人はできて当たり前の話なので問題ではありません。

誤解のないように書きますが、その同僚を「自分より頭が悪いと下に見る」といったクソみたいな(笑)感覚はないです。こんなものは個性と役割分担。その人に仕事で自分がどんだけお世話になっていることか。感謝しているからこそ「自分にできることがあるなら」とお手伝いを申し出たわけです。

(尊敬もできない相手に高コストな情報処理を必要とするこの能力をボランティアで使えるほどいい人でもないしキャパシティもないです。笑)

事前に「どれでもいいので教科書の目次」「前回の試験問題と自分の解答と正解」のコピーだけ準備をお願いしました。
 
 
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まず、問題用紙と正解を見て、ざっと何が問われるのかを確認。

そしてそれをクリアするための機能を析出。今回の場合は、設問によるけど「文章読み取り」「分類」「分類の前提となる知識」「計算」。それと階層が違うものとして同僚の場合意識する必要があるのは「集中力」と「緊張耐性」。

そして落ちた時の本人の回答を見て、どこを間違ったか、それがどの機能の段階で発生しているか、をある程度仮説として絞り込む。(以前に紹介した『企画の教科書』の手法そのままに)

で、こっからが周りでやっている人(この道のプロなら当然なんだろうけど)を見ないのですが、本人の生活や趣味、好きな本やドラマや映画や音楽、仕事のスタイル・内容のヒアリングをゆったりとコーヒー飲みながらやって、各能力の基本値と処理傾向を確認する。ここの情報処理がこちらはとても負荷かかりました。

こういう風に能力の析出といったような具体的なアイディアは誰にも教えてもらったことないけど、「試験の問題を見て」「目の前の本人が受かるためには」と考えたらその場で思いつきます。そして実際にこれをすれば受かるようにできるので、自分がそういうこと勝手にできるのにびっくりしました。
 
 
ここまでやると、ほぼクリアする課題が設定されます。そして、この「その人が受かるための課題の設定」を少し深くもぐって的確にできる人が少ない気がします。

同僚の場合で言うと、右脳圧倒的優位のタイプなので「分類」が苦手。解答にする際の各カテゴリーが峻別されずイメージでぼんやりとあり、かつ問題の読み込みもイメージでぼんやりなので混線ミスの発生する確率は当然相対的に高い。しかし日常や仕事で条件がそろうとできる場合もある。

それと得意な文章は読めるけど、苦手な文章は頭が混乱する。文章については流れ(メロディーラインのように)で読むので、逆説(ランダムに入る逆奏的なもの)に弱い。(余談ですが、このときにその人の人を惹きつけるまっすぐさの理由がちょっとわかりました)

ここで比較的同じ脳の領域・使い方に由来する苦手ポイントだなということも推測できる。それから、自信のなさに由来する当日の「緊張」。これが右脳優位で分析的なことが苦手な脳の混線状態に拍車をかけている。

パソコンでいえば基本スペックは十分あるけど、ソフトウェアのインストール内容と関連付けのところにリスクがあった、と。OSが特殊なタイプの人です。

(全部推測ですけど。笑)
 
 
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たぶん、一番自分が変わっているっぽいと気づかされたのが解決策です。

同僚は学校に通っていて、「文章の読み込みが苦手。いろいろごっちゃになる」と言ったら先生からは「細かく切って読みなさい」と言われたそうです。句読点ごとに斜めにスラッシュを入れるとか。

センター試験対策で高校にそういうこと言う先生いました(笑)。「先生っていう職種はたくさん相手にするからそういう可能性が“一般的に”高そうなアドバイスをするよね」と思いました。一般的に役に立つことなんて、目の前の同僚にはあんまり意味ないのに。そして「アドバイスに従ってもできない自分」という負のバイアスを強化してしまうのに。

あ、すみません。先生批判ではないです。ただ、同僚のよさを潰して「標準化」することでクリアしようとする印象で、好きになれません。「あなたが落ちると思わなかった」と言ったそうで「いや、あなたこそ何を見てるんですか。何することで金もらってんの」と。

基本的には、「みんなと同じようにできるようになりなさい」という暇があったら、「あなたのやり方でクリアする方法を考えてみよう」のほうが全体としてパフォーマンスは上がると考えます。

たとえて言うと「OSが一般的じゃないから変えろ」という選択肢と、「使い慣れたいいOSを使いながらも、今回の試験の範囲でソフトとデスクトップのショートカットの並べ方をいじって乗り切ろう」という選択肢の違いかもしれません。こういう説明を本人にして、好きなほうを選んでもらいました。

同僚の場合、まずは文脈を物語(イメージ)としてからまり合った(もしくは自分内部で勝手に絡み合ってしまう機制が働く)状態で読み込むところがこの試験との関係ではネックなので、文脈を短くすることにあまり意味はありません。


それにしても、ヒアリングしていて、同僚の右脳で世界を物語的・音楽的・絵画的に受け取れる能力、対極にある身としてはめっちゃうらやましいなと思っていました。自分には努力しても難しい飛び道具的な解釈コードを使っている。超いいOS使ってるなぁと。だから自分には絶対できないようないい仕事ができているのも納得いきます。

(関連していうと、この試験よりもっと難しいタイプの試験の場合は、このOS問題に分析的に踏み込まないとクリアできません)
 
 
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そこで解決策を、まずは文脈自体をなくすことと設定しました。そのアイディアとして問題文の答えに関係のありそうな単語を「意味を読んではだめ。絵として表意文字としての漢字を見て」というルールで丸をつけてもらう。問題を解く必要はない。

次に本来できる「計算」も「分類」と同時並行で行うからかく乱されるので、思考のプロセスの切り分け、解答用紙に解答で求められるカテゴリーの一覧表を作り、そこに各設問の何がどこに関係しているか、問題番号を書き込む。この段階でも「問題を解こう」と思ってはダメ。あくまで作業。

それができてから初めて「分類のみ」を行う。数字は無視。ここで、分類をちゃんと万全にする(この分類の能力のアップは次回のテーマ)。見直しもする。それでも自信がない・できない問いは捨てる。間違ってもそこを「ちゃんと考えれば解けるかも」と考えないこと。もしチャレンジするなら、もう一度同じ「作業」を、他の問題をやったあとにする。混乱を避けるためにメモリの情報のストックを一度クリアする。

そうして見ると、表にすでに自分が解答すべきテーマと設問に応じて回答する場所がすでにできている状態なので、そのマスを埋めるのに必要な「計算」を「計算のみ」の作業として行う。数字の意味や役割は考えない。
 
 
これでだいぶラクになるのかなあと思います。もちろんただの段取りのルールなのでぜんぜん裏切ってもOK。混線が発生しないなら「考え」たほうが正解の確率は高い。ただし、そちらに引っ張られて混線が発生する場合はルールに戻ること。不安な場合はルーティーンのほうを信じること。
 
ポイントは、いったん、すべて本人が「これはいまの自分の力でできること」と思っていることの積み重ねで、手順とシステム化によって「勝手に問題が解けるようになった」という状況にすることです。

いままで脳内の処理で混線を起こしていた課題を、まずかく乱要素を機械的に排除し、思考プロセスを外部化してルーティーンの作業としていちいち区別し、それを身体に染み込ませる。左脳の機能を外部化する=OSで関連性を処理できないことは別のパソコンでやるようなものです。

これで本人の脳処理法(=OS)を変えずに「なぜかできるようになった」という状態ができ、かつルーティーンとして「作業」するので試験の最初に緊張していてもパニックにならず決まり事をするだけで済む。それをしている内に脳が緊張を脱した形で通常稼働できる。本番までこれの繰り返しで自信になるとさらにいいのですが。

それができるようになったあとで、処理のプロセスを自覚して、その処理をもし同時に脳内でもできるようになればルーティーンをはずして外見的な動きとして他の人と同じように問題を解いているように見えるようにすることもできますが、今回の試験を受かるという課題にとってはどうでもいいのでご本人の自由です。
 
 
あ、それと、本人は試験の目的を「仕事で必要な能力アップ」と「通ること」を挙げていましたが、能力アップを目標にするのは固く禁止にしました。

本質的には「試験に受かる」なんてどうでもよくて「能力アップ」が重要ですが、同僚の場合はそれを混線させて必要な課題を見失ったり不安になったりするためです。今回の試験に関しては一つひとつの問題が自分の仕事にどうつながるか意識することは弊害になる確率のほうが高い。

試験に受かってから、いくらでも「試験」なんて形に押し込めなくても試験で扱うような内容について内実を伴って現場で役に立つ成長ができる人ですから問題ないと思います。もちろんそういうこともご本人と相談しながら考え決めていきます。

こういうのって周りでアドバイスしている人が「がんばったら仕事にもつながるよ」とか言うのでいい加減なこと言うな…ぁと思います。上司とか(笑)。それがあって初めて本人が受ける気になってのでインセンティブとしては必要なプロセスなんですけどね。
 
 
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過去問でこのトレーニングを週に1回1時間して、それと分類についての知識を確認しなおす、それでおそらく通ると思います(きっぱり)。

ちょっとご本人の短期記憶がどういう形で効率よく長期記憶に定着するか、生活のなかのどういう状況で勉強の条件や集中の水準が作れるかまでは見れていないので、ここは一般論。2週間後の状態をチェックしないとかみ合った勉強スタイルは判断できません。

次回は2週後くらいに保険も兼ねて残したテーマの「基本的な勉強の仕方(場所・モノ・時間の準備の仕方から)」「分類が苦手な傾向」「ケアレスミス(自覚のある場合とない場合とがある)」。それから、そこまではある程度プレッシャーかけてがんばってもらうけどテストの直前に「過緊張」をほどくメンタルケア、この4点でさらに確実にいけるだろうと思います。

それで落ちたら試験問題の運が悪い(笑)か、不慮の事故か、本人のもっと外枠での生活スタイルや人格について検討が必要ですが、そこまでして受かる必要はないと思います。というかもう落ちないです。
 
 
自信、というのとはちょっと違って「同僚が通る」というのは確信(?)みたいなものがあります。万有引力の法則、みたいな客観的な条件が成立しているから受かるものは受かる。仕事終わりの2時間弱で一発でそれできるって、おお自分、なんじゃこれ、と。
 
なのでこういうの一度も教えられたことないのですが、問題見て本人見て(基本的に誰であっても相手に合わせて)どうすればそのハードルをクリアできうるか、10数年ぶりにやったら精度と相手への理解力とコミュニケーション力といまいる相手を信じる力とかがレベルアップしてできるようになっていました。

仕事で会社の経営支援する、お店のプロデュースする、とかちまちまやってきたので、その対象が個人なのか経営体なのかの違いで、ある意味同じことやってるから伸びたんだと思います。

昨日やった印象では、この試験ならば基本データのすでにそろっている職場のメンバーなら本人に意思があれば全員受かるようにできると思います。そういう応用可能な能力。(意思、動機づけ、ミッション、価値観っていうのが別枠でとてもとても難しいんですが)
 
 
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基本、適性があれば誰でも身につく能力ではある(自分がやっているこの能力がどうやったら相手も持てるか、同じように手順化してそれもレクチャーできます)のでプロができるのは当たり前なのかもしれませんが、まったくの専門外でこういうのできるって、何かに使えないかなぁと思います。あいかわらず器用貧乏なところというか。

ちなみに就職して10数年、職場で必要と言われたことありません(取り立てて披露もしていないしこの能力が理解された記憶がない)。20代までの範囲だと「みんなもやればいいのに」だったのでわざわざこんな文章書かなくてもいいのですが、さすがに30代も半ばになるとわざわざ周りがこんな能力つけなくても(時間のムダ)役割分担で自分が役に立てたらうれしいなと思います。

「人間の能力アップはそんな機械的なものじゃない」って言われるので、「そんな人間を機械的・直線的にしか把握できないような人間にはこんなことできません。イメージがわかりやすいように表現の問題としてこういう単語をチョイスしているだけです」と答えることはありました。

仕事ではもっと必要なことがあるので、別に不満はないのですが、久しぶりに本の読み込みではなく生身の相手にもぐって考えたので、なんかもったいない気がしたので記録しておきます。これ職場の人に読んでもらって自分の使い方ちょっと考えてもらおうかな。
 
 
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ちなみにこの能力、結構コスト食います。問題を解くプロセスを理解する&その際の自分の脳処理をチェックする、を同時並行でやってから、相手の処理機構=CPU・メモリ・ソフト・容量・バッテリー・安定度etcを生活と仕事全体を念頭に置いてヒアリングを通じて理解し、それに沿って展開を考え、体得できるように伝え、確認する。こんなこと準備もせず短期間でやるのがいけないだけなんですけど。

な・の・に、その同僚からはお子さんの家庭教師も頼まれました。もちろん定価の「そのときは晩メシ食べさせてください」という条件で受けました(笑)。とてもいい子なのでぜんぜんOK。たぶん、中学生までなら当の本人にやる意思があればどの子も5教科70点までは楽しく保証できるくらいの水準かなと思います。(特殊な事情のある子は別。そういう場合は勉強なんかよりもっと他にしてあげられることがあると思う)
 
 

パソコンがポーン。

きっとそこで出会う。

飲む。


新しい人間関係のなかで飲む。

これから、ここでどうしていくのか…。

ちょっとまだ見えません。

少し踏み込んでこの年になっての自分のキャリアスタンス、 キャリアデザインを見直すタイミングに来たのかなと思います。

いろいろと考えてはみるけど、「目の前の仕事をまずは一生懸命する、その中で学び修正をしていく」で済む年でもないよなぁとも感じています。

ありがたいことに「期待してるよ」と言ってくださる方もいて。申し訳ない気もします。

この週末で、ちゃんと勉強して考えよう。