1月14日に書いた記事の続きです。

 

 

出てきたメッセージが1101111(糸魚川)
そして898(白馬)
白馬のビール(めちゃおいしかった)を飲みながら考えました。
眠ってしまいました。

と、書いているちょうど今、
東京で地震がありました。



まとまりきれていませんが、
地面も揺れたことですし、
頭にあることを全部書いてしまおうと思います。

糸井川市にはもともと糸魚川という名の川はないそうです。
ただしくは「姫川」だそうで、
長野県白馬村にその源流があります。



ひめかわ、秘目川・・・

だからなのか!プロビデンスの目(笑)


さて、気になるのはこの川の反対側です。
そもそも歴史をさかのぼって考えるときに
私たち現代人は、今の常識を脱ぎ捨てて
当時の思考に合わせなければなりません。

古の日本では、大陸側が正面玄関でした。
すべての変化は大陸側から海を渡りもたらされたからです。



大切なもの、真実はどこに隠すか?
裏側ですね。
日本の裏側である太平洋側に
奪われたくないものを隠してきました。

表裏を逆にとらえると、
見えてくるものがあります。



糸魚川の反対側に流れているのは
天竜川です。
天竜川は、長野県にある諏訪湖を源として
愛知県、静岡県を経て浜松で太平洋へ注いでいます。

新潟県糸魚川市の反対は、静岡県浜松市となります。
陰と陽、ONとOFFの関係です。



地表を流れる水の流れで見ましたが、
地下深くに流れるマグマの流れも確認ができます。

フォッサマグナの西側の境界断層である
「糸魚川-静岡構造線」の真上のラインを流れる川同士でもあります。


大事なものは、浜松にあるのか。

浜松に何が隠されているというのか?
ビールを飲んで目が覚めた朝、
頭の奥に2倍速で響いたのが
「さかのうえのたむらまろ、さかのうえのたむらまろ」

誰だったか・・・歴史の時間に寝ていたので
すぐに思い出せませんでしたが、
テストで漢字が書けなかったことで思い出せました。
征夷大将軍!



何をした人なのかもわかりませんが、
坂上さんは、たしか京都の坂上の田村 麿(たむら・まろ)さんだったので
坂の上(今の清水寺のあるところ)に住んでいた人。

自邸のいちばん高いところに、とあるエピソードから
観音菩薩を祭ったことから
この清水寺ができたというのは
関西人なら割と知られているところです。


坂上田村麻呂と浜松にはつながりがあるのか、ないのか?

ググってみたらありました!
平安時代、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命されたあと
京都を出て蝦夷地(今の東北地方)に向かう途中、
浜松あたりでの伝承が残っていました。

赤大蛇が大暴れして困っていた現地の人を救った話が
「しおひる玉」として浜松市東区有玉に残されていました。



ちょっと待って、ちょっと待って、
今このブログを書きながら腰が抜けそうです。

有玉神社・・・!!!

 


私は過去にこの地に行ったことがあります。
何もない住宅地にひっそりと佇む小さな神社で、
「とりたてて何もない神社だなぁ、
なんでこんなところまで来ちゃったんだろう」
もう二度と来ることもなかろう何もない辺鄙な場所です。


ふと見ると、
木彫りで観音様のような頭上に龍か蛇かの姿が彫られた古い祠があり
何か美しい声がしたような気がして
その場にしゃがみこんで
祠に手を合わせましたら、
その木彫りの観音様が
待ってましたとばかりににっこり笑ったようなお顔に見えたのですが
きっと私の妄想です。
そう思いたかったのですが、
追い打ちに声までしてきます。



「この玉をもらっていただけませんか?」

うそやん、断らないと、と焦りながらも
勢いで「はい」と答えてしまった私。

 


すると、美しい大きな水晶のような球が
私のおなかの中にずっしりと入りこんだのです。
妄想ではなく、ものすごく実体験とわかる重みがあります。

そんなに簡単に泣くタイプではない私ですが
涙がボロボロこぼれ出しまして、
「なんか玉を受け取っちゃったー」と一緒にいたメンバーに
伝えたのでした。

おなかに何が入り込んだのか・・・


そんな不思議なことが起こった場所でした。
知らずに行っていた場所が、
坂上田村麻呂の伝説の場所だったとは。

以下に今調べた『浜松の伝説』(ひくまの出版)を転載します。


___________


田村麻呂は一人の美しい女と出会い、
その女を妻とする。

やがて、戦果を上げて三方原の船岡山にまた来たとき、
再びその女が現れた。

女は、お産をするので小屋を建ててほしいと言う。
また、お産する姿は決して覗かないでくれとお願いした。
建てた小屋に女が入ると、
覗くなと言われたにも関わらず田村麻呂は覗いてしまった。

驚くことに、そこに女の姿はなく、
かわりにおろち(赤大蛇)が子供を生んでいたのである。

姿を見られたからには海に帰らなければならないとおろちは言い、
田村麻呂に子供を託した。
この時、いつか役立ててくださいとりっぱな玉も渡した。

おろちの子は、
俊光という立派な将軍になって父の志を継ぎ、
再び東国を征伐することになった。(のちの二代将軍俊光公)
母の形見の玉を出して海に投げつけると、
海はみるみる干上がって陸地になった。

有玉(ありだま)という地名は
この俊光が形見の玉を投げたことから始まったと言われており、
有玉神社の境内には、俊光をまつる社がある。


___________


その社を知らずにお参りしてしまったということか。

坂上田村麻呂には子供が13人いる。
家系図で将軍の子孫を調べても
俊光公なる人物の記載はうまく見つけられませんでした。


浜松には「龍女」(りゅうめ)の伝説があり、
龍女については他では聞いたことがありませんから、
この地特有の伝承なのでしょう。

となると、二代将軍俊光公は
坂上田村麻呂と龍女のハイブリッドとなる。
人間と龍のハーフ???


そんなのありなのー?
と思いましたが、平安時代の伝承ですから
神話の域を出ないのでしょうと
思いたいところではあるのですが、

実は、私には7歳になる子がありまして、
有玉神社に行ったのがこの子が生まれる前の話なのです。

 


十数年間不妊治療をしても結果がなく、
医療機関からは「子が産めない体ですね」お墨付き済みで、
妊娠しない体という認識でいましたが、
その後、どういうわけか赤ちゃんを妊娠したのでした。
医療機関でも、「理由が分からないけれど、ま、できて良かったね」
という奇跡的な高齢妊娠という捉え方でした。


妊娠中にとあるイベントに参加した際に、
高野山真言宗尼僧・漫画家・ヒプノセラピストでもある
悟東あすか尼僧が私のおなか見て、
目を丸くして
「まぁー!りっぱな水晶玉だこと」
と、おなかに水晶が入っているわと大変驚かれていました。

それを聞いて、内心
もしや木彫りの龍女からもらったあの玉が
夢ではなく、
まさか現実に人間の赤ちゃんになったのか?
とは思っていたのですが・・・・

今もむすこの頭上に
細くて小さくて水色の龍がごきげんにしっぽを振りながら
付いて飛んでいるのが見えるのです。


 

 

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