吉野弘さん 3 | 一疋の青猫

吉野弘さん 3


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ある朝の電車の窓を流れる夏、艶めく夏。

近くを駈ける畑と林。遠くを歩む畑と林と雲。

物みな横に流れるなか、畑の人の身のこなしは縦。

土を相手に、身を曲げる、反らす、しゃがむ、踏む。

地にいて天を戴く者が体に具えているしなやかな縦の軸。

私の体もまた、天地の軸を示すように動くのだと、

そのように動く体が私にもあるのだったと、

身に覚えのあることが新たに蘇る朝。

体を最後に横たえるまで

動く体を動かして、しばし、地上にいるのが私だと、

不意に私が透けて見える朝。

『 車窓から 』 吉野弘




*



「 もしや・・・ 」

と思って 過去記事を調べてみたら

「 やはり・・・ 」


「 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 」

この書き出しで始まる 吉野さんの詩としては最も知られているであろう 『 祝婚歌 』

この詩を取り上げた時も 記事のタイトルはそのまんま 「 吉野弘さん 」 だったのを思い出し

そこで急遽 昨日の記事を 「 吉野弘さん 2 」 そして今日は 3 と(笑)

足取りも怪しげなこのブログも気が付けば500近い投稿数となって

タイトルのみならず 選曲や内容についても重複していないか やや心許ない

とは言え カテゴリ分けするとかリスト化するといったマメさも無く^^

まあ 同じ人間が書いているのだから 同じような事を思いつくのも仕方ないと

成長しない 変わり映えしないのでは無く ブレない 自己同一性が確立していると前向きに考えよう(笑)


ただ 「 吉野弘さん 」 というタイトルについては

自身でも 重ねて思い浮かんだことには納得できる気がします

詩人・吉野弘への 親愛の情と敬愛の念を込めて

「 さん 」 付けで呼ばせて頂くことをお許し願いたいと・・・


*


私の手許にある 「 吉野弘全詩集 」 の栞は

同じく詩誌「櫂」の同人であった 茨木のり子さんが書いている

そこに記された 吉野さんと「 祝婚歌 」 についてのエピソードを一部紹介したい

( 長文なので「 祝婚歌 」詩文は省略 よい詩なのでご存知ない方は → コチラ 過去記事「吉野弘さん」 )



*



「 ・・・とりわけ「祝婚歌」がいい。電話でのおしゃべりの時、聞いたところによると、酒田で姪御さんが結婚なさる時、出席できなかった叔父として、実際にお祝いに贈られた詩であるという。
その日の列席者に大きな感銘を与えたらしく、そのなかの誰かが合唱曲に作ってしまったり、またラジオでも朗読されたらしくて、活字になる前に、口コミで人々の間に拡まっていったらしい。
おかしかったのは、離婚調停にたずさわる女性弁護士が、この詩を愛し、最終チェックとして両人に見せ翻意を促すのに使っているという話だった (中略)

すんなりかかれているようにみえる「祝婚歌」も、その底には吉野家の歴史や、夫婦喧嘩の堆積が隠されている。(中略)吉野さんが、はなばなしい夫婦喧嘩の顛末を語って聞かせてくれたことがある。 (中略)

吉野さんはカッ!となり、押入れからトランクを引っぱり出して、
「おまえなんか、酒田へ帰れ!」
と叫ぶ。
「ええ、帰ります!」
吉野夫人はトランクに物を詰めはじめる。
「まあ、まあ、」
と、そこへ割って入って、なだめるのが、同居していた吉野さんの父君 (中略)

某大臣が愛誦し、なにかにつけて引用しているという話も紹介されたし、結婚式で朗読されることも以前にもまして多くなってきたらしい。新郎新婦のほうはキョトンとして、
「なんのこと?」
というありさまなのに、列席した大人たちのほうが感銘を受け、「どこの出版社のなんという詩集にあるのか? コピーがほしい。使用料は如何?」という問い合せがしきりのようだが、その答はまたいかにも吉野さんらしい。
「これは、ぼくの民謡みたいなものだから、この詩に限ってどうぞなんのご心配もなく」
というのである。
現代詩がひとびとに記憶され、愛され、現実に使われるということは、めったにあるものではない。ましてその詩が一級品であるというのは、きわめて稀な例である。」




*



これがあの「祝婚歌」 の吉野さんの夫婦喧嘩かと思えば

おかしいような ホッとするような(笑)



「 民謡 」 となれる現代詩は本当に数少ないだろうなと思います

口から口へと継がれてゆくにふさわしい名曲だと思います



改めて 合掌