約一ヶ月ぶりにブログを更新。
このブログを始めた一つのきっかけは、今年で35歳になるにあたり
色々な目標をいつも以上に掲げているつもりで
その一つ、フルマラソンに初挑戦、という目標があった。

先日の東京マラソンにて、無事、その目標は達成され
フラフラになりながらも、何とか完走し、一つクリアしたことになる。

もう一つ、大きなポイントがあって、それはこのブログで何度か書いている、長男のこと。
目に見える色々な状況証拠、ネットで拾う色々な情報が
彼は発達障害である、という方向を指している。
しかしながら、我々夫婦は、その確たる証拠がないまま、ここまで来ていたのが現状だ。
今年に入って、3歳までに、何かしらの方向を確認し、
最良の今後を考えてあげる必要がある、と感じていた。
このブログでは、そういう思いを、後で振り返れるように、と思って始めた感は、結構ある。
日々の成長を見ながら、気づくこと。
自分自身の気持ちの葛藤。妻の気持ちの葛藤。
長女の成長。長男の成長。
そういうことを、あぁ、あの時あんなことがあったな、と
このブログを見て、振り返れればいいなと思う。
それは、ちょうど、大学院生で、そのまま研究の道を進むのか、
自分で設定した夢を諦めて、就職するのか、ということを日々悶々と悩みながら
毎日欠かさず付けていたブログを、たまに今読み返して
当時の気持ちの暗黒さと、自分の成長ぶりを知ることに役立てているのと似ている。

前置きが長くなったけど、今日は午前中、お休みをいただき
家族で近くの発達支援センターに行っていた。
事前に保健師の方との面談を終えていて、今日はいよいよ専門医との面談。
あいにくの雨だったが、車に乗って出かけたので、ほとんど気にならなかった。
センターの入り口近くには、冬眠明けのカエルが起きてきていて
間も無く春だよ、と言っているようだった。寝起きだったようで、動きは鈍かったけど。

少し待合室で待っていると、先に待っていた小学生くらいの男の子が
相談室へと入っていく。お母さんと一緒だ。ランドセルを持っているのでこのあと学校に行くのだろう。
程なくすると、長男も呼ばれ、部屋に入る。
中にはおもちゃが置いてあって、早速遊びだす。
私と妻は専門医と向き合って、質問に答えていく。

母親の見ている目線と父親の見ている目線が違うんだな、とこの時改めて感じた。
同じ質問を受けても、自分が心の中で思った回答と
妻が実際に答える内容が違う時が多々あった。
時々、修正していくのだけれど、大体は彼女の方が正しいのだろうと思い
あえて触れなかった。当たり前だけど、圧倒的に接している時間が長いので。

約20分の面談を受けると、少し部屋で待っている時間が出来た。
専門医の先生は、その間に書類を書いている。
楽しそうにおもちゃで遊ぶ長男。
程なくすると、先生から声がかけられ、診断結果が言い渡された。

現在、実年齢が2歳8か月の長男だが、身体能力、言語能力、社会とのコミュニケーション能力などから
総合的に判断すると、現在、1歳1か月相当、とのことであった。
いわゆる、自閉症スペクトラム、中程度の発達障害、という結論だった。

想像していたことではあったし、驚きはなかった。
むしろ、これまでモヤモヤとしていたので、すっきりとした思いすらあったが
気づくと隣で妻は泣いていた。
慌てて、ハンカチを渡す。少し冷静になって、先生の話を聞き始める。
これから療育を始めていくことになること、家ではなるべく真似しやすいアクションをしてみること、
何かを禁止させるのではなく、物理的にできない環境にしてあげて、
やってはいけないことを教えること、などのアドバイスがあった。

帰る頃には、妻もすっかり落ち着いて、少し安心した。
センター入り口のカエルは二匹になっていた。もう一匹もつられて出てきたのかな。
妻はカエルが好きなので、喜んでいた。

お昼はマクドナルドで、ドライブスルーをして、家でみんなで食べた。
お昼からの仕事に備えて、準備をして家を出た。

妻はそれから、長男とともに昼寝をして、
夕飯を作り、長女とともにお風呂に入り、一緒の布団で今寝ている。
少しでも早く帰って、これからのことを話したかったけど、思うように仕事が終わらず。

通常、こういう局面では、父親の方が冷静でいられないことが多いらしい。
うちの子に限って、と現実を受け入れないそうだ。
自分自身、つい最近まで、やはり現実を受け入れられなかったのだと思う。
その証拠に、家で悪さをすると大声で叱っていたし、時に叩いたりしていた。
いつもそういう行動をした後、彼にはわからないのに、ひどいことをしてしまったな、と
罪悪感に駆られることが常だった。
今は少し冷静になって、前向きに、何ができるかを考える状態になったのだと思う。

仕事がら、常に想定していなかったことが起こりうる。
その時に、心がけていることは、もっと酷い事態になったら、と想像しておくことだ。
そうすれば、そんな酷い事態にはなかなかならないので、結果、得した気分になれる。
自分で一回、最低のところまで落としきって、そこからのプラスがあれば
それを捉えて、前向きになる、という、自分への詐欺のようなことをして
なんとか心の平穏を保っているのだと思う。

長男についても同様で、色々と関連する本を読み、
ネットで情報を収集して、最悪のケースを想定しておく。
今回の場合は、予想した通りだった、ということではあるけど
それにより、ショックを受ける、ということはなかった。
もしかしたら、単に成長が遅いだけかも、と思い続けていたら、ショックは大きかっただろう。

妻には、再三、上記の思考回路を伝えてはいたけれど
やはり、接する時間が長い事、自分のお腹の中で育って、そして生まれてきてくれた長男に対して
父親以上の思いがあるのだろうと思う。

今日も改めて言われた事ではあるが、現在において発達障害は見つかる率が高まっていて
珍しくない事だとの事である。
長男も見た目は、何の問題もないし、言葉が出ない、少し変わった動きをする、というだけの事で
奇声を発する事も無くなったし、正しく親が導いてあげる事で
いくらでも改善するし、生まれ持った特殊な才能を開花してくれる、との事である。

今日のブログのタイトルを、感謝の気持ち、と題したのは
長女とまったく違う、子育ての方法を、これから考えさせてくれるきっかけを
長男が作ってくれたと思うからだ。
まぁ、元々、一人として同じではないのが人間であって
それを画一的に捉えて、教育できる、と思っていることが間違いだよな、と思う。
自分が柔軟であり続けること、変化を恐れないこと、あらゆることを刺激、経験と思うこと。
それがそのまま、長男の周りの環境の形成に寄与していくのだと思う。

自分の仕事の仕方も、変えていかないといかんな、と改めて思う。
療育は週二日あるという。
1日は必ず自分が行くようにして、時間休を取るとかの工夫を考えよう。
先は長い。焦らず、粘り強く、一歩ずつ。

今日という日が終わり、明日が始まる。
無理せず、しかし前向きに進めば良い。