妙本寺の猫~小林秀雄と中原中也(2)

猫が鳴いてゐた、みんなが寝静まると、
隣りの空地で、そこの暗がりで、
まことに緊密でゆつたりと細い声で、
ゆつたりと細い声で闇の中で鳴いてゐた。
あのやうにゆつたりと今宵一夜を
鳴いて明さうといふのであれば
さぞや緊密な心を抱いて
猫は生存してゐるのであらう……
あのやうに悲しげに憧れに充ちて
今宵ああして鳴いてゐるのであれば
なんだか私の生きてゐるといふことも
まんざら無意味ではなささうに思へる……
『雲つた秋』 中原中也(抜粋)
* * *
低く 長く
夕暮れの 境内から
虚空へと のぼって 消えた
あの
猫の 鳴き声が
今も 耳に残ります 幻のように
* * *
さて
本日は
妙本寺で もうひとつの
見どころを
ご紹介したいと思います
それは
妙本寺境内にある
ようちえん

比企谷幼稚園(ひきがやつようちえん)
こちらは 奈良・法隆寺 東院伽藍の建物
「夢殿」を 模して作られています
伝統的なデザインの 連子窓や花頭窓からは
八角形のお堂の中で遊ぶ 子供の姿が見えて ちょっと不思議な感じもします

園庭には キンカンの実が・・・
みなさん よい週末を
「 あの頃のまま 」 松任谷由実
※ 人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと たあいない夢なんかとっくに切り捨てたきみ・・・
妙本寺の猫~小林秀雄と中原中也

鎌倉 妙本寺
なぜだか この寺を訪れるのは
いつも 決まって 夕暮れ時だ
鎌倉では 谷状の地形を 谷(やつ) 谷戸(やと) と呼ぶ
妙本寺は 比企谷(ひきがやつ) の谷あいに
奥行き深く 谷を登るように 伽藍が 配置されている
進むに連れ 左右に 山が迫り
時間よりも 早く
山影に 日は落ちる
今日も そんな 薄明りの中
誰もいない がらんとした 祖師堂へ 辿りついた

文芸評論家の小林秀雄が 中原中也について記した一文は
この境内が 舞台となっている
少々長いが 名文なので 引用してみる
*
晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。
花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。
樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。
あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。
驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。
花びらの運動は果てしなく、見入っていると切りがなく、私は急に嫌な気持ちになって来た。
我慢が出来なくなってきた。
その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上がり、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。
「お前は、相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。
彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。
(小林秀雄「中原中也の思い出」)
*
いまでも 妙本寺は 海棠の寺 として名高い
しかし この時 二人が眺めた海棠は 先代の木
今は 切り株のみが 残っていると言う
その 跡 を見てみたい というのも
ここを 繰り返し 訪れる 一つの理由である
いつも 無人の境内で 闇に紛れ
見つけられないでいる
この時代 仔細は ネットで わかるのかも知れない
けれど そのようには 知りたくない 気もするのだ

ぼんやりと お堂を眺めていると
どこからか ノドを涸らしたような
猫の 鳴き声がした
それほど 遠くは無いところで 鳴いている
繰り返し 辺りを見回すと
扇子を あおぐような 猫の尾が
・・・
見つかりましたか?(笑)
そっと 裏側に まわってみると

歴史を感じさせる 厚い 踏み板の
反りや 歪みで 生じた 水たまり
それを 避けるように 猫が 座っていた
端っこに 座りながらも
無人の お堂の 主でもあるかのように
ゆったりとして
*
くつろいで見える その姿に
身勝手な 親近感を 抱いて
「もう少し・・・」
と 近付いた その瞬間
猫は
ひらり と
飛び降りてしまった
「悪かったな」
と思いつつ
あとは 主の 優雅な時間を 邪魔しないように
足音を立てず そっと 距離を取った
十分な間合いを確かめて
振り返って 帰ろうとした時
猫は
私の背中で
びっくりするほど 低く 長く
鳴いてみせた
何かは わからないが 何らかの意思を持って
鳴いてみせた
振り返ると また こちらを見ている
そっと 後ろを 付いてゆけば
ひょっとして 切株へと 案内してくれるかな?
なんて
ふと 思ったりもしたが
そんな考えを 実行する 間もなく
猫は
やっぱり
水たまりを 避けながら
谷戸の 奥へと 去っていった・・・



