自分を俯瞰(ふかん)する(・ω・) | ウツと株とプログラミング

ウツと株とプログラミング

うつ病で引退して、株トレーダーに。銘柄選定プログラムから始めて、現在は自動売買(アルゴリズム取引)システムを開発中(*'▽')/

先日姉から電話があった。


特に何かがあった訳でもなくて、不定期の様子見。爺ちゃんが独居の時は2日に1回の頻度で電話していたらしいが、僕が同居するようになってからは安心して回数が減っているらしい。


まぁ、確かに僕が同居しなかったら爺ちゃんはもう死んでる頃だし、QOLも今より遥かに劣悪だったろうと思う。


古い家屋の我が家では色んな物がどんどんと壊れていく。僕がいればそんな修理にとどまらず壊れた場所からどんどんとハイテク化が進んでいる。


僕の姉はお節介だ。我が家に来る度に「あれはこうした方がいい」みたいな指摘をし、喋っているうちに言葉に乗り移った魂が姉を扇動する。やがては自分の思いの通りに我が家(実家)が改善されないことに憤まんを爆発させる。


そんなとき僕は父の味方だ。

「爺ちゃんの家やから、爺ちゃんの好きにさせてやったらええ」


僕がこの考えでブレることはない。人によって「こだわる部分」は違うし、家の中こそは「自分にとって快適」であって良いと思う。外の人間がとやかく言う話ではない。


逆に言えば、自分の価値観や信念で他人を裁くのは傲慢だ。傲慢な姿勢は視野を狭くし、不毛な争いの元凶となり、社会に存在する意味を失う。


ボケ爺さんを責め立てる姉も、僕が仲裁すると直ぐに引っ込む。姉は僕を「賢い」と思い、リスペクトしているからだ。「賢い」の定義を僕は知らないのだが。


急に話題が変わった。

「アキラ君は高知能者の集まりのこと知ってる?」

「いや、知らんけど」

「アキラ君は昔IQテストの成績が良かったよね」

「まぁね」

「上位何%くらいやったの?」

「外れ値で計測不能やったけど、計算上は8億人に1人の割合になる。でも最近のIQの計算方法は違うで」

「この前テレビでカズレーザーが言ってたんやけど、知能が上位2%以上の人だけが入れる集団があるんよ。アキラ君も入ったらええわ」


電話のあと、姉がわざわざ調べてLINEでURLを知らせてきた。


IQが上位2%ということは、約135やね。僕が通っていた地元の無名高校ですらIQ135なんてクソだった。平均すると160くらいだったよ。


姉がしきりに勧めて来るので、正直に話した。

「IQ135程度を自慢する集団に興味はないし、自分の知能をひけらかす趣味もない」



改めて言うけど、偏狭が傲慢の原因だし、また傲慢な姿勢はさらに視野を狭くする。「絶対に……」と言う人は、外れ値を経験(あるいは見聞)したことがないのだ。「りんごの色は赤に決まっている」という人は、世界で流通しているりんごのほとんどが緑だということを知らない。


逆に言えば、視野を狭めれば、自分を取り巻く環境はとても心地好い。


誤解を恐れずに言うと、メンヘラーの一定数は二次元ヲタクだ。また、二次元ヲタクの一定数はメンヘラーだとも言われている。アニメや劇画は、世俗から完全に切り離されたファンタジー(幻想)の世界を作ることが可能だ。自分の嗜好に完全一致した世界観に浸ることで、精神的に寛ぐことができる。


このようにメンヘラーと二次元世界は親和性が高いのだが、もっと一般化すると、誰でも何らかの「居心地の良い時空間」を求めている。この時空間は「ぬるま湯」なので、「成長」には繋がりにくいが、その前提となる「癒し」「安定」を与えてくれる。


自分の部屋を持っている人は、自分好みの部屋を作って良いと思う。他人から見て異常でも構わない。自室を見せなければ良いだけのことだ。自分だけの閉じられた空間で好き勝手するくらいなら、何の問題もない。


実は誰でも何らかの分野で飛び抜けた才能を持っていると僕は信じている。IQ135なんてクソ喰らえなくらいにとんがった部分。それはね、各人の「好きなこと」だ。


「努力は夢中に敵わない」と言われる。上達の秘訣は「集中の持続力」なのだが、「努力」が辛いし疲れるのに対して、「夢中」は楽しいし疲れないのだ。


ただし「夢中」になれるものは自分で見つけるしかない。他人からあてがわれて「夢中」になれる者がいたとしたら、それは「幸せなアホウ」だと思う。いや、幸せならそれで良いんだけどね。


物質的に飽和状態で利便性の高まった環境の中では「夢中」になれるものを見つけるのは難しい。「夢中になれるもの」は他人から与えることが出来ないので、金で買うこともできない。まぁ金持ちになっても幸せにはなれない理由の一つがここにあるんだよね。幸いなことに、ビンボーでも「夢中になれるもの」を見つけるチャンスはある。



僕はメンヘラーだ。精神障害者手帳も持っている。不思議なことに、自分に大災難が降り掛かっても比較的平気なんですよ。ところがね、日常の中で積もる微かなプレッシャーに弱いのです。


勤務中に感じる小さな期限とか、遠隔地で発生している災難に対して何も出来ない自責とか。もうね、ウクライナ戦争も辛いし、ガザ侵攻は更に辛いです。今回の能登半島沖地震もめちゃくちゃプレッシャーです。


そんな自分やそれを取り巻く環境をきちんと別の場所から俯瞰するのが僕の病気と付き合って行く上で大事なんだろうなと思っています。