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皆さん、こんにちは。
売れプロ9期生の戸田哲也です。
今回は、「近江商人の教え」をテーマとしました。
近江商人と言えば「三方よし」があまりにも有名で、高島屋や伊藤忠商事、丸紅等の数多くの大企業の源流となっています。
2020年1月、伊藤忠商事は28年ぶりに企業理念を「三方よし」に改定しました。
近江商人研究においては、近江商人とは「近江国(現在の滋賀県)に本宅(本家、本店)を置いて他国へ行商して歩いた商人の総称」と定義され、大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人のひとつです。
また、近江商人は、店舗を構えての商売が基本の大坂商人や伊勢商人と異なり、近江の千両天秤とも言われるように天秤棒一本から財を築き、やがては豪商と呼ばれるまで発展した商家が多く、現在に至っています。
「三方よし」を実践するため、近江商人は何をしたのでしょうか。
近江商人の商法の主体はまず行商ですが、行き先を“インフラが行き渡った地域を選ばなかった”点に、近江商人の特徴があります。逆に、不便な地域をねらい撃ちにして、新しいニーズを開発していきました。
近江商人は東海道という往来の激しい物流ルートをほとんど活用せず、中山道という、山と谷が多く、どこへ行くのにも非常に苦労するルートを選んでいます。
彼らの本拠地近江から天秤棒を担ぎ、険しい中山道を克服しながら、主に西よりも東へ、北へと向かって行き、東北地方にも近江商人の痕跡が多く残っています。
不便なところへいくと、品物だけではなく「情報」を欲しがる客が多く、近江は京都に近いため、付加的なサービスとして、中央の情報を商品と一緒に届けるようになりました。
近江商人が、中山道や、さらに先の東北まで行ったのは、そこに物だけでなく京都や大坂など中央に関する情報へのニーズもあったからで、山里に暮らす人たちは行商人が来るのを待ちわびていたと言われています。
おそらく、山里に暮らす人たちは、品物と一緒に中央の貴重な情報を届けてくれる近江商人に対して、絶大な信頼を寄せていたに違いありません。
商取引とは言え、品物だけでなく情報も届けることの重要性は、現在においてもまったく同様です。
やはり商売は、人相手の泥臭い部分が多くあるため、相手が求める情報を届けることを私自身も常に意識し、実践するように行動したいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。