そもそもストラヴィンスキーは1959年に来日したおり、観光で我が家の前も通り過ぎておられるが、もちろんその頃オレはまだ影も形もなかった。
・・・じゃなくって、
ポスト・ポストモダン時代の今日、春の祭典とマラ①をインド人嘘つかないメータ指揮ユダ公交響楽団が愈々アメリカに次ぐ経済大国の地位を中国に譲って今日からオレもアナタもヒモジイの世でも音楽はいつだって聴きたいの世という日本国大阪の聴衆に囲まれて演奏というまさに21世紀的現場にこれ以上相応しいコンサートは考えつかない。
従ってオレはいそいそそわそわと、まるで中学生が生まれて初めてピンク・フロイドかレッド・ツェッペリン(敢えてEL&Pとは書かない)のコンサートにでも行くような浮かれよう。(ちなみにオレそのどちらにも行ったことはなく、クイーンやU2のコンサートにも行ってないがローリング・ストーンズや憂歌団なら行ったことがある。)
しかしその一方で、スラヴォイ・シジェクが態々マルクスまで持ち出して言うところの「はじめは悲劇、二度目は笑劇」というその杞憂が杞憂である保障もない。つまり「あまりに完璧すぎると、二度目に聴いた時にはもう笑うしかない(出典不明)」という考え。20世紀の最高傑作とも言われる春の祭典それを改めて21世紀最高の弦(というよりオケ)イスラエル・フィルが偽善者メータの棒に従い全霊を込めて全体主義まるだしにて演奏される時、何が起こるかといえば、そこにはただ笑うためのみの笑いしか残らんのではないかという危惧。そしてある意味これほど行く前から既に確固とした感想が頭に浮かぶ演奏会というのは現在他に考えられないのではないか。ナチス・ドイツ時代からカラヤン時代にかけてのベルリン・フィル、スターリンとムラヴィンスキーのレニングラード、そしてこのたびのメータとイスラエル。もう既にオレの頭の中ではひたすら強奏される春の祭典が鳴り響いているではないか。果たして今夜オレは感激の余り胃潰瘍になるのかそれとも笑劇の余り胃痙攣を起こすのか。なんせ9回目の来日にして初めて聴くのだし。(但しその殆どの間オレは日本に居なかった又は心がここになかった。)
それで今しがたユダ公フィル公式サイトを覗いたら読めない、あEnglishと書いてあるポチッ。で、この中国も真っ青の強面国家のソフトな面を担当してる彼等は近日ジーンズコンサートなる催しをするらしい。ということはつまり普段ジーパンでコンサートに行く不逞の輩は居らんちゅうこっちゃ。オレやっぱ今夜いつものようにジーパンで行っちゃまずいかねえ。いっちょDIESELとかバナリパとかの(チュート半端な)ブランドもんねんけど。だってほら雨やし。そういえば台風は何処いったんや。オレは夕方傘を持って出たほうがええんか?