<「出来ること」が広がる気がする>
小さい頃から、
ずっと嫌だったことが、
一つだけあります。
比べられること。
小さい頃から、
成人してからも、
ずっと聞こえてきた表現でした。
例えは、
「同じクラスの○○君は、お風呂を洗うお手伝いをしてるんだって」
他には、
「寺島さんは、他の人みたいに、大変なことを頼んでも断らないから」
「うちの製品が、A社より優れている点は」
「この地域で一番安い金額設定にしました」
これ、全部、比較です。
「違うでしょ、あなたは、
何がしたいの?言いたいの?」
誰かを
何かを褒めるためには
違う誰かや
何かを
否定しなくてはいけないのかなあ。
そんなことないですよね。
あなたやあなたの会社への評価は、
「A社の製品が好きなのは、担当の〇〇さんが親切だからです」
「この店のサービスの団結力を見ていたら、可能性が広がるように考えられるんです」
「レジで声をかけてくれて、とっても元気になれるから利用しているんです」
こういう感想て、多いんじゃないのかなあ。
でも、
確かに、
私も、
同じことをいつの間にか言ってしまっているんですよね。
「あのお店のスタッフさんは、
同じくらいの年齢の人と比べてもしっかりしてるよなあ」て。
いつの間にか、本質ではなく、比較で良さを考えようとしてしまう。
これから抜け出せないと、
本当の「価値」て伝えられないと思うんです。
例え30円くらいで仕入れられる飲料でも、
場に見合えば、
1000円でも払うわけです。
お祭りの出店は、割高ですが購入されます。
「お金を払う、商品を受け取る」
だけが、お買いものではないと思う。
そして、とっても大きなことは、
「比較サイト」で検討したものは、
購入後、「重要性が欠ける」気がしてしまいます。
それよりも、セールじゃなくても、
心地よく手に入れた方がはるかに重宝される。
安売りは、
ありがたいです。利用しますし。
でも、
私がすることではない。
そして、
そうしないためには、
比較しない。
「そのもの」の本質を伝えるようにする。
やっぱり、そうなるんですよね。
出来ていなくても、
出来ることだけを考える。
自分がどうありたいのか。
「『そのもの』の本質を伝えること」に
照れないで下さい。
ね、私。
