18才、
高校を卒業する時、夢をみて音楽活動はしていたものの、これで食べてゆく!音楽に生きる!なんて決意はまだできていませんでした。
未来が決めきれず、とりあえずの居場所として私は「短大」に進む、という選択をしました。
その 「とりあえず」の選択を母は何も言わずあたりまえのように受け止めてくれましたが
今、おもえば、弟と3人、母子家庭で毎日の生活も精一杯な中、
大学へ行かせてくれたことは相当に大変なことであったろうと思います。
片親だから、貧乏だから、と、お金を理由に私の選択が狭まることを責任感の強い母は許さなかったのだなあと。
一生懸命、貯金してくれたのやろうなあ。。
学生時代、母親が自分の為に洋服や物を買った姿をみたことがありません。
時代おくれのくたびれた服を着てるのをみる度に悲しくなりました。
だったら、短大になんて行かず、家計を助ける選択があったはずなのに、
あまあまで馬鹿なわたしはその選択ができませんでした。。
あんぽんたんですわ。。
わたしが一歩、踏み出すための経験(時間)をくれた母へ、感謝と尊敬しかありませぬ。
母親は偉大です。
そして入学と共にわたしは一人暮らしをはじめ、
音楽活動を続けながら、若さ満杯の好奇心で学生生活を満喫し、あっとゆうまに日々が過ぎてゆきました。
ただ、学校に通いながら好きなことをしながら、のバイトでの一人暮らしはお金も厳しく、
そんな私が利用させてもらったのが「奨学金制度」です。
生活も助かり、外国へ旅にゆきたい!
とゆーわたしの願望も叶えることができました。
貴重な経験をたくさんできたと思います。
そして卒業と同時に、毎月、すこしずつそのお金を返してゆくことになったのですが。
21才
ようやっと、音楽と生きてゆくことを決断し
バイトをしながら、夢を追いかけました。
生活はかつかつで、毎月の返済ができない月も多くありました。
その頃の自分のプライドとして、音楽活動を本職としたかったので、就職は絶対にしない、と心に決めており、
アルバイトで食いつなぐ不安定な毎日が、夢以上に焦燥感と不安を募らせました。
でも、それがあったからこそ、25才で絶対デビューするんだ!とゆー夢が叶ったのかもしれません。
その経験からか、わたしは不安定である生活は良くないものだと未だに思っておりません。w 心の安定とはまた別のことですから。^^
奨学金として借りた115万円という数字はものごっつな大金ではないかもしれませんが
それでも3桁のお金を20代のわたしがアルバイトでコツコツ返してゆくのはとても大変なものでした。
お金を借りること、返すこと、はこんなにも大変なことなんやな~と
身をもって感じた時代です。
そして、返せる時に数千円ずつこつこつ返していき
ようやっと去年、完済、となったようです。
以前の引っ越し先にハガキが届いており
遅れて実家に届いておりました。
このハガキを手にしたとき
なんともいえないうれしさと安堵とよしこれからもがんばろう!という気持ちがふつふつと。。
奨学金返済の滞納について社会問題になっていることは知っていたのですが
すこし調べてみたら
2012年時点で、滞納者は33万4000人、滞納額は925億円となっておるそうで
新たに学生に賞与するための資金が足りていないそうです。
奨学金というと響きよくきこえたり?もしますが、いえ、ただの The 借金。--;
2014年時点で、育英会は滞納者の状況によって返しやすい方法も提案してくれています。
時間がかかってもいいので、今の若者たちに繋げる為にも自分のペースでこつこつ返していってもらえたらいいなあと思います。
お金って廻るものですし。
良いサイクルで
良いお金を受け取り、良いお金として使えるように
必要としてるところへ気持ちよく渡ってゆけるように
これからも自分の人生を彩るためにお金という人生の切符を大切にしていきたいです。
さあ、また、よし。がんばるぞ!
とりあえずは親孝行じゃのお!