聖霊を冒涜する罪についての考察 | カトリック・クリスチャン放浪記

カトリック・クリスチャン放浪記

イエス、マリア、ヨゼフ、我御身を愛したてまつる。

北陸地方のおじさんカトリッククリスチャンの日誌。
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見かけたら声をかけて下さい(笑)

「だから、あなたがたに言っておく。人の犯すどんな罪も冒涜もゆるされる。しかし、聖霊に対する冒涜はゆるされない」
マタイ12:31

今までイエスの説く聖霊に対する冒涜とは何を意味するのか良く理解できなかった。
せいぜいキリスト教の名を借りるカルト系の偽キリスト教会の教祖および幹部のことだと思っていた。

しかし最近、敵の攻撃を受け他にも聖霊に対する冒涜があるのだなとつくづく感じることがあった。

ある信者の話しだが、彼は様々な信心業にうちこみ日がな1日教会に行ったり、自宅で信心業に励んでいる信者だ。

新しい信心業の情報が入るとすぐに飛び付き、常にネットで様々なカトリックショップをチェックし新たなメダイや聖品が入荷するとすぐに購入するカトリックマニアだ。

しかし、彼の行いは悪霊の所業そのものだ。

○家は資産家。今まで様々な職業につくが親に1度も叩かれたことのない温室育ちで短気なためトラブルを起こして仕事が長続きしないなため現在無職。
頚部にヘルニアがあるため仕事が出来ないと言いつつ、不思議なことにキック・ボクシングのジムに通っている。

○幼稚園時代からの幼なじみを自分の下僕同然にあつかいパシりにし、
彼が精神的に悩んでいた時には、俺はお前の秘密を知っているんだぞ的なコールドリーリングじみた言葉を投げつけ
精神崩壊をさせる。

○今は外国人の世話を任されているので自分の車で教会に来るが、以前は女性を乗せる意外、自分では決して自分の車を出さず精神崩壊させた幼なじみの車や、青年部時代の仲間に送迎してもらって当たり前の顔をしていた。

○金銭をたかり、借りたお金は返さない。

○教会の元カノを殴り泣かせて面白おかしく自慢話をする。

○その他、他に付き合った女性に行ったDVの自慢話をする。

○自分が気にいっている女性信者が未信者の男友達と教会に来たとき、睨みつけて嫌がらせをする。

○常に自分を良く見せようとするため、話の内容を歪曲し、自分の都合の良い話しに変更して常に語るので、彼の記憶も自分の虚言の記憶に変換されてしまう。

○待ち合わせしても平気で1、2時間待たせても当たり前のごとく謝罪もしない。

○教会で能力が無いから大した仕事も与えられていないのに、ある人達とトラブルを起こすと、あいつらを教会で干してやるなどの暴言を吐く。

まだまだこの信者さんの悪行は沢山あるのだが取り合えずはこれまで。

だけど神父さまの前では素直で、教会に行くと敬虔に祈りを捧げ、ひたすら信心業に励む。
だけど自分の気にいらない人や不都合な人には孤立するように仕向ける。

彼を見ているとマタイ7:21~23章の
「わたしはおまえたちをまったく知らない。悪を行う者ども、わたしから離れ去れ」

というイエスの言葉が頭に浮かぶ。

聖霊を冒涜するとはこういうことなんだなと見本を見ているようだ。

自分も、「悪を行う者ども、わたしから離れ去れ」と言われないように神のみではなく、隣人も神と同じように愛さなければならないと、つくづく思った。

聖霊を冒涜する罪とはもっと深い意味があるのだろうが、自分が身近でこの人、聖霊を冒涜しているな
と思ったので書いてみました。

公教会認定の教えではなく、私の見聞きした私見なので誤解なさらぬよう
お許しください。