体調が安定しない日々が続いています。
まぁ仕方ない。病気だし、歳だし。
今読んでる小説、真ん中くらいまで読んで急に既視感。
この本、以前に読んだわ(´・ω・`)。
読むと思い出すが、先を覚えていない。でも読み進めると確かに既視感。
タブレット端末で映画や音楽を聴いていて、さいきん急にステレオになった。端末が壊れていた訳ではなくて、僕の耳がおかしかったんだと思う。ずーっとモノラルだったのですよ。ここ数日は左右を明確に聴き分けられるようになって臨場感が半端ないです。
小説を読んでいてふと感じたんだけど、
幸と不幸は裏返しではない
と急に思った。
人の悩みは大別すると「お金」「健康」「人間関係」の3つに集約されるらしい。
これらが満たされないとほぼ確実に不幸を感じるんだけど、満たされたからといって幸福になる訳じゃない(こういう要素のことを「衛生要因」と呼びます)。
この3つが同時に満たされると、僕たちは別の悩みを抱えるのかもしれない。お金がたくさんあると、そのお金に集まってくる人達がいて、そういう人達とは心の交流ができにくかったり、それだけでなく、貧しくても無邪気に心を交わした人達ともステータスや価値観のズレが出来て疎遠になっちゃう。
むしろ生活費のために働いていた日々や仲間を懐かしく思い出したりもするんだろうけど、既に過去になってしまっている。
熱中できることがあれば幸せだ。そしてそれを評価してくれる人がいれば尚良し。
でも本当に熱中できることが見つかる人は少ない。日常を回しているあいだは忙しさに気が紛れる。これはこれで幸せな日常なのかもしれない。
生活費がギリギリなら、とりあえず生きるために働き、支出を削る。自分の生活だと割り切れる人は強い。でも多くの人は他の人と比べて憧れや嫉妬あるいは自虐を感じるんだよね。弱い人の不幸は他人と比べることで出来上がっている。
不幸や心配の要素はわかっているんだけど、幸せの要素「夢」「希望」「夢中」「恋」などはぼんやりしていて、結局自分の弱さを感じてしまうんだろうな。
で、時々大はしゃぎしてみたり、非日常を経験したりしてストレスをなだめている。
ほとんどの人は自分の命の使命感なんてものも考えていない。
気がつけばひとつの時代の中で日常を過ごし、まずまずの楽しさとそれなりの悲しい経験を積み上げて、やがて死んでいくだけなんだね。
経済学では限界効用逓減の法則というのがある。お金だけは(何にでも交換できるので)効用が低下しないと言われているが、やっぱり低下するよ。全財産30万円の人と20億円の人では1万円の重みが全然違う。
僕たちが安心して食べていけるお金が月30万円の手取りだとしたら、それを超えるお金は何なんだろう?
お金が無い人は生活が苦しく不安だけど「何とかやりくりしてる」という生き甲斐があるのかもしれない。
年に2回は旅行に行きたいと思って、そのために生活費を切り詰めている「目標のある生活」も微笑ましい。何時でも旅行に行けるようになれば楽しみで無くなるかもしれないね。