Winter Sports !

毎年 クリスマスの週の日曜日はスポーツ観戦
そんな習慣もかなり久しく続いている
時には重装備でスタジアムへも
今年は残念ながらTV観戦となりましたが
高校 大学と
自身を思えば 決してマジメな学生だったとは言えないけど
こんな時は都合よく 「母校よ」 と 楽しませてもらう
出場校にその名前があると無いとじゃ
観戦の楽しみも応援の熱の入れようもまるで違ってしまう
今年は・・・
全国大学ラグビーフットボール選手権大会
全国高等学校駅伝競走大会
全国高校バスケ選抜優勝大会(ウインターカップ)
有馬記念(G1)
いずれも出場が叶い(有馬除く) 結果もまあまあと 堪能させていただきました
*
ウインタースポーツと言っても 当然のことながら
その努力は一年を通じて 暑い夏にどれだけの汗を掻けるか
引き締まった身体に張りつめた筋肉で
凍てつく北風も 物ともしない
冬を謳歌する様は 美しさと逞しさを感じさせます
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もう 一週間もすれば 年が明け 箱根駅伝
去年の今日 都大路を走った高校生も
一年の鍛錬を経て 更に成長して
箱根路に帰ってくることでしょう
それもまた 冬の そして 正月の楽しみ

フェリックス・ヴァロトン 《 怠惰 》
まあ こんな感じも 決してキライではありません(笑)
「 風はびゅうびゅう 」 寺尾紗穂
シーシュポスの神話~エンドレス・ウォーカー

* * *
神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。
無益で希望のない労働ほど怖しい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。
* * *

アルベール・カミュ著 『シーシュポスの神話』 冒頭の一文である。
押し上げても押し上げても、山頂へと到れば、岩はまた落ちて行く。ゴール、目的地も無い無限に続く役苦。
地獄の懲罰と言えば、舌を引っこ抜かれたり、火で焼かれたり、針の山を歩かされたり。「肉体的苦痛」による責苦と思っていた学生時代、この一文に出合って、ちょっと人生を分かった様な気分になったのを覚えている。
もちろん、そんなこと言っても勉強だなんだと面倒臭いことへの都合のいい言い逃れに過ぎず、それどころか、人生には楽しい事が色々まだ待ち受けているのだろうと能天気に考えていたあの頃。

ペンローズの階段 無限に上り(下り)続けるのだ(だまし絵)
さて、何ゆえ、今頃になって、カミュの語るところの「不条理」を、しかもそれを実践する段階(いい歳)になって思い出したのかと言えば、たまたま、ネットで見掛けた一枚の画像に衝撃を受けたのだった。
それは
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これは「立っち」が出来るようになったお子様向け「熱中知育プレミアム玩具」というものらしい。
円柱部分が軸となって、つかまり立ちしたお子様が、手押し棒を押しながらその周りをグルグルと回るという仕掛けのようだ。
この画像を見た時、なんだか、昔映画で見たような、古代ローマや奴隷船でムチ打たれながら、こういうのを回していた下々の姿が何故だか髣髴としてしまい、また、それが赤ちゃんであったというギャップにやられてしまいました。
しかも、このオモチャの名前がまたエゲツ無くて 「エンドレス・ウォーカー」
余りに哲学的とも言えるこの名称を以って、冒頭の 『シーシュポスの神話』 が私の脳裏に甦るに至ったのでした。
そして、改めて、上記の無邪気な子供の笑顔を見返せば「ここにも、既に人生は始まっているのだなぁ」・・・と切なさを禁じ得ないのです。
しかし、著作に戻るなら、カミュはこの非情とも暗澹たるとも言える運命を受け入れよ、不条理を、虚無を愛せと言っているのです。
* * *
するとシーシュポスは、岩がたちまちのうちに、はるか下のほうの世界へところがり落ちてゆくのをじっと見つめる。
(中略)
かれが山頂をはなれ、神々の洞穴のほうへとすこしずつ降ってゆくこのときの、どの時間においても、かれは自分の運命よりたち勝っている。
かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ。
この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。
(中略)
このとき、途方もない言葉が響きわたるのだ、
「これほどおびただしい試練をうけようと、私の高齢と私の魂の偉大さは、私にこう判断させる。すべてよし、と」。
(中略)
不条理な人間は「よろしい」と言う、かれの努力はもはや終ることがないであろう。
ひとにはそれぞれの運命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない、すくなくとも、そういう宿命はたったひとつしかないし、しかもその宿命とは、人間はいつかは必ず死ぬという不可避なもの、しかも軽蔑すべきものだと、不条理な人間は判断している。
それ以外については、不条理な人間は、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。
(中略)
人間が自分の生へと振り向くこの微妙な瞬間に、シーシュポスは自分の岩のほうへと戻りながら、あの相互につながりのない一連の行動が、かれ自身の運命となるのを、かれによって創り出され、かれの記憶のまなざしのもとにひとつに結びつき、やがてはかれの死によって封印されるであろう運命と変わるのを凝視しているのだ。
こうして、人間のものはすべて、ひたすら人間を起源とすると確信し、盲目でありながら見ることを欲し、しかもこの夜には終りがないことを知っているこの男、かれはつねに歩みつづける。
岩はまたころがってゆく。
* * *
それにしても、自分自身を、ありのままを、受け入れるという事のなんと困難なことでしょうか
諦念も 達観も いまだ程遠く・・・

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