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資産を作る為の恋愛・ビジネス・健康のブログ

皆さんの役立つ情報を配信していきますので、楽しみにしていてください。
よろしくお願いします。

世の中で一般的に言われている経済というのは

資源というのは有限であって限りがある

希少性があってその中でバランスがとられて動いているって話なんですけど

ここで新しいコンセプト、ストーリー、現実を紹介するんですけど

無限大の資源、無限大の可能性

あなたの新しい現実、この二つを持って欲しいんです

無限大の資産、無限大の富、資源があって、無限大の可能性がこの世の中にはあるんです。

ここで感がて欲しいんですけど

色々昔から比べて富を築いて資産を築いた人の特徴はどういう事をした人だと思います?

大昔からでも富を築いた人の特徴は

何かこういう事すると経済的に成功する人だという共通点とかあります?

パッションをもってこれがオレの生きる道だ!って脇目もふらずそれだけをやっていたりとか

実は、何か新しい発明とか新しい可能性を出した人って感じがしません?

世の中になかったものを出した人が大金持ちになってるような気がします

実は富を築く人、資産を構築する人は

この無限大の資源、無限大の可能性という現実を色眼鏡をかけて世界を見てるんです

だから、彼らは石油を開発したり、インターネットを作ったり、コンピューターを作ったり、鉄道を作ったり

私たちが想像できなかった、実は、有限だと思い込んでて限界があると思ってたことを超えた発想をする人が大きな富を築いてません?

ここで新しいパラダイムを持って欲しいんですけど

例えば、エンジンとして考えたら

最初は蒸気機関車で蒸気で動いていたり、それが電気になって、ガソリンになったり、風とかソーラーエネルギーとか水力とか

新しい資源がどんどん存在する事に気づいて、それを彼らが使って開発して発明して

提供する事で大きな富は動くんですけど

とにかく私たちは限られた資源の中に生きているわけじゃないんです。

無限大の資源の中でいかにしてそれを発見して開発して発明してそれを提供するシステムを作るかっていうのがポイントなんですけど

多くの人、社会の経済とか、学校で教えられてるような事を人々が信じ込んでいる事は

世の中にある資源は全て有限で、その中でやりとりがされているという、その考え方でやっているんです。

だから私たちはその考え方では、富を築くような人たちと同じ行為はできないんです

実は資産を築いて富を構築する人は

一般的に思い込まれている資源は有限であるって風な現実はもっていなくて

新しいものを作る

今までになかったものを作る

有限とかそういう話を超えて

無かったものをゼロから生み出す事を考える

実はそれが資産、富を築く人の特徴なんです。

私たちが生きている世界は無限大の資源があって無限大の可能性があるんです

それを提供した人が富を築くんです、なんとなくここまで聞いてわかります?

今まで思い込んでた間違ってたって気がします?

まだ、有限だよって思います?

自分がどういうふうにみるかによると思うんですけど

例えば蒸気から電気に変わったというのも

目的がどこどこから何処何処にちゃんといければいいわけであって

勝手に自分たちでゴールを決めて、限りがあるなって思ってたりしてました?

全て資源に限りがあってそれをバランスをとってやりとりするって考えるんじゃなくて無限だよって考えたら新しい発想がどんどんでてきますよね?

実は色眼鏡を変えるだけで情報は無限に存在して、そして無限に提供することができるって考えていたら、どんどん色んな情報が入ってきて

そして、それがみえるようにって考えたらどうします?

かなりワクワクしません?

その同じ情報でも伝え方にはやり方があって

しかも教える順番を工夫さえすれば価値を高めることができる

例えば、なぜ何どうやって具体的に

順番を組み合わせるだけで

同じ情報でも価値を10倍にすることができるってことを感じたら

そういう風に発想してたら無限ですよね

実は同じ情報をさらに価値を高めるやり方はないか?方法はないかな?

なんかニッチはないかな?

同じ情報でもちょっと何かと融合させてフュージョンさせてちょっと価値を高めることはできないかなというふうに無限の可能性と資源を考えていたら

どんどんコンテンツや新しいストーリーをつくれるし

価値を提供することができるんです

情報というもの全ては無限なんです

ただ、色眼鏡を持つ必要があるんです

その現実を持つ必要があるんです

一般的に学校で教え込まれる経済とは有限である

その概念そのものが壁なんです

その壁の中にみんな生きているんです

その中でごく一部の人が富を築く人っていうのは

一般的に言われている経済とは有限であるのを無視して、

無限の可能性の中で生きているんだってことを実はもっている、

ごく一部の人だけが、成功してるんです
経済的に成功したいです?

経済的に成功して豊かになっていきたいと思っていると思うのなら

じゃあ、その経済について知らなきゃいけないですよね?

経済について知る必要があると思うんですけど、経済とはなんですか?

経済的に豊かになりたいって気持ちだけど具体的に経済ってなんだろう?って考えていなかったで
す?

ちょっとそこにフォーカスしなきゃいけないとか気持ちはありますか

今までそれも知らないで経済的に豊かになりたいとか思っていたと思うと、焦りというか変じゃないです?

経済とは何か?っていう話に入っていくんですけど

まず、一般的に言われている経済とはなにか?という話をシェアするんですけど

Wikipediaで調べて出てきたんですけど

経済とは

社会が生産活動を調整するシステムあるいはその生産活動のことである

世の中にある資源は有限であり希少性を有する

社会においては様々な財(商品)が生産され交換分配などのプロセスを経て消費されるが

資源の希少性ゆえ要求される全ての商品が供給できるとは限らない

経済はそれらの要求に応じて供給を決定し実行するシステムである。

ちょっと何だろ複雑だな?って思うんですけど

ポイントは資源は有限であって限りがあって希少性があって

その中で供給とか生産されて全ての資源が供給できるとは限らない

その要求に応じて色んな事を決定して実行するシステムである

ポイントは資源は有限である

これ聞いてどう感じました?

一般的に言われる経済の話ですよね

石油とか木とか金とか銀とか希少性があるなって思います?

Wikipediaに出てるのは経済とはこういうもんだ

資源は有限であって希少性があってその中でバランスとられて動いてるもんだって話なんですけど

実はこの考え方、この現実ですよね、ストーリーですよね

そのものが私たちがさまざまな人間関係、健康的、経済的に成功できない壁になっている原因だとしたらどう感じます?

実は社会で言われている経済とは何々、みんな殆どの人が思い込んでいる

経済とは何かという話、実はストーリーそのものが壁になっているんです

そういう色眼鏡が壁になってるんだよって聞いたら結構ショックです?

実はこれは大きな壁になっているんですけど
これからあなたにしてほしい事はどんどん動詞というものを使って

あなた自身を表現するようにしてほしいんです。

私は何々です

というふうに固定した固めているセルフイメージで表現することは避けて欲しいんです

できるだけ、現在このような状況でこのいうふうな行動をとっていてこういう事が起こっています。

何か動いている事を意識しながら表現するだけで

私たちのセルフイメージはどんどん変化させることができるんです

固めることはしなくなるんです

=セルフイメージはどんどんいい方向に変えることができて

=私たちは資産家になることができるんですね

私は貧乏です。

だと貧乏です。のセルフイメージで固まってしまってそれで永遠に生きてしまうんですけど

それを逆に

私は今まで無駄なものにお金を使って借金をしたりして、カードを使って無駄なものを買う行為をしていたから現在借金がある状況である

というふうに話したら、だったら解決しなければならない事って何かどんどん見えてくるんです

自分で私は貧乏って固めてしまうと

もう、永遠に貧乏になっちゃうんです

ただ、私はこういう事をして、こういうことが起こって、

今現在の状況がこういうことであると

表現するとそれは変えることができるってことが自分の中で意識することができるんです

で、その変える方法も自分で生み出すことができるんです

今までで、名詞とかを多用して現実を固定して固めて自分を表現したことってあります?

私はヤクザです!を動詞を使ってみると

私は今まで不良行為を行ってきたので、今現在はヤクザという職業に就いている状況です

そういう感じになりますよね?

自分で言うとどういう感じがします?

私はヤクザだ!って言っているときは、永遠にヤクザな感じで

後者の言葉を使っていたらヤクザは途中経過でこの先に大きな成功とかが待ってるかなって気がしませんか

自分で言っていて少し自分のセルフイメージが変わりますよね。

例えば、⚪︎⚪︎会社の社員です!って言い切るんじゃなくて

重ねる名詞を使うんじゃなくて

動詞を使って表現することをしていきます

今、現在は⚪︎⚪︎会社の社員としてお金を得ている状況です。

簡単に言うと、こういう感じになりますよね

こう聞くとどういう感じがします?

今までは、⚪︎⚪︎会社の社員として終わる気がしてたんですけど

いった瞬間にあれ違うんじゃないか、他にやれることがあるんじゃないかとか

他に楽しいことがあるんじゃないかとか感じませんか

オレは⚪︎⚪︎会社の社員だ=と捉えていたときに

誰かがそれはバカらしいといっていたらムカついていました?

今、動詞を使って表現したあとに⚪︎⚪︎会社の社員バカだねっていったら

どう感じます?

少しはぐっとくるところはあるとは思うんですけど、

さっきに比べれば、まあ彼はそういう感じに思ってるんだって⚪︎⚪︎会社の社員のこととかね

別問題ですよね、自分とは

同一化はしにくくなりません?

表現を変えるだけで

自分を表現するときは

私はこうです!って表現法を避けて、

できるだけ流れるプロセスであることを意識して表現してほしいんですけど

それをすることで自分がどんどん変化することができるって気づいたんですよね

自分自身を表現するときに、私はこうです!って表現してしまうと変われないってことに気づいたんです。

だから私は今現在こいう状況でこういうアクションとってきて、

こういう事をしてきたからこういう状況になっていたんですね

という事を自分で表現すると

あーじゃ変えられるんだなと自動的に思い始めるんです。

興味深い変化が起こってるんですけど

これから自分自身を表現するとき、とにかく名詞でこうです!て固めた表現をするんじゃなくて

とにかく流れる動きのある表現で

プロセスをただ状況をシェアする表現するという形をとれば

どんどん色んなことが変わってきます

これ出来そうですか?

練習は必要かもしれませんが。

この辺は、これやることで自分の話すことも変わって来るし

自分の思考とかも変化させることができるんです

なので固めない というのはポイントなんですけど

じゃ名詞を使わずに動詞か、

表現する方法を変えるだけで何かが変わってくるということは何となくわかってきたと思うんですけど

具体的にどうすれば、どういう新しい人間関係だったり、健康だったり、経済面だったり

新しい現実というものを持つことができるのか

そして、どういう現実を持つのが私たちに色々な資産を築いてくれるか

私たちにとって都合のいい色眼鏡であり、現実であるのかということをシェアして

それをあなたにインストールするようにします

かなり都合のいい、テコの応用が効くようなこれから色眼鏡を持つことができるんですよ

そして、このセルフイメージがどんどんシェイクされてミックスされて

これから見るどんどん世界が変わってくるってしたらちょっと嬉しいです?

その具体的な新しい現実というものをシェアするんですけど

周りの人は現実を固めて彼はこうだ彼女はこうだって現実を固める癖があるなって人います?

何々=何々

のように現実を固めた表現法を使っている感じがする人っています?

うまくいって色々な成功している人って、何となく何かを表現するときに

何々はこうだ!っていうより何となくそれがフレキシブルな感じで

なんかの途中経過であるがするって感じがするんですよね

全てのうまくいってる人とか成功者って意味じゃないですけど

全ては途中だって表現をする人がおおいような感じがしませんか

そう、その表現方で色んなことが変わってくるんですけどね
私たちはこれから名詞を捨てる必要がある。と書いたと思うんですけど

何々は何々だとか、これは何々です

名詞を捨ててどんどん固定せずに、どんどん進化させるプロセスだと理解した上で

物事を表現するって考えたときに、

動詞を使うことでそれは可能になるんです

全てが何らかのプロセスであり

全てが何らかのアクションであり

全てが何らかの流れている変化している過程だったふうにと捉えると

動詞というものを使ったらそれがスムーズに表現できるんです

例えば

私は貧乏です、私はバカです

私は借金まみれのバカです

という言葉を、動詞で表現する。動詞だけを使って表現するとしたら

どういうふうにできます?

ちょっと工夫が難しいと思うんですけど

名詞を一切使うなって言ったらちょっと頭が混乱してくると思うんですけど

表現するっていう意味で

例えば、動詞を使った表現をするんだよっていう、大まかな表現なんですけど

私は今までお金を減らすような行為や習慣を持ち続けたお陰で、今現在借金している状況でありお金のゆとりのない状況である。

というふうに変えると、動詞を使った表現になるんです。

わかります?

私は借金まみれの貧乏なバカです

となると、現実を固定している概念になります

それを動詞を使って、何らかのアクションが発生して自分がとった行動で何か起こって

これがどういうふうに変化してどういうふうなプロセスで

どういうふうに流れているのかという

アクションのプロセスを表現するようにする

動詞というものをどんどん多様して表現するようにすると

全てが変化して進化して流れるプロセスの一部として表現できるようになるんです

例えば

ボクはいじめられっ子です。

としちゃうと、もう現実を固定されるんですけど

それをまた違う表現で、動詞を使ったような流れるプロセスで変化しているプロセスを表現すると

私はいじめられるような行動や発言をした結果、人々にいじめという行為を受けている状況である。

と感じになったら、どういう変化が生まれます?

表現法を変えるだけで

今はいじめられてるけど、これからはいい人生がまってるだろうなってイメージとか

例えば

私はいじめられっ子です。というなら

永遠に大人になってもいじめられた人間のイメージ、何も変わらないイメージ

オレは貧乏です!

これは、永遠に貧乏で硬い感じがする

私はバカです!

これは、勉強する気もないし、知識を得ようとする気もない、永遠にバカのイメージ

でも、それもどんどん動詞というものを使って何らかのアクションが発生して

自分が何かの行動をとっていて、何らかの状況が起こっているというふうに表現するようにしてほしいですけど、

例えば

私はスケベです!女好きです。

じゃなくて

私はHな本を読むことが大好きな状況である。

そういう風に言い直したらどういう感じがします?

スケベです!ていいきっちゃたら、スケベでいやらしくてなイメージ

Hな本を読んでる状況です!になったら、まあしょうがないかなのイメージになりません?

それが永遠に続くことも無さそうだし

ただ、今現在の状況ではHな本読んでるんだろうなって伝わるんですけど、

この人はこうだって固定してないんですよ

そこは大きなポイントなんですけど

私たちは本当にこれから何かを表現するときに

名詞で何々ですというふうに表現するのではなくて

動詞を使ってどんどん動くもの

何か動いている

何かがアクション起こっていると意識しながら

そういう言葉使っていく。

完全名詞を捨てて全てを表現することは不可能ですよ

ただ動詞というもの意識して使って表現するっていう癖をつけるだけで

私たちの考え方が固執せずに

変化できる進化できるような状況を生み出すことができるんです
名詞を捨てるって聞いてどう感じますか?

なんか不便になりそうだなって感じたりします?

例えば名詞ってどんなものがあります?

パソコン、セロハンテープ、ノート、本

名詞ってたくさんありますよね

私たちはこれから名詞を捨てる必要があるんです。

名詞と言うのはどういうものかと言うと

何々=何々

を表している表現法なんですね

ようするに現実を固めている表現法になってしまうんです。

何の話をしてるんだって?思うかもしれないんですけど

だんだん繋がってきて、パズルのようにハマってくるんで読んで欲しいんですけど、

本来コンセプトというものだったり、物質だったり、考え方だったり、アイデアだったり

色んなもので存在するエネルギーというものは

本来進化をし続けて、変化をし続ける、

そういうものなんですエネルギーというものは

それに何か名前をつけて名詞をつけてネーミングをつけて

固めることは本来できないんです。

それをしようとすることが、大きな間違いのはじまりで

問題というものがどんどん発生してくるんですね

ここで理解しなければいけないことは

全ては変化している

全ては変化している概念で捉えたら

名詞というものが壁になってしまうんです

色んなものに何々は何々と名前をつけてしまうと

これは消しゴムです

これは時計です

(は)=ですよね。名詞をつけてしまうと

現実を固定してしまうんです

なので本来、進化し続けて変化し続ける

そのプロセスそのものを否定することになってしまうんです

例えば

セルフイメージという概念

私は貧乏です。私はバカです

何々(は)と使うと。それも同じように現実を固定してしまうということになりますよね。

ようするに、これからセルフイメージというものを変えていきたい

今までのセルフイメージを変えたい、どんどん進化させたい

そういう気持ちがあるんだったら

名詞というものを捨てて

どんどん私は何々だ、私はこういう風に思ってる、あれはこうだ!、これはこう!とか

これから、その固定された現実という概念を捨てる必要があるんです。
私たち人間というものは

何かのイベントや何かのものだったり考え方だったりコンセプトというものを

固める傾向があるんです

例えば不良がいたら

彼は不良である。すなわち彼はずっと永遠に不良であり続けて。

そして、多くの人は悪いことをする人なんだと固めてしまうんです。

でも実は現実というものは固められるものではない。

神話というものやコンセプトというもの考えだったり、

物質として存在して固まってるものではないんです

だから、それを固めることはできないんです

だから、不良はどうだとか現実を固めることは不可能なんです

でも、私たち人間はそれを固めて

何々=何々

と考える習性を、私たちは持ってるんです。

一度、現実というものを固められたら

それを変えることは非常に難しくなるんです

例えば

セルフイメージの話に繋がっていくので慎重に読んで欲しいんですけど

何かを現実というもので固めて信じてしまうと

それを変化させるのは非常に困難になってしまって

しかもそれを同一化してしまうと、自分とそのものが一体化してしまうと

私たちそのものから抜け出せなくなるサイクルが発生する

同一視、同一化、固められている現実

に意識を置いて欲しいんですけど
同一視ってなんだと思います?

この恐ろしい同一視の話をしていくんですけど

私たち人間が

何かのアイディアやコンセプトとものとですが

同一ものと思い込んでしまうこと、それが同一視するということです。

そして私たちは同一化するんです

同一視して同一化が発生するんです

私たちは何かのアイディアだったり何かのコンセプトだったり何かのものと

脳の仕組み的に、自分自身というものを区別できなくなってしまうんです

私たちは人間には、そういう習性があるんです。

例えば車で

すごく車が好きで車を大事にしてる人って見たことあります?

誰かが10円玉でガリッと傷つけたら、まるで自分の体に傷をつけられたように怒りません?

例えば熱心な宗教家で

例えば浮気したらダメだとか

その宗教では、一夫一婦制というコンセプトを信じてるとしますよね。

誰かがもし、一夫他多妻最強!って言ったら彼らはどういう風に反応します?

バカだ!アホだ!とか

まるで、そのコンセプトが自分自身のように

彼らたちは、自分自身が否定されたように感じてません?

そのコンセプトだったり考え方だったりアイデアを否定することで

まるで自分自身が否定された気になってません?

これ本当に微妙な世界なんで

ちょっと複雑に聞こえると思うんですけど

実は私たちってのはコンセプトだったりアイデアだったりものだったりそういうことですよね。

私たちとはまた別のものなんですよ

何か私たちが考えている思考だったり

信じているコンセプト、アイデアだったりというものは

例えば大切にしているものだったり

私たちとは別のものなんです。全く、別問題なんです。

だから本来は、例えば一夫一婦制が良いと信じてた人も

その考え方バカだねって言われたら、別に自分には関係のないことなんです

コンセプトをバカにして、自分自身をバカにされていることじゃないから

でも、そのコンセプトを信じている自分は

そのコンセプトをバカにされたら自分をバカにされたように怒るんです。

で、その大切にしている車を傷つけられたら

まるで自分自身が傷つけられたように思うんです

自分自身が悪く扱われた風に感じてしまったりするんですね

これ何と無く意味わかります?

何と無くそんな経験ってあります?

今している会社の仕事をバカにされたとか

よく考えてみたら

自分とその会社の仕事は別問題ですよね。

ただ自分がその会社の仕事をしているだけであって

別にあなたがその会社の仕事ではないですよね?

でも、その会社、超バカらしい、バカじゃないのって言われたらどう思います?

あなたがバカですね!って言われた訳じゃないですよね。

それは会社の仕事というコンセプトをバカにしているだけだから、

自分が怒る必要はない訳ですよね

だから、ものであったりコンセプトであったりアイデアというものを

同一視して

まるで自分がそのものだったり、コンセプトそのものだったり感じたり

同一化してしまう

その現象がすごく恐ろしいことなんですけど、、
このセルフイメージがミックスされるプロセスというのは

本当に大きな問題があって、この問題というのは

これ全て無意識のプロセスなんです

私たちは意識的に自分のセルフイメージを構築することはできないんです

意識的に自分自身のセルフイメージを変えたりすることはできないんです

全て無意識の世界で誰かの話を聞いたり

違うセルフイメージをもっている人と接した瞬間に

無意識のプロセスでミックスされるんです

セルフイメージシェイクの中にね

意識的にコントロールすることは不可能なんです

逆に自分が持ちたいと思っているセルフイメージを持ってる人と話たり接したりすると

それは自動的に無意識のうちにミックスされるから良い結果になるんですけど

逆も同じで悪いこともミックスされるんです

コントロールができないんです

例えば

誰かが貧乏バックパッカーはもてないとか治安悪くて強盗ばっかりとか

それ聞いて、オレはそう思ってないよ。と思って

オレはもてる、オレは貧乏バックパッカーだけどナンパできる

オレは襲われたりしない

という考えを持ったとしてもコントロールできない無意識の世界で自分は影響されて

そのセルフイメージを持ってしまうんです

それ以降あんまりもてなくなるんです

どう思います?

もてない人と一秒一瞬話したら、もてなくなるんですよ。

変な人、変な話を聞かないようにするしかないな。とか

具体的に恐ろしいのが分かったと思うんですけど

具体的にそのネガティブなセルフイメージというもの

私たちに必要がないセルフイメージを消し去って

そして、新しいポジティブな最強のセルフイメージをどうしたら埋め込むことができるのか

新しい色眼鏡をかけることができるのか

具体的なテクニックの事に入っていきます
あなたの身の回りの人、他人の人間たちのセルフイメージがミックスされたものが、

あなたのセルフイメージなんです

どう思います?

あなたの身の回りの人、あなたが接したり聞いたり話を聞いたり記事を読んだり

全ての身の回りで起こる、目耳から入る情報全ての人間たちのセルフイメージが合わさったものが、あなたのセルフイメージなんです

あなたの家族、友達かもしれない、両親かもしれない、メディアでニュースで新聞で本かもしれない周りの近所のおばさんかもしれない、社会そのものかもしれない、、

全てですよね。

全ての人のセルフイメージが合わさってミックスされたものが、あなたのセルフイメージなんです

これを聞いてどう思います?

自分自身の過去の記憶とか経験とかそういうもので自分のセルフイメージが作られるのかなって思ってますよね

実は他の周りの人たちのセルフイメージが合体してミックスされたもの

それがセルフイメージなんです

ようするにセルフイメージシェイクなんですよ

どう思います?

セルフイメージシェイクを飲んで、それが自分のセルフイメージになって

体の胃の中で消化されて血液に入って行って脳に入っていく

例えば、すごく仲良くしている友人で

私は本当にダサくて異性にもてないとセルフイメージをもってる友人がいたら

それが微妙にセルフイメージシェイクにミックスされて

それが染み込むんですよ。自身のセルフイメージのものに

シェイクだから100%それになる訳じゃないですけど

その人のセルフイメージが、自分の一部になるんです。

ドラゴンボールでセルっていたの覚えています?

みんなの細胞とかで合体してできた強いのいましたよね。

カメハメ波が撃ててピッコロのように再生もできるのがいましたよね

そんな感じで色んな人のセルフイメージが合体してできたものが私たちのセルフイメージ

身の回りの人のセルフイメージからセルフイメージが合体してできたもの

それの合体合体合体、、、で出来たものが自分のたちのセルフイメージに辿り着いているんです

ちょっと恐ろしいですよね

例えば、オレは格闘技やってるんだ!って人がきて

みんな喧嘩うってくるんだよね、とか最近治安が悪いからナイフ持ち歩いてるんだ、とか

肩ぶつかったら殴るにきまってるでしょとか

そういう現実をもっている人がいて

そういう人と一時間話したら、微妙に治安を悪く感じはじめて、微妙に喧嘩っ早くなって、

微妙にナイフを持とうかなって気持ちを持ち始めるんですよ

どう感じます?
セルフイメージって何だと思います?

私が考えるセルフイメージとは、

セルフイメージ=私たちが「想像している」自分自身の姿

全て想像の世界なんです。

そこがキーワードなんですけど

想像の世界で見ている自分自身の姿です

全て私たちが見る世界は、私たちのセルフイメージというフィルターを通して

私たちの世界を見ているんです。全てがフィルターなんです。

だからセルフイメージというものをもって、そのセルフイメージの中の世界ですね

セルフイメージが想像している自分自身の姿なんですけど

そのセルフイメージはどこからやってきてどういう風に作られていると思いますか?

これ、かなり凶悪な恐ろしい話でビックリすると思います。

本当にブルブルなると思います。